わたくし辺境伯。~魔王討伐後貴族は没落!お屋敷賃貸で不労所得。没落貴族の大逆転劇!…のつもりでしたわ!
夜灯見灯夜
第1話 没落貴族と錬金術
こんな粗末な荷馬車に乗るなんて、貴族には到底ふさわしくありませんわ!
そう、ロックハート辺境伯には。けれど、いまの私にはこれがお似合い。
放蕩娘のソフィア・ロックハート嬢。生成りのワンピースと麦わら帽子。
まるで、田舎娘のよう。懐中時計は午後三時を指しているがお菓子の1つも出てこない。
「ねぇ、ジーヤ。私、反省しておりますの……」
「……反省しても使用人たちは戻っては参りません。ソフィアお嬢様」
「わかっておりますわ、そんなこと! 私が全部悪い! ええ、それで結構!」
ジーヤにもついに愛想をつかされてしまった。一年間、毎日ドレスを買い続けた。365枚のドレスがクローゼットに収まりなくなった時ついに堪忍袋の緒が切れてしまったのでしょう。お気に入り数枚を残して全部質に入れてしまいましたが……
ジーヤは私の家に古くから仕える名家、オルデンバーグ家の執事長。
今日まで私の側に仕えていたが家の招集により私の元を離れる。
最早、ロックハート家に仕える義理はないと判断されたのでしょう。
荷馬車の中に気まずい沈黙が流れる。もう私と眼も合わせてくれない。
昔はとっても優しかったのに。
昨日まで寝ていた羽毛のベッドはもう無い。
丸まった牧草に身体を預け、ふて寝をして到着までやり過ごす。
ああもう! チクチクして痒いったらないですわ!
街道を半日荷馬車に揺られて辿り着いたのは懐かしい場所だった。ロックハート家の最後の遺産、私が幼い頃幾度も訪れたお屋敷はひどく寂れていた。蔦に覆われた壁、苔むした外壁。荒れ放題の庭。これではまるで魔女の館だ。東屋の風見鶏も錆びきって動かない。
「お嬢様、これは少しばかりの心遣いです」
私の手を握るように手渡された麻袋には銀貨が数枚入っていました。
これで何日ご飯が食べられるのか、私には判断もつかない。
ジーヤを乗せた荷馬車は、御者が馬を鞭打つと遠くへ消えてゆく。
私は一人、ロックハート家の退廃の象徴とでも言うべきこの屋敷に戻って来ました。
雑草が伸び放題の庭先に小さい頃乗っていたブランコがまだある。これは父が作ってくれたもの。ロープも乾いて、木も大分煤けていたがまだ座れる。椅子がわりに腰かけて庭を見渡す。思い出すのは幼き日の思い出。今はもう取り戻せない宝物のような日々。幼い頃、時代がこれほど移り変わるとは考えもしなかったのですわ。
”魔王討伐”は歴史的な大事件でした――
各地から集められた諸侯英傑と英雄の手によって魔王軍を退け、ついに魔界の君主たる魔王を討伐することに成功しました。各地を襲う魔族たちの侵攻を止めることが出来たのは歴史に残る転換期だったのです。
人類が魔王は「魔族の王」ではなく「魔力の王」だと気が付いたのはその後。
かつて貴族はその血に魔力を宿していた。その力によって領民を守り、統治することが認められた。だが魔王が消え去った今、世界全体の魔力は半減し貴族や魔導士の地位は失墜した。戦争の終結によって人間と亜人、知性を持つ魔族たちの軋轢は徐々に消えつつある。様々な種族の代表が集まる評議会では、これからの世界の在り方が日々議論されているという。歴史に取り残された私たち貴族は「なんか偉そうな昔の地主」に成り下がったのです。
ロープが軋む。ブランコの乾いた木が割れ、私は地面に尻もちを突く。
咄嗟に突いた手に砂利が手のひらに擦り傷を作った。
辺りを見回しても使用人は誰もいない。もう、誰もいないのだ。
白いハンカチーフで血を拭うと僅かな痛みが走る。
傷の痛みが解るのは、傷ついた瞬間ではなくそれを拭い去ろうとする時だ。
昔だったら待女たちが総出で手当てしてくれただろう。
――――あの頃の私が、いかに何も分かっていなかったのか、今となっては痛いほど分かりますわ。
お父様が失踪し、事実上ロックハート辺境伯の地位を継いだ私は贅沢三昧な三年間を満喫した。言い訳をするなら現実逃避だ。お父様は必ずいつか戻ってくる。ロックハート家は没落などしないと、そう信じていた。
お父様がいないのなら好き放題できましょう!
お父様が好き勝手生きるなら、私も好きにさせていただきますわ!
毎日、ドレスを買いましょう!
ティータイムは王国でも一番のスイーツを取り寄せましょう!
王家御用達の肖像画家に肖像を描かせましょう!
今日も明日も舞踏会! 明後日は晩餐会!
私はロックハート辺境伯、北方を治め討伐戦線を支えた貴族なのですからっ!
贅に贅を尽くして、ロックハート家は健在だと知らしめてやらなければ!
招待した豪商や郵便局長たちはきっと私を陰でせせら笑っていたに違いありません。
辺境女伯はとんだ痴れ者だと、愚かな娘だと。
私は何も理解していなかった。
勇者の英雄譚は私が聞いても十分に耳を楽しませてくれるものだったのです。
彼らが貴族政治を終わらせるとはその時は知る由もありませんでした。
戦争終結を祝って街では貴族主催の式典まで開かれていたのですから。
お父様は気が付いていた。
貴族の社会が終わる事を、そしてそれを私に告げず一人で失踪した。
お父様はいつもそうだ、私には何も相談してくれない。
どうして私を連れて行って下さらなかったのでしょう。
例え辛い旅路でも一番近い家族でしょうに。
残されたのはこのお屋敷だけ。錆びついた錠前はまだ一応開けることが出来た。
人の気配はない。ジーヤ曰く、管理を任されている方がいるはず――
ランプに灯りを灯すと屋敷は荒れ果てていた。
蜘蛛の巣がそこかしこに、木製の家具は脚がガタガタ。
絨毯は染みだらけ、雨漏りが水たまりを作っている。
ネズミかリスが駆ける音も聞こえてくる。窓枠をなぞると指に埃が付く。
全く! 管理人は何をしておりますの?
庭が荒れ放題でも中は綺麗かと期待しておりましたのに。
月明りが差し込む部屋のソファに腰かけると思い出されるのは懐かしい日々の思い出。あの頃は良かった。世界が輝いて見えた。暖炉を囲む親戚たち、晩餐は近隣の村々から捧げられたお肉やお魚にお野菜。
この街のトマトはとっても甘くて、市場のものとは品が違う。
デザートは一人では食べきれないほどのプリン・ア・ラ・モード。
一流シェフが時間をかけて煮込んだ鹿肉のデミグラスは毎年恒例の御馳走でした。
ああ、それを思い出すだけでお腹の音が鳴りやまない!
「はぁ……お腹ぺっこぺこですわ」
馬車酔いするからって食事をとっておりませんでした。軽く眩暈が致しますわ。
それに、なんだかジーヤにもお願いできる雰囲気ではありませんでしたし……
街に降りる元気はないし街道を歩いていたら街に辿り着くのは夜遅く。
野党や獣と遭遇しないとも限りません。そういえば馬車も御者おりません。
一体、これからどういたしましょう!
昔の記憶を頼りにキッチンに向かっても使われている気配はない。
缶詰めの空が数個置かれているだけ、誰かが居た気配に安堵する。
缶詰……缶詰ですか。確か、西廊下の端に地下室があるはずです。
そこにはワインや保存食が沢山あるはずですわ!
そうそう! ここ! ここですわ!
昔、かくれんぼをして私の勝利だと思っていたら。
使用人総出で捜索をしてひどく怒られましたわね。
今はもう――
いいえ! 過去は過去。頬を両手でうち気持ちを切り替えましょう。
落ち込んだって仕方がありませんわ!
まずはお食事! 保存食で清貧なディナーと致しましょう!
お父様のお夜食のようでちょっと憧れがありましたの!
今はもう――
お父様もおりませんが。
重い木の扉を開け石造りの階段を下っていくとランプの灯がこぼれている。
誰かおられますの? ジーヤが言っていた管理人さんかしら?
地下室を覗き込むと記憶とは全く違う景色が広がっていた。
古い本と奇怪な実験器具……でしょうか? 魔獣のはく製に、物々しい魔道具まで!
本棚の影からに人の声と犬の呻き声のようなものが聞こえます。
「その足音は客人ですかぁー? 今ちょっと本に両手を噛まれていてぇ」
何を言っているのだろう。
「手が離せません!」
両手を噛まれているならそれはそうだろう。
仕方ない、こちらから行ってあげるとしましょう!
おそるおそる近づいて、意を決して本棚の裏を見ると、ぼさぼさの髪の青年が手首を本に噛まれていた。床に血だまりが出来ている。
「貴方、大丈夫ですのっ?」
「大丈夫に見えますかぁ~? 本の背表紙を13回撫でてくださいねぇ」
細かい牙が並ぶ怪しげな本。これに触れというの……?
震える手で背表紙を撫でてやる。ゆっくり、丁寧に。
本は唸り声を止め、ゴトリと音を立てて床に落ちる。
「はぁ、助かりました。ところで君は何者です?」
君なんて呼ばれたのは初めてだった。
今の姿が貴族に見えないのだから仕方ないでしょう。
「私はソフィア・ロックハート辺境伯! この屋敷の主です!」
…
「ふぅん?」
青年は首を傾げるだけだった。怪しい緑の液体を傷口に塗りたくると手にぐるぐる包帯を巻いて先程の本を拾いあげると読書をはじめる。薬の調合をはじめ赤い液体が青色に変わるまで私は立ち尽くしていた。本と書類だらけの乱雑なデスクに両手をたたきつける。
「聞こえなかったかしら? 私はロックハート! この館のしゅ!じん!」
「聞きましたよ、それで何か御用で?」
青年は慎重に軽量スプーンで黒い粉を掬っている。
私確かに貴方の言う通り、本を撫でて差し上げましたよね?
それなのになんという礼儀知らず。
「そちらも名乗るのが礼儀でしょう?!」
「そうでしたねえ、でも手が離せないんですよ~」
青年がフラスコを回転させるごとに赤白黄色と色が変わる。
「……あー、これはやばいかも知れませんね~」
まるでそこに太陽が生まれたかのような白い閃光。
私は咄嗟に目を手で塞ぐと、キンとした爆発音が響き渡る。
辺りは刺激臭と黄緑の煙に包まれて思わず咳き込んでしまう。
「ゴホッ……コホッ、一体何してるんですの人の家で!」
「はぁー、また失敗ですね~。やっぱり元の魔力が足りないか」
……また無視ですわ!
「いい加減に話を聞きなさい!」
青年は癖毛の髪をわしわしとかきあげ、割れた眼鏡と白いローブの襟を正す。
煤だらけの顔だが目鼻立ちは整っていた、目元の隈と猫背が気だるげな印象を高めている。
「私は、ヴィクター・フォルゲート。錬金術師とでも言っておきましょうかね?」
錬金術。魔術の一種でしょうか?
「レンキンジュツって……一体なんですの?」
聞いたことも無い言葉だった。これでも色々とジーヤに厳しく教えられましたのに。
「魔法と科学を組み合わせて物質やエネルギーを変成する術、ですかねぇ」
相変わらず滔々と答えるが、その声には僅かに子供のような無邪気さを感じる。
「科学? エネルギー? よくわかりませんわ」
「たとえば。鉄屑から金を作ったり、旧き魔法の復権の一助となるやも……」
鉄屑から金を!
「つまり金が作れれば一攫千金も夢ではないと!」
もし鉄屑が金になるならば、貴族の復権も出来ましょう!
ヴィクター・フォルゲート。不思議な人物ですがこれは素晴らしい出会いやも!
ヴィクターはため息をつくと小馬鹿にしたような目つきで微笑む。
その薄ら笑いはなんなのでしょう。
「即物的ですねぇ。まだ絵空事に過ぎませんよ、この惨状を見てください」
散乱した極彩色の液体が当たりに飛び散り、まるで錯乱した画家のアトリエのよう。研究の成果が出るのはまだまだ先、或いはその研究は成就しないのやもしれません。
「ロックハート卿。あなたにお勧めの錬金術なら他にございます」
貴族とはいえ世界的に魔力は失われてきている。
剣を振るう立場ではない私は魔術の研鑽をしたことなどなかった。
「私に魔術の心得はありませんわ……」
貴族の女性でも、防衛術や人によっては戦線に立つために魔術や剣術の心得がある人間もいた。全ては私の努力不足、家柄や地位を失ったら私には何の才能もない。
「魔術の心得など無くて結構。ここでいう錬金術は家賃収入による不労所得です」
不労所得! なんと甘美な響きでしょう! そう、貴族が労働に勤しむなど優雅でない!
「この屋敷の各部屋を住居として賃貸して家賃を取るのです」
なるほど、領民から徴税するのと同じこと。しかし、この博士だけでも十分に怪しいのに赤の他人がいる屋敷に住まうなど。私にできるのでしょうか?
「何事にも実験と実証は必要です」
幾度も幾度も挑戦して、やっと一筋の成功をつかみ取る。これは研究者である彼だからこそ言える言葉だ。わかりましたわ、いいでしょう。私、決意いたしました――
ビシリと指先をヴィクターに向け言う。
「やってみましょう。ヴィクターさま。方法を教えてくれて構いませんことよ」
「えぇ? 僕も協力するなんて一言も言ってないですよ?」
指先は宙を指さし、ヴィクターは毛布にくるまりソファに寝転んでいた。
……ああ、やり方まで教えていただけるわけではありませんのね…?
――それにしてもお腹がすきましたわ。
揺らぐ視界と鈍い痛み。
地下室の冷たい床の感触と駆け寄る足音を最後に私の記憶は途切れた。
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