38.桜塚猛、ロイド・クレメンスと邂逅する

「ロイド……なのかい?」


 ミランダが、目の前の老人に向かって言う。


「ああ。そうだ。ちょいと老け込んじまったが、ロイド・クレメンスだよ」


 そう言って、ロイドがわしの顔で笑う。


 ロイドの仲間たちがロイドに駆け寄る。


「ロイド! ったく、心配かけるんじゃないよ!」

「ロイド! よく戻ってきたわい! がはは、今日は祝い酒じゃ!」

「無事でよかった、ロイド。聖櫃を奪われた時はどうなることかと……」


 ロイドの仲間たちが「わし」をもみくちゃにする。

 ……それにしても、出会い頭に「老け込んだ」とは失礼な奴だ。


「……わたしのことも忘れないでほしいのだけれど」


 玲瓏たる少女の声に、皆の視点が一点に集まる。

 崩れ、砂の山と化した聖櫃の上に、いつのまにかひとりの少女がたたずんでいる。

 長い銀髪とルビーの瞳。フリルの散りばめられた紫のドレス。

 年格好だけなら14、5歳の少女に見える。

 ドレスは年齢に見合わない大胆なもので、襟周りが大胆に空いている。

 よほどの美女でなければ尻込みしそうなドレスだが、少女の人間離れした美貌の前に、引き立て役にしかなれていない。


「オスティル様!」


 エルフの大老と、その護衛たちが床に膝をつく。

 ジュリアーノもそれに続くが、他の面子はどう対応したものか決め兼ねて棒立ちになっていた。


「楽にしていいわ。今は時間もあまりないのでしょう?」


 少女の言葉に、大老が応じる。


「そう言っていただけると助かります。それにしても、これは一体何が起こったのです? あなた様とタケル・サクラヅカ――いや、タケル・サクラヅカの身体に宿ったロイド・クレメンスは異世界にいたのでは?」

「そうね。まずは、その説明からでしょうね」


 オスティルがロイドに目配せをする。


(妙な気分だな)


 七十の老人である自分の容姿をした男に、少女にしか見えない女神が、親愛の情のこもった視線を送っている……というのは。


 オスティルと、わしの姿をしたロイド・クレメンスから話を聞くために、わしらはテーブルを元に戻し、改めて席に着く。

 上座はオスティル、角を挟んだ隣にロイドが座る。その隣にはミランダ、ジュリアーノ、アーサーが座り、わしはやや居心地悪くその隣に腰かける。

 その反対側には、サヴォンの領主クラークとエルヴァの大老、発明のカンパネラ、ザハルド、キャリィ嬢が着席する。エルヴァの護衛や領主の兵は部屋の壁際に立ったままだ。

 食堂に茶を運んできたメイドが、領主が上座にいないことに驚いていた。


 オスティルは運ばれてきたお茶請けの焼き菓子を食べ、ティーカップに口をつける。

 そして、小首を傾げる。


「……まぁ、この世界の水準ではしかたないわよね」

「おい、失礼だろ。っていうか、おまえの世界だろうが」


 つぶやくオスティルを、ロイドがたしなめる。

 二人以外に二人のやりとりの意味がわかったのは、この場ではわしだけだろう。

 日本の菓子や茶の方が、サヴォンのものより味がだいぶ上なのである。


 わし以外の者たちは、むしろ、ロイドとオスティルの親しげな様子に驚いたようだ。


 探るような視線をものともせず、オスティルが口を開く。


「まず、こちらの置かれていた状況から説明するべきでしょうね」


 二人以外の一同がうなずく。


「……でも、面倒だわ。ロイド、お願い」

「おい」


 いきなり投げられ、ロイドがオスティルを横目で睨む。

 ロイドがため息をついて語りはじめる。


「俺と、そこにいる桜塚猛がコンジャンクションという外宇宙的現象によって魂が入れ替わった……ここまではわかってるよな?」


 ロイドはちらりとキャリィ嬢に目を向ける。

 たしかに、彼女がこの場にいるのは彼にとっては不思議だろう。

 その視線をどう解釈したものか、キャリィ嬢は微笑み、それを見たオスティルがロイドの足をテーブルの下で蹴っている。神の無作法に気づいたのはわしだけだったようだ。


「俺とオスティルは、異世界……ええっと、世界自体の名前がないんだが、とりあえず地球と呼ぼうか。その地球でオストーの生み出したダンジョンを攻略し、オストーを探し続けた」

「地球にダンジョンだと?」


 わしは思わず聞く。

 ロイドがわしを見て言う。


「じいさんたちは見てるだろ? ほら、俺が横浜ランドマークタワーを攻略してた時のことだ」

「ああ、夢見の宝珠で、ワイヴァーンと戦っているのを見てはいるが……」


 あれはランドマークタワーだったのか。

 葉子と行ったことがあるが、あそこの展望室はもっと狭かったような気がする。


「そうか。ダンジョン化しておったのか!」

「そうそう。地球はグレートワーデンよりずっと文明が進んでてな。巨大な建築物があちこちにあった。もしグレートワーデンにあったら、オストーが手出しするまでもなく自然にダンジョン化しちまいそうな規模の建物がごろごろある」

「それはまた……すごい世界じゃの」


 アーサーが感心する。


「ああ、実際すごいぜ? たとえば、テレビってもんがあってだな……」

「ちょっとロイド。土産話は後にしてちょうだい」

「おっ、わりわりぃ。とにかく、俺とオスティルは地球上に発生したダンジョンを攻略していった」


 オスティルにつっこまれ、話を戻すロイド。

 わしが聞く。


「わしの身体でか? 自分で言うのも何だが、とくに鍛えてもいない七十男の身体だぞ?」


 わしの疑問に、ロイドがうなずく。


「たしかに、元の身体に比べると、運動面ではキツかったけどな。でも、桜塚のじいさん、あんたの身体はほとんど魔力の泉だぜ。いくら魔法を使っても魔力の尽きる気配がねぇ。おかげで、魔力を潤沢に使って戦えたから、戦いに関しちゃ元の身体より楽だったくらいだ」

「なんだと……わしの身体が?」

「まったく、宝の持ち腐れだ。じいさんがグレートワーデンに生まれてたら、稀代の魔導師として名を馳せただろうに」


 ロイドが肩をすくめる。


「……また話が逸れているわ」

「ああ、そうだった。俺はじいさんの魔力を使って、ダンジョンを攻略し、ついにオストーを追い詰めた……と思ったんだけどな。それはオストーの罠だった」

「わたしが甘かったわ。オストーがわたしに対する何の備えもなしに動くはずがなかったのに」

「そりゃしょうがないって。俺とオスティルは、オストーとともに、聖櫃の力でこの世界に引き戻された。だが、魔導師ナザレによって聖櫃は書き換えられていた。そのせいで封印されたのはオスティルと俺だけ、オストーは野放しになっちまった」

「でも、それで終わりではなかったわ。ナザレはコンジャンクションによって外なる宇宙の力を手に入れていた。その力を使って、オストーを捕らえ、ナザレはオストーを捕食した」

「……その話は、ナザレ自身に聞かされた。やはり事実だったのか」


 と、ジュリアーノ。


「なんだって! もうナザレと接触したのか!?」

「よく無事だったわね」


 ロイドとオスティルが驚く。

 ミランダが苦い顔で答える。


「たぶん、見逃されたんだろうね。どうせ何もできないから放っておけってことさね」

「ちょっと待ってくれ。一体こっちでは何が起きてるんだ?」


 混乱するロイドに、主にジュリアーノが、こちらで起きた出来事を説明する。

 ナザレによる聖櫃の奪取。

 モンスター軍の襲来。

 隣国ドロモット軍の合流。

 そして、サヴォン内部で起きている黒旗こっき派と抗戦派の対立。

 ナザレの狙いが、サヴォンを内部で争わせることにあるのではないかというキャリィ嬢の推測も併せて伝える。


 オスティルが言った。


「その推測は当たっているでしょうね。オストーはサヴォンを地獄の釜にするつもりなのでしょう」

「地獄の釜?」


 領主クラークが聞き返す。


「神は、言われるほど万能の存在ではないの。人々からの信仰があってこそ、強い力を発揮できる。オストーは信仰を得るためにサヴォンに危機を作り出そうとしているのだわ」

「どうして、サヴォンを危機に陥れることが、オストーへの信仰につながるんだ?」


 ジュリアーノが聞く。


「人は、幸せに暮らしている時は善き神の存在を信じられる。でも、目の前に地獄のような光景が広がっていたら?」

「……悪しき神がいるからこそ、このような事態になったのだと思うわけか」

「単純にいえば、そういうことね。もちろん、例外はあるわ。たとえば、これは神の与えた試練なのだという教えが出回っていれば、悪しき神への信仰は必ずしも強化されないわ」

「ふむ。地球の一神教には悪しき神を認めないというメリットがあったわけだな」


 オスティルの言葉に、思わずつぶやく。

 オスティルがわしを見て言う。


「そうね。逆に、多神教のように、神をあらゆる形に分解することで、一柱いっちゅう一柱の影響力を削ぐという方法もある。神などいないという無神論もあるけれど、その場合は、前提として、科学が発展し、世界全体に普及している必要があるでしょうね」

「一部の仏教のように、神仏など存在しない、という立場もあるが……」

「おいおい、タケル。そういう話は後にしてくれんかの?」


 つい興味を惹かれてしまったわしに、アーサーが言う。


「おっと、すまん。とにかく、ナザレの目的は、サヴォンを地獄の釜とすることで効率よく信仰を集め、自分の神としての力を増大しようということなのだな?」

「ええ、そうよ。サヴォンはおそらく実験ね。ナザレはサヴォンでの結果を踏まえて、他の都市、他の国でも同じことをやるつもりでしょう。実際、オストーが地球にダンジョンを造っていたのも同じ理由からよ」

「なるほどな……」


 わしがつぶやく。

 他の者たちも、めいめいにうなずいている。


「話が逸れたな。ナザレはオストーを吸収した。その時に、ナザレは俺とオスティルの封じられた聖櫃を、外なる宇宙へと流してしまった」


 ロイドが話を元に戻す。


「外なる宇宙というのは何なのだ?」


 大老が聞く。


「俺に聞かれてもわかんねぇよ。あとで時間ができた時にオスティルに聞いてくれ。もっとも、オスティルにもわからないことが多いみたいだけどな」


 話を向けられたオスティルがうなずく。


「外なる宇宙で、わたしはわたしの母……のような存在に出会ったわ」

「オスティル様の、母上ですか?」


 大老が驚く。


「正確には違うのだけれど、今はそのようなものと理解してちょうだい。とにかく、彼女と情報交換をして、グレートワーデンに戻る方法を模索することになった」

「外なる宇宙は、広漠たる魂の海……なんだそうだ。桜塚のじいさんならわかるだろうが、宇宙ってのはとんでもなく広いだろ?」

「ああ、そうだな」


 観測できる範囲だけでも、100億光年を超える広さがあったはずだ。


「外なる宇宙ってのは、そういうそれぞれの宇宙をさらに包摂する『宇宙』なんだ。どうも物理的な空間ですらないらしくて、広さという概念自体が適用できないとかなんとか言ってたぜ」

「途方もない話だな。……いや、待て。ロイド、おまえたちはそこから戻ってきたというのか? どうやって?」


 わしの疑問に、ロイドとオスティルが顔を見合わせる。


「たしかに、外なる宇宙は大きすぎる。そこからグレートワーデンに戻れるのは、銀河から針を一本見つけ出すような、限りなくゼロに近い確率になるんだと」

「でも、わたしたちとグレートワーデンをつなぐ『つながり』があれば話は別よ」

「つながり……? オスティルがグレートワーデンの神であることか?」


 わしの言葉に、オスティルが首を振る。


「違うわ」

「じいさん、あんただって当事者なんだぜ?」

「ん? ということは、まさか……」

「そう。俺とじいさんの魂は入れ替わってる。フラクティカ……ええっと、オスティルの『母』によれば、俺とじいさんの魂はコンジャンクションによってもつれてる状態なんだと」

「魂のもつれをたどる力を、わたしはコンジャンクションによって『母』から授かったわ。そして、もつれをたどることで、グレートワーデンに戻れないかと思った」

「それで、宝珠を鳴動させたのですな?」


 大老が言う。


「ええ。もつれをたどるには、グレートワーデン側からももつれを刺激する必要があったから」

「聖櫃はいつ壊れてもおかしくない状態だった。ギリギリで間に合ったな」


 笑うロイドに、居合わせた皆が言葉を失う。

 途方もない話だが、神を目の前にしているだけに、疑う者は誰もいない。


 ロイドが言う。


「それより、今の状況だ。自由を愛するサヴォンの冒険者が、『魔王』に従うだって?」


 憤懣やるかたない様子のロイドに、ミランダが言う。


「《爽原そうげんの風》が火あぶりにされたんだよ。Sランクが全滅する相手にどうやって立ち向かえばいいのか。実力のある冒険者ほど、現状が絶望的に見えるんだろうね」

「《爽原の風》が!? くそっ、でも、相手がナザレならありうるか……」


 ロイドが悔しげに奥歯を噛む。

 隣りにいるアーサーがわしに囁く。


「……ロイドも駆け出し時代に《爽原の風》には世話になっているのだ。サヴォンの冒険者にはそういう者が多い」

「なるほど。傑出した冒険者だったのだな」


 その実力を知られているだけに、一部の冒険者はそれを下したナザレに恐怖を抱き、

 その人格が慕われているからこそ、他の冒険者はその弔い合戦に進んで身を投じようとする。

 最期は非業の死を迎えたが、彼らのように生きられる人間が、一体どれほどいるだろう。


 ロイドが言う。


「ちくしょう! せっかく戻ったってのに、サヴォンがこんなじゃナザレと戦えねえ」

「何? では、ナザレと戦う策があるというのか?」


 わしが聞き返す。


「当然だろ。オスティルがいれば、ナザレの持つオストーの力は封じることができる。あとは神の力を失ったナザレを倒すだけだ」

「待て。たしかにそれは朗報だが、ナザレ自身も決して弱くはないのだぞ。いや、むしろ強い。数百年を不老のままに生きた魔導師で、悪魔を召喚することもできる」

「んなもん、人間の範疇だろ。サヴォンの冒険者にも手伝ってもらえば、今の俺なら十分対抗することができるはずだ」


 自信満々に言うロイド。


「わしの身体の持つ魔力というのはそれほどのものだったのか?」

「それもあるが、この武器だよ」


 ロイドは日本刀とワンドを机の上に置いた。


「この日本刀は……わしが史学部の友人にもらったものではないか」

「ああ、そうだった。勝手に使って悪いな。なにせ、日本じゃ武器が全然手に入らなかったから」

「それは構わんが……その日本刀と杖がどうかしたのか?」


 わしの質問には、オスティルが答えた。


「コンジャンクションを起こして、外なる宇宙の力を宿してあるわ」


 オスティルの言葉に、皆が刀とワンドに視線を注ぐ。

 じっと見ていると、刀とワンドがゆらり、と揺れたように見えた。

 しかしそれを見定めようと目を凝らすとゆらぎはいずこへともなく消えてしまう。


「こいつで斬りつければ、ナザレを神の力ごと斬り裂くことができる。ワンドも同じだ。魔法に、神を殺すための特別な属性を付与することができる。神という存在の次元に到達したナザレには、たとえオスティルが力を封じたとしても、通常の攻撃ではダメージを与えられないんだ」

「なるほど……チャンスさえあれば、ナザレを倒すことは可能なのだな」

「ああ」


 ロイドがはっきりとうなずく。

 食堂にいる皆の目に、希望が宿るのがわかった。


 領主が言う。


「しかし、そこで問題となるのがサヴォンの状態か。このままでは内戦すら起こりかねん」

「抗戦派の首を取った者は特別に見逃してやろう……などとナザレが言い出したらこと・・じゃわい」


 アーサーが身を震わせる。


「え、縁起でもないことを言うな!」


 と、怒り出したのは元副ギルドマスター・ザハルド。

 横領などやっていたわりには気の小さい男である。

 隣に座るキャリィ嬢がザハルドの座る椅子の脚を蹴飛ばし、ザハルドを黙らせる。

 その様子に、何も知らないロイドが面食らい、ミランダとジュリアーノが困った顔をする。


 大老が言う。


「オスティル様が姿を現し、皆を説得することはできないのですか?」

「神が大勢の前に姿を現すには大きな力を必要とするわ。オストー……いえ、ナザレとの決戦を前に、力を消費したくはないわね」


 オスティルの言葉に、皆が唸って黙り込む。


 わしはしばし考える。


(ロイドが男を見せたのだ。わしもただ黙って見ておるだけではいかんだろう)


 わしが、今このような形でこの場にいるのも、何かの運命だ。

 もっとも、その運命を決めたのは、神ではなかったようだが。


 わしは心を決め、口を開く。



「――その件、わしに任せてはもらえないか?」

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