月翳る夜に
◆
月影昏く。
草木も寝静まる刻限に、ゲドスは宿を出て行った。
フィルスはぐっすりと休んでいるが、深く眠っているかどうかを確認する必要はない。
冷たい土の中で死者が安らかに眠る様に、深く深く眠っている。
月の魔術である。
足取りは密やかだが、弱々しくはない。
行くべき方向、やるべき事を決めた者特有の力強さがある。
獲物を視界に収めた野獣が、必殺の気配を纏って忍び寄っていくそれによく似ていた。・
◆
ルーサットの街は冒険者の街というだけあって、宿泊施設が多くある。
勿論それだけ多くあっても冒険者の数が多すぎるので足りなくなってしまうのだが。
そして中には富裕層向けの高級な宿もあり、ローレンツはその内の一つを常宿としていた。
・
・
衣一枚纏っていないローレンツがベッドに腰かけ、けだるそうに煙管を咥えている。
ただそれだけの所作だが、この男がやると妙に絵になっていた。
"麗剣の" ローレンツ──上級三位の冒険者にして勇者としての選定を受けている。
元はと言えば下級の貴族家の三男坊だが、家を存続させるためのパーツとしての人生に反発を覚え、領を出奔した。
ローレンツは貴族としての教育の一環として剣技が達者であった事を活かし、冒険者になった。
そしてみるみる内に昇級──しかし、最初は努力家だった彼だが、等級が上がる毎に傲慢になっていった。
そんなある日、パーティを組んでとあるダンジョンに向かった所、思わぬ強敵とであって逃走をすることになる。
──『この役立たずを囮にしましょう』
そう言ってローレンツは荷物持ちの男の脚に斬りつけた。
──『ちょっと!?何をするの!』
──『バカですね、こいつを囮にして逃げようといってるんです。彼は足が遅く、出口はまだ先だ。あの化け物も足が遅いですが、私の見立てでは我々が出口にたどり着く前に追いつかれます。戦っても勝ち目が薄い……となれば、こうするしかありません。彼も元はと言えば我々に奉仕するために雇われたのですから、役目を全うできて本望でしょう』
酷く合理的に考えれば、ローレンツの提案は悪いものではなかった。
パーティの中で最も戦力に欠ける者を生贄とし、残された全員が助かるというのはアリといえばアリではある。
しかしこういった提案は、何を言うかよりも誰が言うかが問題なのだ。
ローレンツは適任ではなかった。
──『だったら……貴方がやりなさい!』
──『なっ!?』
パーティのリーダーが急にローレンツに斬りかかった。
戦力になるからこそ性格に難があっても受け入れていたのだ。
独善的なのはいい、プライドが高いのもいい、しかし仲間を仲間と思わない者は害でしかない。
そうしてローレンツが逆にダンジョンに置いて行かれる事になった。
──『ふざけるな!私は、お前達を……お前を!お前を助けようと思ってッ……!』
ローレンツはローレンツなりにパーティを、というよりリーダーの女を救おうと思って提案をした。
なぜ助けようと思ったかといえば、一言で言えば懸想していたからである。
しかしやり方がまず過ぎた。
徐々に大きくなる唸り声。
人のものではない重い足音。
迫りくる死。
ローレンツは常の様子からは考えられないほど狼狽し、涙と鼻水まで流しながら死にたくないとダンジョンの床を這って逃げようとした。
しかしついに魔物に追いつかれてしまう。
そして死を迎えるや゙いなやという瞬間。
ローレンツは "選定" を受けたのだ。
そして現在に至る。
◆
「そろそろ来る頃ですね」
ローレンツが言う。
この夜はシェルミが部屋を訪れる事になっていた。
このローレンツという男は手籠めにした女をとっかえひっかえして、毎日のように抱いていないと気が済まない。
暴力を振るい、支配し、優越していないと気が済まない。
──今夜は妙に冷えます。あの女の体で暖でも取りましょうか
叩けば叩くほど、肉は熱を孕む──そんな事を考えてローレンツは部屋の隅を見た
「アレの肉は冷たくなってしまいましたね、少し遊び過ぎました。後で処分させましょう」
ローレンツの視線の先には肉の塊があった。
全身に殴打の痕、創傷が刻まれている。
「あの女に似ていたから遊んでみましたが。やはりあの女とは違う。肉は緩いし、悲鳴もまるで豚のようでした」
ローレンツの脳裏には、かつてのパーティのリーダーの姿が映し出されていた。
ただし、パーティを率いていた時の凛々しい姿ではなく、利き腕と利き足を切断され、両眼をくりぬかれ、舌を切り取られた痛々しい姿のリーダーだ。
ローレンツがそれをやった。
ところで
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