4. 衝動――青薔薇の君かく戦へり

4-01

 触手翼で戻ってきたわたしの目に映ったのは、無残にも変わり果てた花園の姿でした。


「お、お姉さま……こ、これは一体――!?」


 わたしの腕の中のつぐみさんも戦慄を禁じえないご様子です。

 しかし、つぐみさんの疑問に答えるすべを、わたしは持っていませんでした。

 わたしたちのセント・フローリアに一体何が起こったのか――それは、わたしが聞きたいくらいなのです。


 倉庫での戦いの後、わたしは意識を取り戻した女生徒二人を前に、途方に暮れていました。

 お二人はとても衰弱したご様子でした。

 かといって病院に連れて行くのも難しいのです。

 宇宙生物にお詳しい病院の先生なんて、たとえお父様に頼んだところで見つけられるものではありません。


 そこへ、


「――ちょっと、あなたたち! ここで何をしているの!?」


 そう声をかけてこられたのは、スーツ姿の綺麗な女性です。

 その声には聞き覚えがありました。

 そう――音響探査で最初に拾った会話の、カップルの女性です。


「えっ……ひばり姉さん?」

「あら……つぐみじゃない」

「お、おい……ひばりさん! そんな不用心な……って、つぐみちゃん!?」


 カップルの女性――森野ひばりさんは、なんとつぐみさんの従姉妹だったというのです!


 わたしたちは彼女に事情をうまく説明することができませんでした。

 半壊した倉庫、意識のない女生徒と作業服の男性たち。

 常識的な説明なんてとても不可能な状況だったのです。


 しかし、彼女――ひばりさんは鷹揚にうなずくと、


「よくわからないけど、ここはあたしに任せときなさい。ほら、あなたにはやることがあるんでしょう? さっさと動く!」


 実にきびきびとその場を仕切ってくださいます。


「あらら……、すっかり課長モードに入っちゃってるよ」


 ひばりさんの恋人――凛がもう十くらい歳を取ったらこういう感じなのではないかという爽やかな青年でした――が肩をすくめてぼやきます。

 彼のスポーツカーは二人乗りでしたので、埠頭にタクシーを呼んで女生徒二人を安全な場所に避難させてもらうことにしました。

 この場合「安全な場所」というのも難しいのですが、花園に何かがあった以上、すぐそばにある学生寮に戻すのも躊躇われます。結局駅前にホテルを取っていただき、今夜一晩はそこで様子をみていただくことにしました。


 本当はつぐみさんにもそちらに行ってほしかったのですが、


「わたし、お姉さまについていきます!」


 と言って譲らず、近くまでという約束で連れて行くことになりました。


 その前に、ひばりさんに聞いてみます。


「……どうしてわたしを信用してくださるんですか?」

「だってあなたは、つぐみの見込んだ『お姉さま』なんでしょう? なら、信用できる。信用できる相手の言うことは信じるものよ。説明できることならあなたもつぐみも説明してくれてるはずだものね」

「……はい」

「ややこしいことなんて世の中にいくらでもあるし、そのすべてに納得のいく説明を求めてたら時間がいくらあっても足りないわ。時は金なり。聞かなくてもいいことは聞かないで済ませるのが、あたしの主義ってワケ。

 とにかく、あたしがあなたに望むのは二つだけよ。やるべきことをちゃんと片付けてくることと、あたしの可愛いイトコを無事に連れて帰ること」


 ひばりさんはそうおっしゃるとわたしに向かってウインクされました。

 何とも気っ風のいいお方です。わたしもよく知るあの方がなつかれるわけですね。

 わたしは感謝と敬意とを込めてひばりさんに頭を下げ、つぐみさんを連れて倉庫を後にしました。


 ――ちなみに、作業服の男性二人は、奇跡的に無事だったトラックの運転席に放り込んでおきました。目が覚めたら自力でお帰りになることでしょう。




 そして今。

 わたしはつぐみさんを抱きかかえたまま、上空から変わり果てた花園を見下ろしています。


『奴ら、これ以上は隠しきれないと悟って勝負に出てきたな』

「では……あれが全部――!」

『そう……ぶよぶよとした褐色のゲル、だ』


 わたしは背筋が凍る思いがしました。

 わたしたちの愛する花園は、得体の知れない宇宙生物に呑み込まれていました。

 一般棟、特別棟、体育館、大講堂を含む一帯が、ぶよぶよとした褐色のゲルに覆われています。低層階は完全にゲルに埋まり、高層階の窓からはゲルがぶよぶよと零れだしている有様です。先ほどの倉庫のマザーゲルと同様、ゲルは赤と紫の間を揺れ動く色調の、不気味な妖光を放ちながら蠢いています。


「……あそこにいた生徒たちはどうなったのですか?」

『おそらくはゲルに取り込まれているだろう』

「生命の危険は……?」

『すぐにどうにかなることはないが、地球人類にとっては心身ともにストレスのかかりすぎる状態だ。一日以内に――いや、半日以内に助け出さなければ何らかの後遺症が残るかもしれない』

「後遺症?」

『中枢神経系の混乱だ。具体的には昼夜を問わず夜空を見上げ、宇宙の彼方にいるぶよぶよとした褐色のゲルを恋い慕ってチャネリングをくりかえすようになる』

「それはまた嫌な後遺症ですね……」


 花園の乙女にそんなことをさせるわけにはいきません。


『……私はあれを倒さねばならん』


 ホンダさんが言いました。その言葉の背後には、口には出しづらい事実が隠れています。


「わたしも行きます」

『……すまない』


 そうです。わたしとホンダさんはいまや一蓮托生なのです。

 それなのにホンダさんは、この期に及んでもわたしを戦いに巻き込むことを気兼ねしているのです。


「構いません。元はといえば、ホンダさんに救っていただいた命です。それに――」

『……それに?』

「あれは、わたしの学園なのです」

『……そうか。聞くだけ野暮だったな』


 顔がないのでわかりませんが、ホンダさんは苦笑されたのだと思います。


「……お、お姉さま? 一体、どなたと話していらっしゃるの……?」


 わたしの腕の中に抱えられたつぐみさんが、少し怯えた様子で聞いてきます。

 ああ、そうでした。ホンダさんの声はわたしにしか聞こえないのです。


「わたしは大丈夫です」


 と言いましたが、この場合あまり説得力はないような気もします。


「わたしはあれと戦わなければなりません。礼さまも、おそらくはエリス様も、まだ花園の中にいらっしゃるはずです」


 放課後も遅い時間でしたから、そんなにたくさんの生徒は残っていなかったと思うのですが、それでも少なからぬ生徒や教職員があの中に取り込まれているはずです。


「そんな……!」


 つぐみさんが悲痛な声を上げます。


「わたしには、この力があります。できることがあるのに、逃げ出すわけには参りません。ましてやわたしは青薔薇の君なのです」

「そんなの……関係ないじゃないですか! に、逃げてください! いえ、一緒に逃げましょう! あ、あんなの……あんなのと戦わなくたって、誰もお姉さまを責めたりしません!」


 わたしは答えず、つぐみさんを花園から徒歩五分のところにある寮の屋上へと下ろしました。


「お姉さまぁっ!」


 そのまま立ち去ろうとしたわたしに、つぐみさんがすがりついてこられます。

 わたしは振り返り、つぐみさんに向かって微笑んでみせました。


「大丈夫ですよ。青薔薇の花言葉をご存じ?」

「……は、はい」


 不可能、ありえない。

 自然界には存在しない青い薔薇の花言葉は、まさに今の状況を象徴しているようでもあります。しかし――


「それでも人類は、青い薔薇を作り出してみせる程度には、進化してきたのです。不可能を可能にすることこそが、青薔薇の君としてのわたし――深堂院志摩の使命なのですよ」


 そんな風に格好をつけて、わたしはつぐみさんの腕をふりほどきました。


「……絶対に戻ってきます。わたしはあなたのお姉さまなんですから」

「お姉さまっ!」


 つぐみさんの声を振り切って、わたしは触手翼を羽ばたかせます。


「絶対に――絶対に! 帰ってきてくださいませ――っ!」


 つぐみさんの言葉に力を得て、わたしは三度、夜空へと舞い上がっていったのです。

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