5.失踪の前(ニル)

兄が王都からフロレスに戻った日は、ジュンナの誕生日の三日前だった。俺は、自宅に連れ帰る前にと、父を先に祖母対策に帰し、二人で、墓のある寺に寄った。ジュンナの事なら思い出すかと思ったが、兄は最初、寺を家だと思ったようだ。


ジュンナの墓は、寺の中にあった。普通は、墓は外に作るが、未婚で死んだ若い娘の場合、火葬した遺骨は、寺の中に留め置いた。昔、同様に未婚で死んだ若い男性がいたら、「死者の花嫁」として、一緒に埋葬する習慣があったから、とも、「鬼神の花嫁」として捧げられたからだ、とも言われている。フロレスとその周辺の風習だが、よく似た話は、地方に点在する。今では普通に埋葬する所が殆んどだが、大きな家は、昔の習慣を保ちたがるもので、うちもそうだった。


ジュンナの霊廟には、白地に桃と蘭、牡丹が刺繍された、豪華な花嫁衣装が飾ってあった。彼女が、ロイの花嫁になると信じて、選んだ物だった。俺達が行った時、そのロイが来ていた。彼は、毎年、誕生日に来ていた。今年は、仕事の都合で、今日になった、と言った。


死者は納霊祭に偲ぶものだが、町中の人が寺に集まる日には、彼は姿を見せなかった。


彼は、挨拶の後、兄の事は、ホイから聞いている、と言った。フロレスの家にはホイが残り、東方雉の事業は、近郊の町ナブリに移した。ホイの父とロイが住んでいる。母親は、レオの子供が入院するのに合わせ、ポヅかラマツか忘れたが、とにかく余所に移り住んだ。離婚はしていない。レオは、山岳地方のエベスフテの寺に行った。本人は最後まで渋っていたが、結局は、それが一番ましな処遇だと悟ったようだ。


ロイは、真っ白の羽で作られた、清楚な冠を持っていた。花嫁の冠だ。東方雉の羽のようだが、天然で白いものは貴重だった。ロイは個体数を増やすのに成功していたが、それでも高級品には変わりなかった。


「ジュンナさんと、約束していたんです。白い色が、好きだったから。」


漂白の物は青みを帯びて、白としては、冷たい美しさがあった。天然の物は、黄みが強いが、暖かみのある色だ。


「長くかかってしまったけど、ようやく出来ました。」


ロイは清々しいが、感慨につまった声で言った。俺は泣きそうになった。


「ロイさん、有り難う。でも、貴方は、もう十分、してくれました。このまま立ち止まるのは、ジュンナも望んでいない。自分の幸せを、考えて下さい。」


言ってて、泣き出した。ロイもだ。


ホイの今の婚約者は、ポヅの知人から、最初はロイにと照会されたが、ロイが会う前に断ったので、ホイに照会された、と噂に聞いた。ホイと婚約者の仲の良さに対する嫉妬が混ざっているが、ロイがこの件だけでなく、軒並み縁談は断っている、とも聞いた。


俺は、兄を見た。兄も泣いている、と思ったからだ。だが、兄は、真面目で熱心な顔を向けてはいたが、それは、事情を知らない者としての顔だった。


ロイと別れて家に向かう前に、兄にジュンナの死の状況を、詳しく説明した。兄は、「さっきの男性がロイ」ということを、「初めて」知った。


医師からもトゥレルからも、記憶の刷り込み、と言われる行為には注意されていたが、日常生活に支障を来すことであれば、教えても構わない、とも言われていた。


祖母対策もあるし、兄は立場上、これから町中の人と会うだろう。やや不適当だが、「背に腹は変えられない。」だ。




戻ると、案の定、「祖母節」全開だった。


ただ、


「兄は長男で、家の正統な跡取り」


「ホンナは兄の未来の妻」


は、本当の事には違いない。兄は出ていく時、アサド氏に書き置きを預けたが、


「跡取りには、ケイネブの方がふさわしい。」


「ホンナは大切な幼馴染みだからこそ、婚約は解消する。本当に幸せになれる家に嫁いで欲しい。」


と書いていた。祖母の浮かれ具合は、それを無視した形になっていた。


しかし、父はケイネブのほうが家業に向いていると考え初めていて、迷っていた。ホンナの両親も、


「結婚の話は、ファイの記憶が『落ち着いて』から。」


と言ったので、こちらが迷惑をかけた立場としては、いくら祖母でも、ごり押しはできない。だが、どうやら、ホンナは、幼馴染みとして以上の気持ちがあるようだった。彼女は、最近流行りの西方顔とは正反対で、ソウエン系に入る顔だが、古典的な美人、とも言える。合わせて性格も大人しく、シュクシン女性としてはやや弱い気もするが、家事も得意で、趣味も良かった。刺繍だけはあまり得意ではないが、染め物は得意だった。カロン以外に、彼女を好きな男性は、結構いたようだ。


兄は彼女に対しては、忘れたなりに、細かい心遣いをしていた。祖母は喜んだが、俺は、トゥレルの、「記憶が戻ったら、また出ていくかもしれない。」という言葉が引っ掛かっていた。



だが、兄の記憶は、どうやら、戻らないだろう、戻っても、昔と同じにはならないだろう、とある日、唐突に確信してしまった。




ジュンナの誕生日の後、ジュンナの「鳥連れ日」(ソウエン風に言うと命日)があったが、毎年、納霊祭が近いため、行事は合わせて行うことになっていた。ジュンナのように、若くして死んだ場合は、死んだ日よりも誕生日に個人を偲ぶ傾向があるが、今年は兄が戻ったし、三年目になるので、お寺で、やや大がかりな式をした。


そうは言っても、俺とトゥレルは試験があったので、準備は手伝えず、当日になってから帰省した。


寺には兄の姿はなく、祖母はなんだかぶすくれて、父も弱りきった顔をしていた。ケイネブは目が真っ赤だった。


何かあったと思ったが、人目のある所で聞くわけに行かず、トゥレルと二人で、顔を見合わせていた。


ソア家の納霊に来ていたカロンを捕まえて、話を聞いた。


カロンは、言いにくそうに、だが、できるだけ客観的に話してくれた。


一昨日、レオがいきなり、訪ねてきた。彼は、僧侶になっていて、昔とは別人のようだった。エベスフテ派は非常に厳しい教義の一派で、故郷へは一生に数回、階級が上がった時にしか帰れない。レオは、ヒンダより遥か南のガダラ半島の、さらに先の島国に、経典を取りに行く高僧に従い、長旅に出る。ヒンダ方面は、内戦で政情不安定な事もあり、これが最初で最後の帰郷になるだろう。だが、彼は父親と母親の所より先に、フロレスを訪れた。ホイに会いに来たわけだが、主な目的は、謝罪するためだった。


その時、家には兄と父がいた。カロンも、届け物で、偶然、顔を出していた。


兄は、ジュンナの死の時は、レオを殺さんばかりの勢いだった。だが、今は記憶がない。


悔い改めたレオを赦し、たいそう優しい言葉をかけたそうだ。


レオは、納霊祭には残らず(宗派が違うため)、ポヅに向かった。


その後で、ケイネブが外出先から祖母と共に戻った。ケイネブは、レオがうちに向かった、と聞いて、祖母を引きずるようにして、急いで帰って来た。彼は、ジュンナと一番仲が良かったぶん、家に上げただけでも許せず、兄に食って掛かった。


兄は、家族の気持ちを傷付けた事は謝った。だが、


「彼が何をしたとしても、今の自分に、責めることは出来ない。」


と答えたのが、ケイネブの火に油を注ぐ結果になった。


「後の方は、ケイネブ様と大奥様の争いで、フロレタン様とファイ様は止めていらしたのですが…。記憶が戻らない状態なら、公の場は避けたほうが良いか、と、フロレタン様が判断されました。」


丁度、ホンナの親戚が、四人ほど子供を引き連れて来ていたので、彼女と一緒に、面倒を見るために残った、と言う。


俺とトゥレルは、一足先に戻った。俺は、


「お祖母さんが不機嫌なはずだな。長男に子守りなんて。」


と言ったが、トゥレルは、


「兄さんは、子守りなんてしたこと、無い。記憶喪失の時は、記憶のある時に出来なかった事は、出来ない。兄さんのケースは特殊だが、いくらホンナが、一緒でも、心配だ。」


と、慌てていた。


しかし、帰宅した俺達が見たものは、毎年、山賊並みに暴れる子供たちが、大人しく食事をとっているところだった。


食卓には、冷たい麺と、焼いた玉子料理が並んでいた。ホンナはいなかった。


一人が夕べから微熱があり、さっき、ホンナが医者に連れていった、という。医院も休みだが、ホンナの友人が勤めているので、彼女から、医者に頼んだそうだ。


納霊祭の日は、女中も休みだ。「ひょっとして、兄さんが作ったの?」


と、トゥレルが間抜けな声を出していた。


「そうだが。」


いかにも平然、という調子の答えが帰ってきた。


その後、皿を洗おうとしたので、それは代わった。兄は、一番小さい男の子がぐずり出したから、寝かし付けに行った。トゥレルが吸い寄せられるように後を着いていく。


あらかた洗ってしまうと、トゥレルが戻り、拭くのを手伝った。


「料理が出来るようになってたなんて、びっくりしたな。」


と言ったら、


「兵士は野営するから、よく考えてみれば、料理は納得だけど…子供になつかれる兄さんなんて、初めて見たよ。」


と、呆然とした返事が帰ってきた。


それはぜひ見たい、と思い、皿をトゥレルに任せて、奥に行ってみた。


兄と鉢合わせになった。思わず短く叫んだが、当の兄は、「静かに。」とだけ。落ち着いた物だった。


部屋をちらりと覗いたが、一番小さい子だけでなく、他の子供も昼寝をしていた。


俺が不審そうにしていたためか、


「ホンナから、『子供は食事の後に、昼寝をする。』と聞いていたんだが。何か間違ったかな?」


と困惑していた。


「いや、そんな事は。むしろ完璧だよ。」


と言ったら、ほっとしていた。ケイネブの事を気にしているのだと思った。


「さっきの事は、あまり気にしないほうがいいよ。ケイネブはレオの弟のホイとは仲が良いし、お祖母さんと言い合いになったなら、怒りの矛先は、すでにお祖母さんだから。」


一応、冗談のつもりだったが、兄は、


「だが、俺の事が原因で、彼の気持ちを傷つけてしまった。それに、お年寄りが身代わりに不愉快な思いを。」


と、深刻な顔になった。


真面目な兄らしい、最初はそう思った。だが、ジュンナの事は、原因は祖母と父だった。父は、財産のある、社会的地位の高い家の長男に嫁に出したかった「だけ」だと言っていた。だが、祖母は、若い娘の恵まれた幸せを妬み、苦労を背負わせようてしただけだ。元々はトゥレルの意見で、俺は当時は考えすぎだと思ったが、身内の立場を脇において、改めて考えて見ると、彼が正しいと納得せざるを得なかった。


それを悟った時の気持ちは、とても一言では表せない。


「その、よかったら、料理が余ってるから、食べるか?」


俺は百面相でもしていたんだろう。心配そうな、「善意の第三者」が、そこにいた。


俺とトゥレルは、昼がまだだったので、遠慮なく「ご馳走」になった。甘い玉子焼きと、ホンナの家からもらった、風味のある上等な細麺は、とても美味しかった。


トゥレルと共にキナンに戻る時、「軍隊で覚えたにしては、子供に受ける味だったな。」、と話した。トゥレルが、


「この前、タラミアさんにもらった、玉子の煎餅、あれは菓子なのに、スパイスが効いてたな。」


と言ったので、


「あれは、玉子の色じゃなくて、黄色い唐辛子の色だよ。」


と答え、そこから、タラの話になった。


彼女も、キナンで家族と納霊祭をしているはずだ。だが、偲ぶほど近い死者がいない場合、儀式というより、祭のようなものだ。市は、今年は、「八語り」を題材にした歌芝居を上演する。


“来るか?”


“来ないか?”


“来ないなら、消しましょか。”


“遠くて近い所から、ようこそ。”


ここらでは、こうだった。


遠くて近い、それが、兄に重なった。




呼ばれた死者でもあるまいに、縁起でもない。一瞬、馬鹿げた考えが浮かんだが、すぐに消えた。





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