The Negotiation Limerick File:円環の章
コネ
序破急で云えば序たる夏のある日
僕は鹿児島空港から鹿屋市街へ向かった。
羽田からの航空券はどれも高く、成田からの格安航空券で鹿児島空港へ到着する。価格の違いが雲海上を行く時間に差を生むのならば羽田から出発をしたかも知れない。空に居る時間は短ければ短いほど良い。
もっと云えば、成田エクスプレスを利用する手間と時間を考えれば、いささか葛藤もしたが、とにかく財布と妻と、いや、妻と財布と相談のうえそうしたわけだ。
誤解のないよう云っておくと、財布と妻を入れ替えたのは決して妻が財布の紐を握っているなどと云う話しではなく、妻は、このことに心を砕き焦慮し心配をし相談に乗ってくれたからこそ、今日この日に迎えることができた。故に、感謝と敬意を込めてのことだ。
※
夏空を埋め尽くす入道雲を車窓から眺めた僕は、バスに揺られる鹿屋市街までの二時間を潰す、もとい、上手く利用し「やることリスト」を見直した。
スマホを開きTODOリストの一覧から、行儀良く並んだ星印の付いたタイトルを一つを叩いた。ひょいっと姿を見せる風の精霊のごとくページが飛び出した。そこには「やること」の主題が無機質に記されている。つまり、これが鹿児島にやってきた理由だ。
「親父と逢う」
たったそれっぽちの話。タイトルだ。幾つかTODOは並んではいるが、今は割愛しよう。
奇妙な話に聞こえるだろうが、斯くいう親父はどんな気を遣えば、そうなるのか判らないが、遺言と細やかな財産を残し半年前に死去している。更に云えば、どこぞ知らぬ土地で遺体が発見された。
親父の名誉を慮り補足をすると、なにやら怪しげな仕事で命を落とした。だとか、性悪女の尻を追いかけ畳まれた。だとか、そういう話しではないことは語っておこう。もう少し付け加えるのならば、ちゃっかりと、しっかりと、しれっと僕と妻、そして腹の中の子のため、細やかといえど、充分すぎる程の財産を残して逝ったのだから、まあ良い親父なのだ。なのだろう。なのではないか?
そんな、今は骨壷に入って東京の某所で眠る親父に逢うというのだ。奇妙な話だ。
※
車窓の外に鬱蒼とした森が広がっている。
大人げなく外を覗こうものならば、タイヤが崖淵ギリギリを行くのがわかり、肝を冷やす。くねくねした道をゆっくりと慎重に走るバスの上にも木々が逞しく茂っている。夏の光は、枝と枝、葉と葉の合間を硬いくせに柔らかく、するりと抜けると、バスにも車幅ギリギリな下り坂道にも真夏の影を落としていた。
警笛が軽く鳴った。蝉の声が合わせてけたたましくなった気もする。もっとも僕は最後部の席に陣取ったものだから、エンジン音が煩く耳に届いたから、それはあまり気にはならない。とにかくだ。大曲がりを行くバスはカーブミラーのないそこを通る際にはそうしているようだ。記憶が正しければ、後、数十の警笛を聞けば山を降りきるだろう。
さて、では親父が残した遺言。
それこそが、僕が親父を良いか悪いかを疑問に想い、親父らしいなと想い、僕達夫婦を気遣った証なのだと想うものなのだ。これには妻も口をあんぐりと開き、義父の死に直面したというのに、泣くことを諦め、まんまと笑わされていた。最後の最期まで親父は親父なんだ。
「探してみろ、全てをそこに置いてきた」これが、親父の遺体の左手に握られた遺書に記された内容。かたや、右手にはくしゃくしゃになった緑色をした銀行通帳と古びた地図。それが、親父が遺したものだった。肝心のキャッシュカードと印鑑はない。
ここでも補足しておくと、親父には立派な髭もないし、ましてや海賊然とした帽子を被る趣味もない。僕も同じく麦わら帽子を被ることはないし、体じゅうが伸び縮みしたり、膨れたりもしない。
遺言にはもう少し記載があった。
それがつまりTODOなのだが、地図に記された目的地で、草を刈ったり、ゴミをまとめ捨てろといった雑用の類で、親父が遺した文字によれば、それを済ませる頃には全てを手に入れられるだろう。と、云うことだった。つまり、そうすればキャッシュカードと印鑑が見つかるのかも知れない。
こうやって聞けば、まるで僕は金が欲しくてわざわざ、鹿児島までやってきたように聞こえるが、もし、そうであったなら妻は許さなかっただろう。もう子供が産まれそうな、のっぴきならない時期に何を云ってるの? と、けんもほろろと云われたに違いない。そうなのだ。僕も妻も親父が云う「全て」は、それだけではないだろうと踏んだのだ。そう。親父らしき何かと逢える。もしくは失踪した理由を知ることが叶うのかも知れない。
※
気がつけば随分と街らしい景色が広がり、バスターミナルへ到着した。
古ぼけたバスではあったが、料金はしっかりと電子決済で行える。プッシュと音をたて開いたドアの向こうから、もんわりとした空気を感じながらカードを機器にあて支払いを済ませると僕は、いよいよ鹿屋市街に到着をした。
小学校低学年までは親父と毎年、同じ時季にここを利用をしていた。とはいえ、それから随分と時間も経ち、昔ながらの平たい市街の面影はなく、今では凸凹とした都市然とした面影に懐かしさは感じない。どちらかと云えば、寂しさを覚えた。
あまりの陽射しの強さに堪らずターミナルの影に飛び込み、空を見上げた。やっぱり懐かしさはそこにはなかったが、もくもくとした入道雲はあの頃と一緒だなと、そこはかとなく懐かしさを云い聞かせるよう、しばらく雲を眺めた。
左手を額にあて暫くそうしていると、お尻に軽い振動を覚え、慌てて額の左手を下ろしポケットに突っ込んであった、スマホを取り出した。妻からの電話だった。
無事に着いたのかの確認の電話で、僕は大丈夫だと答えたが、普通は空港についたら電話をするでしょ? と、やや詰められた。荷物が多くてなかなか難しかったのだと、申し訳なさそうに答えると妻は「そうだったね」と、今度は心配そうな声で同意をした。寧ろ、その声音の裏には「ごめんね、気がきかなくて」と聞こえたように思え、だから僕は「でも、もう大丈夫だよ。あとはタクシーを拾ってすぐだから」と、少々明るめに伝えた。
電話を切り、慌てて手を挙げタクシーを捕まえた僕は、左の後部座席が開いたのは判ってはいたが、運転席側に周りドライバーへ声をかけた。
ドライバーは無表情に僕の顔を見上げ「どうかしましたか?」と、くぐもってはいたが綺麗な標準語で答えると、差し出した地図に目を落とした。すると、ああとすぐに意図を理解し「ここへ?」と、少々怪訝に云いながら扉を静かに開け、「荷物、後ろに運びますよ」と、リモアのキャリングケースと、イーグルクリークのバックパックをトランクルームへ丁寧にしまい込んでくれた。「大変だったでしょ?」運転手は、やっぱり無表情でマネキンのようであったが、気遣うように僕へ声をかけた。
「馴れてるので大丈夫ですよ」僕は、マネキン運転手に笑ってみせた。だが、この暑さはもう限界だ。蝉の声だってだいぶ鬱陶しさを感じるほどに、まいってきた。
タクシーに飛び乗り、汗一つ掻いていないマネキン運転手へ「さっきの住所へお願いします」と声をかけ、ようやく暑さから解放された。
乗り込んだタクシーは音もなくスーっと走り出し、鹿屋市街から目的地である姶良町へと向かった。何もなければ、きっと一時間もかからずに到着するだろう。
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