積み木くずし
あべせい
積み木くずし
「奥さん、失礼ですが、あちらに転がっているガキは、あなたのお子さんですか?」
「エッ、ガキですって!?」
話しかけられた主婦は、前方の床に駆け寄る。
「タクミちゃん、起きて。ヘンなオジさんが睨んでいるから。さァ、早く行きましょう」
こどもを急き立て、走り去る。
「奥さん! 忘れ物です」
話しかけた男がそう言い、足下から拾い上げる。
「これって?……紙袋? ゴミか。仕方ねェな……」
数人のこどもが走る、走る。
「キミたち、ここは走るところじゃないよ。静かに食事をとるところだ」
こどもが立ち止まり、
「ママァー! このオジさん、ヘーン!」
「ボクはヘンじゃない。キミたちのママがヘンなんだ。キミたちをバカに育てている。キミたちは大きくなったら、バカな大人になるンだよ」
「バカ?」
「そうだ。周りの人が困っているのに、それに気付かずにはしゃぎ回る、大バカになるンだ」
「アナタ、どなたですか!」
「これは、奥方さま。何か?」
「奥方さま!?」
「奥方さまでなければ、こどものしつけもできないバカ奥さまでしょうか?」
「バカ、ですって!」
男の背後から、
「お客さま」
と女性の声。
男、振り向き、
「きみは?」
後ろから主婦が、
「この人、ヘンタイですよ。早く、連れ出してください!」
「わたし、このショッピングモールの警備隊の者です。お客さまのそのジャケット、背中に『セカセカ』と大きなロゴが入っていますね……」
「ゲームのコンクールでベストスリーに入ったとき、主催していた大手ゲーム機メーカーからいただいたものです。女房は嫌っていますが、ボクはとても気に入って、いつも着ています。それが?」
「それならいいンです。他のお客さまが、とてもお困りです。すぐに退去していただけますか」
「退去? 出ていけということ? 理由は?」
「この施設の管理上、好ましくないからです」
「好ましくない? お聞きしますが、このフードコートで走り回っているガキどもを野放しにしている主婦たちは、好ましいンでしょうか?」
「そういう問題ではありません。わたしは、あなたのことを問題にしています」
「退去はいいですが、ボクにはまだしなければならないことがあります」
「お店を変えていただけませんか」
「あなたのような美しい方の口から出る言葉とは思えませんが」
「わたしはこの仕事を始めて、まだ日が浅いンです。この程度のトラブルに時間がかかっていると、隊長が駆けつけます。すると、ことは大きくなります。その前に、退去していただきたいのです」
「きみは……胸のIDには『貞武宮古』とありますが、さだたけ、さんですね」
「貞武です。さだたけみやこ、といいます」
「ボクはあなたを困らせるつもりはありません。これから退出します。でも、言っておきますが、こどもをしつけられない母親は、この国の行く末にとってマイナスです。貞武さん、あなたも母親になるのでしょう」
「わたしですか? わたしにその資格はありません」
「資格がない? どういうことですか」
「ごめんなさい。わたくしごとです。どうぞ、お帰りください。失礼します」
宮古、一礼して立ち去る。
「女房は娘と一緒に、ここに来ると言っていた。しかし、約束の時刻はもう20分も過ぎている。どうしてだ。やはり、オレのような偏屈な男とはヨリを戻したくない? そうだろうな。女房を最後に見たのも、このショッピングモールだった。5階のゲームセンターで娘と一緒に、クレーンゲームをして遊んだ。楽しかった。もう、3ヵ月になる。オレの女房は、あんなバカな主婦とは違う。娘のしつけには、厳しい。亭主のオレにも厳しい。オレがバカな主婦に言ったことは、女房の受け売りだ……さて、どうするか」
「あなた、やりますね」
ゲーム機のコーナーに、クレーンゲーム機がたくさん並んでいる。
「クレーンゲーム、って、ボクも好きです。1つ取ると、また1つ取りたくなる」
「ごめんなさい。わたし、プレーの最中に話しかけられるの、好きじゃないンです」
男は、相手のことばを無視して、
「ぬいぐるみをとる人は多いけれど、これは何ですか。オレンジ色の縦横高さが10cmのサイコロ型のボックスだけれど、中が見えない。中には何が入っているかご存知ですか?」
ゲーム中の女性、少しイラっとして。
「知りません。だから、やっているンです」
「引っかかりがないボックスだから、この難易度はウルトラ級です。こいつを1つゲットしたンだから、あなたって、すごい!」
「これ1つ取るのに、どれだけやっていると思うンですか。黙っていてください」
「中身を知りたいのだったら、いまゲットしたボックスを開けてみればいい。あなただって、中身が見たいでしょう」
女性、キッと振り向き、
「あなた、余計な……!」
「どうされました?」
「あなた、きょうのお昼、フードコートにおられた……やはり、来られたのですね」
「そうか。あなた、このショッピングモールの警備員、宮古さんでしたね……私服なので、わからなかった」
「午後5時にきょうの勤務が終わったので、いまはオフタイム。わたしのプライベートの時間です」
「失礼しました。どうぞ、続けてください。ボクは、別のクレーンゲームをやりますから」
「待ってください。あなた、ボックスの中を見たくないのですか?」
「?……」
「たいていの人はボックスの中身を知りたがります。あなたはボックスの中身に関心を示さず行こうとした。どうしてですか?」
「ボクは偏屈だから……。いや、あなたにはいろいろ秘密がありそうだからです。このクレーンゲームは中身のわからないボックスを手に入れて、楽しむンでしょう。中身のわからないボックスを、ゲットしようと夢中になっていること自体、わたしには理解できない」
「別居中のわたしの夫が、昨日までこのゲームセンターに勤務していました」
「別居中ですか。別居している夫婦って、意外に多いのか」
「わたしたちには、ことし8つになる娘が1人いますが、事情があって夫が連れて出ていったのです」
オレの娘も8つだ。オレの場合は、女房が連れて行った。
「わたしは娘と暮らしたくて、夫のいるこのショッピングモールに仕事を見つけ、機会あるごとに夫に詰め寄りました。しかし、夫は聞き入れず、このことがもとで職場にいづらくなったらしく、昨日会社に退職を告げ、行方をくらましました」
「あちらに腰かけて話ましょう」
「このクレーンゲームが見えるところがいい」
2人、壁ぎわに並んでいるベンチの1つに腰をおろす。
「ご主人に連絡はとれないのですか?」
「幸い、携帯のメールアドレスは生きていたので、娘を返して欲しいとしつこく催促したら、こんなメールが返ってきました。これです」
「拝見します」
「『ゆりか』というのは、娘の名前です」
「『ゆりかの大好きなドラえもんグッズがオレンジボックスの中にある。宛先も一緒に入っているから、郵送してほしい』……このオレンジボックスが、あのクレーンゲームの中にあるサイコロ型の小箱のことですか」
「昨日わたしと言い争っていたとき、夫はあのクレーンゲームの中に手を入れ、ボックスのそれぞれの位置を調整していたのですが、突然邪魔が入ったために、別に持っていたボックスを、クレーンゲームの中に入れました。わたしはおかしなことをすると思ったのですが、きょう届いたメールで、ボックスの意味がわかりました」
「たくさんあるボックスの中に、お嬢さんに贈るはずだったボックスが紛れ込んだというのですか?」
宮古、頷く。
「しかし、8才というと小学2年生……」
「はい」
「いまは夏休みだから、いいでしょうが、学校が始まったら、どうするつもりなンですか。ご主人は何を考えているんだ」
オレの女房だって、同じだ。
「夫は、本当はゆりかをわたしに返したいのです。でも、それをしない」
「どうしてですか?」
「夫にくっついている女が、わたしに意地悪をしているンです」
「女って、愛人ということですか」
オレの女房にも男がいるのか。そう考えると、わかりやすい。
「愛人があなたの娘さんを連れまわしているのなら、誘拐です。たいへんな犯罪ですよ」
「夫の愛人というのは、わたしの妹です」
「エッ!?……ということは、妹さんは姪を連れ歩いている……」
「夫は、わたしにこっそり居場所を教えて、ゆりかを連れ帰って欲しいと望んでいます。ですから、夫はボックスの中に、手がかりを入れてわたしに手渡そうとしたンですが、そのときわたしたちの間に妹が現れたものですから、クレーンゲームの中に、そのボックスを紛れ込ませた。わたしは、そのボックスを手に入れるため、いま、こうしてクレーンゲームを操作している。そういうわけです」
「それなら、先にゲットしたボックスを早く開けましょう。当たりかもしれない」
「あれは夫が入れたボックスではありません。夫がクレーンゲームに忍ばせたボックスには、色は薄いですが、1ヶ所青いインクが付着しています。わたしが昨日、夫とここで言い争いになったのは、休憩時間に夫に呼び出されてここに来ると、夫のそばにいた妹が、わたしに離婚用紙を突きつけ、サインしろと迫ったためです。わたしがその場を離れようとすると、夫は妹から手渡されたボールペンをわたしに差しだし、『お願いだから、署名してくれ』と言いました。もちろん、わたしは妹の思い通りになるつもりはありませんから、きっぱり拒否しました。そのとき、夫はボールペンのペン先を持って、わたしにボールペンを握らせようとしたため、指に青いインクが付いたのです。そのインクがボックスを持ったとき、ボックスのどこかに付着したのです」
「そうだったンですか。青いインクがついているボックスを探せばいいわけですね。でも、あそこにあるボックスをざっと見た限り、どのボックスにも青いインクは見えない」
「しかし、ボックスの6面のうち、少なくとも一面は下になっていますから、その隠れている面にインクが付いている可能性が高い。ですから、1つづつボックスをアームで拾い上げて確認していくしかないのです」
「そういうことでしたら、わたしに任せてください」
「クレーンゲームが得意なんですか」
「待ってください。その前にご主人のお名前は?」
「主人は貞武歩といいますが、あなたは?」
「わたしは日馬力です。スタッフに事情を話してきます」
力、立ち去る。
「お待たせしました。いまから始めます。このボックスは、紐もクビレもない。こういう商品をゲットするには、それなりのテクがいります。いいですか。まず、とっかかりのない小箱がこういう風に積みあげてある場合は、アームで掴むのは諦めて、アームをこう……箱の下の部分にぶつけて、こちらに転がす」
「落ちた!」
「これを名付けて『仏壇返し』といいます。次ぎに、ボクが最も得意にしている技を使います」
「?……」
「たくさん積み上げてあるこのボックスを一度に崩して、大量にゲットする裏技です。……こう、最も重心のかかっていそうなボックスに狙いを定めて、一気にアームを力一杯ぶつけます……エイッ、行け!」
「やったァーッ!」
「これを名付けて『積み木崩し』。この技をマスターするのに、10年かかりますが、この技を身に付ければ、あとは何がきても、動じることはありません。1つ置きに落とすのが、『カエル跳び』、2つづつ落とすのが『ニコニコ』、技としては、ほかに『円月殺法』、『八艘飛び』なんて、滅多に出せない荒技もありますが」
「すごい! あなたって、天才!」
「わたしはクレーンゲームしか能のない男です。どこのゲームセンターでも、混み合う時間帯は出入り禁止になっています。ここでも、アームを操作できるのは1日5回までと制限を付けられていますが、いま許可をもらってきました」
「あなたのよう人が、本当にいるなんて。ラッキー!」
力、アームを操作しながら、
「あなた、違う……どなたですか? 宮古さんじゃないでしょう。とてもよく似ているけれど」
宮古が駆けてくる。
「ごめんなさい。警備隊長に掴まって、明日の打ち合わせで……琴路! 何しに来たの。これは、妹です」
「あなたたちは、双子ですか」
「一卵性双生児。夫は、妹と間違えてわたしと結婚したと言うんです」
「お姉さん、それが事実だもの仕方ないでしょう。ゆりかちゃんだって、わたしにすっかりなついている」
オレにも、出来のいい弟がいる。灯台下暗しか。明日は、弟の家をあたるか。
「日馬さん、早くボックスをゲットしてください」
「宮古さん。すでにボックスはたくさん下に落ちています。いま調べます」
「お姉さん、歩さんから聞いたわ。お姉さんに脅されて仕方なく、ゆりかちゃんのいる場所を書いたメモをボックスに入れたって」
「宮古さん。妹さんがここにおられるのなら、娘さんの所在を記したメモはもう必要ないでしょう。お2人でよく話しあって解決すればいいじゃないですか」
「お姉さん、このひと、積み木崩しなんて技を使って、ボックスを次々にゲットしたわ。だれなの?」
「わたしの……カレよ」
力を見て、
「ねえ、力さん」
「……はい、そのつもりです」
力がボックスの1つを取り上げる。
「宮古さん。インクが付いているボックスというのは、コレですね」
「それ、そのオレンジボックスです。わたしにください!」
力はボックスを宮古に手渡す。
宮古、ボックスの蓋を開き、中からドラえもん人形とメモ書きを取り出す。
「これ、あんたの住所じゃないの」
「当たり前でしょう。ゆりかちゃんは2学期から、うちのほうの学校に行くの。いま転校手続きをしているところ」
「宮古さん、こんなところで言い争っていても仕方ない。肝心なのは、ゆりかちゃんの気持ちでしょう。ゆりかちゃんに会って確かめればいい」
「お姉さん、わたしが言った通りでしょう。周りはみんなそう言うわ」
「力さん、わたし、ゆりかを虐待した。だから、夫がゆりかを連れて飛び出したンです。ゆりかはわたしを嫌っている。でも、わたしは、あの子がいないと生きていけない」
「そういうことですか。琴路さんはどうして、そんなにゆりかちゃんにこだわるのですか。宮古さんのご主人と一緒になれば、こどもは授かれるでしょう」
「力さん、それがダメなんです。妹は体が……。わたしが運転しているときの交通事故がもとで。だから、わたしに責任がある」
「そうだったンですか。ボクの妻も、2人目は産めないと医者に宣告されています。妻にとっては、娘は宝なンです。その宝にボクは、クレーンゲームがうまくいかなかったりして自分が不機嫌になると、当たり散らしていました。どうしようもない父親です。宮古さん、どんな小さな暴力でも、手を上げたほうが負けです。娘さんのしつけのためにも、ここは妹さんに譲ったほうがいい」
「わかりました。わたしはやはり、母親失格です。琴路、元気でね。わたし、帰る」
「お姉さん、待って。わたし……もう……、いい。ごめんなさい。自分勝手でした。家に帰って、ゆりかちゃんの気持ちを確かめてみます。もし、それでゆりかちゃんがお姉さんと暮らしたいと言えば、明日、ゆりかちゃんを連れて行きます」
「琴路……、ありがとう。わたしのほうこそ、どうかしていた……、ゆりかにあげて……お父さんのプレゼントだもの」
そう言って、ボックスを差し出す。
「お姉さん。でも、カレは戻らないと思うわ」
「カレのことは諦めている。大酒飲んで亭主を殴る女房だもの」
「お姉さん、もっと早くこうして話をすべきだったのね」
「そう……でも、人間は行くところまで行かないと気がつかないことがあるから」
「お姉さん、じゃ」
「ありがとう。あなたも、気をつけて」
琴路、立ち去る。
「力さん、今夜、つきあってくださる?」
「エッ?……」
「いいでしょう? 独り者どうし」
「いいけれど……。ボクがここに来たのは、約束があったからだ。5分もすれば、彼女が来る。最後通告だけれど……」
「奥さんでしょう?」
「どうして、知っているンですか」
「お昼、フードコートで、わたしがあなたに退去を命じたことを覚えているでしょう。あれは、騒ぎがあったから、駆けつけたわけじゃないの。ある女性から、『夫とフードコートで待ち合わせているのですが、事情があって会いたくない。帰るように話して欲しい。夫はいつも、背中にゲーム機メーカーのロゴが大きく入ったジャケットを着ています』と電話があったから。そして、いまもわたしが定時で帰ろうとすると、同じ女性から、『昼間の夫から電話があって、午後5時半に5階のゲームセンターに来い。来ないと、娘に直接、会いに行くと言うンです。ですから、今度ばかりはわたしが出向きます。これまでご迷惑をおかけしてすみませんでした』と電話があったのです。ですから、わたしが来ることはなかったのだけれど、わたしには夫の残したオレンジボックスを確認する必要があったので、ここに来たわけ」
「ということは、女房はいまもどこからか、このようすを見ている」
「もう、あきらめたら。奥さんはもう帰ったはずよ。わたしがあなたを誘ったとき、あなたは断らなかった。奥さんはそのようすを見て、あなたの心根がわかったはずよ」
「あなたは女房に、そうしてくれと頼まれていたンじゃないのか。ボクのような男をきみのような美女が誘うこと自体、おかしなことだ」
「そうね。わたしはいま、男と遊ぶ気分じゃないもの。お芝居なんか、わたしのがらじゃないわ」
「ボクがきみの誘いを拒否していれば、女房は戻ってきたのか。そうだとしたら、きみを恨む」
「そんなことはありえないでしょう。女は、自分が納得したいとき、自分が求めている答えを得ようとするの。あなたがわたしの誘いを断っていても、奥さんの気持ちは変わらない。あなたが誘いを断っていたら、そのときは、もう一度、わたしに頼んでくる」
「女性って、そんなものですか」
「あなたは女の気持ちがちっともわかっていない」
「あなただって、男の気持ちがわからないじゃないですか。だから……」
「家族はバラバラになったといいたいの。そうよ。わたしはこれから一人で生きていかなきゃならない。わたしの家庭は崩壊したの。大切に1つ1つ積み上げてきた家庭だったのに……」
「ボクも妻子に捨てられた男です。もし、そんなボクでもよければ、もう一度、新しい家庭を築きませんか」
「エッ!?」
「こんどは、1つ1つしっかり積みあげて、すてきな家族の積み木を作ればいい」
「それはダメ」
「なぜですか」
「あなたは、積み木崩しの達人じゃない」
(了)
積み木くずし あべせい @abesei
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