TS勇者のフクザツな冒険事情~僕は男なのに!神の奇跡で女へ変わる事が出来るせいで、悪そうな魔術師に目をつけられました~

埴輪庭(はにわば)

"血の月の" ゲドス

 ◆


 薄暗い部屋に粘り気のある音が響く。何度も、何度も響く。やがて短い呻き声の後に……荒い息遣い。


「勇者殿、お上手ですな」


 ぐふふ、と野卑な嗤いをあげる男がいた。


 押し出しの強そうな中年だ。


 そして禿頭。


 髪の毛が無いのはいい、それは身体的特徴だ。


 善だとか悪だとかという話ではない。


 だがその男には髪の毛などよりも遥かに大事なものが欠けていた。


 品性である。


 その品性が欠けた豚の如き男は情欲に濡れた視線を下方へ注いだ。


 その先には小柄な影──勇者である。


 神に選定され、奇跡を賜った勇者があられもない事をしている。


 とんでもない話だった。


 勇者は口から唾液を垂らし、呼吸一つするにも一苦労といった様子だが、豚は辞めようとしない。


「おっ、おっ……いいですぞ勇者殿! ぐ、ぐおおおおお!」


 豚が汚い叫びをあげた。


が終わった時、勇者は疲労困憊の様子だった。


 その勇者はまだ若かった。


 年の頃は、少なくとも20にはなっていないだろう。


 緑色の髪の毛の、中性的な若者だ。


 女々しいという程女っぽくもなく、雄々しいという程男らしくもない。


 そんな勇者は嫌悪感に歪んだ表情で床を睨みつけている。


 恥辱に塗れた表情は、豚の嗜虐心を刺激した。


 勇者の目の端に浮かんだ雫がみるみる内に大きくなり、頬を伝って地に落ちる。


「……ッこ、これで!! これでいいのだろう! 満足か! 僕にこんな事をさせて! ぼ、僕は男だというのに! な、なぜ、こんな事を……」


 勇者は豚に怒声を浴びせる。


「勇者殿、儂は勇者殿の為に命をはっておりますぞ。連日送られてくる刺客から勇者殿を護っているではありませんか。しっかし魔王軍も考えたものです、勇者殿がまだ未熟だと知るやいなや、聖なる力とやらに覚醒する前に始末してしまおうというのですからな」


 勇者はまだ未熟──これは事実であった。


 しかし事実は事実でもまだ知られていない事もある。


 そして、このまだ知られていない事実が明るみにでもなることこそが勇者にとっての破滅であった。


「しかしご安心あれ。儂が如何なる危険からも勇者殿を護ってさしあげますぞ。本来ならば大金を戴く所です。儂はね、こう見えて達人なのです。護衛として儂以上のものは早々おりますまいよ」


 これも事実である。


 この豚の戦闘者としての業の冴えは恐ろしく鋭い。


「ですが、金は要りませぬ。代わりに、ぐぶぶぶ……さ、勇者殿、続きをしましょうか」


 勇者は俯き、歯噛みをしながらその言にしたがった。


 そして豚男について思いを巡らせる。


 ──この人はッ……本当に最悪だ! でも、でも……


 人品はゲロカスだが、その言に間違いはなかった。


 豚男は確かに日々勇者を命懸けで護っているのだ。


 勇者は自身が勇者である事、そして勇者としての使命を理解しているがゆえに、豚男に逆らう事ができない。


 ・

 ・


 豚男の名は魔術師ゲドス。


 卑劣な男!


 だが、強い。


 ◆


「フィルス殿」


 夜半、ゲドスが勇者──フィルスに声をかけた。


「ん、んう……なんだよ、まだ暗いじゃないか……いや、まさか」


 フィルスの瞳に不安の波紋が広がり、ゲドスを見る。


 ゲドスは頷き、フィルスを安心させる様にその分厚い掌で彼女の背を撫でた──ついでに、尻も。


「距離にして200歩。数は5。足の運びは常時野生に身を置く者のそれです。少なくともマスタークラスの暗殺者でしょう。宿の主が我々を魔族共に売ったか、或いはそもそも主自体が儂の目を誤魔化す程の変化の達人であったか」


「僕も戦う! 男の体に戻れば、僕だって戦えるッ……」


 フィルスは言うが、ゲドスは否を返す。


「フィルス殿にはまだ早い。いいですかな、誤解しないで頂きたいが、 "まだ早い" です。いずれはあの程度、鼻歌交じりに屠れる程の実力が身につくでしょう。それだけの伸びしろがフィルス殿にはあるのです。しかし、それはいまではない。待つ事も、耐える事も戦いです。辛抱されよ」


 ゲドスの声は優しく、頼もしい。


 普段の下卑た豚ボイスとは大違いだ。


 ──この人は最低だけど、全部が全部最低というわけじゃない……


 悔しそうに頷くフィルスに、ゲドスは豚の笑みを向けた。


「では殿、御身を護る勇敢な戦士に勝利の口づけを」


 唇をぶっちゅりと魚の様に突き出すゲドスに、フィルスは嫌悪の表情を浮かべながらも己の唇をそっと触れさせた。


 ──やっぱり最低だ、この人


 ・

 ・

 

 ゲドスの仕込み杖が月光を纏い、闇に銀閃を描いた。


 一閃、そして二閃。


 同時に、赤黒い飛沫とくぐもった呻き声があがる。


 どちゃり、どちゃりと何かが落ちた音が何の音かは、ぶわりと広がる鉄錆の臭いが雄弁に物語っていた。


 闇に乗じて仕掛けた刺客の一団の2名の命が一瞬で失われたのだ。


 ──『魔剣、月咬剣げっこうけん


 月の光を刀身に写し込み、その反射光で敵手の目を突き刺し、怯んだ所を斬り捨てる業である。


 ゲドスは魔術師ではあるが、剣も佳く使う。


 残る刺客もその業の冴えに怯んだか、飛び掛かってはこない。


 そんな刺客たちに対して、ゲドスはここぞとばかりに嘲笑の鞭を叩きつけた。


「ぐぶぶぶ。儂のこのナリを見て簡単に殺せると油断しましたな? 勇者殿に至ってはひよっこもいい所ですからなァ。血が赤い所を見れば卿らは恐らく"人犬"……ぐぶぶぶ! 人を裏切り、魔について。捨て駒にされていたら世話はありませんなァ!」


 人犬とは人間でありながら人類勢力を裏切り、魔族についた者達への蔑称である。


「下がれ。この男──やはり間違いない。 "血の月の"ゲドス」


 魔族やそれに与するもの達にとって、"血の月の"ゲドスは憎むべき、そして恐ろしい殺し屋の名であった。


 「ほう、野良犬にしては毛並みが良いですな」


 ゲドスは余裕綽々に言ってのける。


 魔族によって滅ぼされた亡国、ホラズム王国の魔導戦士団長だったとも噂される彼は、これまでに千をくだらぬ魔族の首を落としてきているという。


オレが戦ろう」


 男たちの頭目が一歩足を踏み出す。


 全身から放射される凄惨な殺気は、他の者たちとは一線を画している。


 布団に隠れてそれを見ていたフィルスの顔から血の気が一気に引き、死神の足音がすぐ後ろから聞こえてくるような気さえもした。


 しかしゲドスは動じない。


 それどころか──


「ぐぶぶぶ……確かに、他の犬とは違うようですな。しかし」


 ゲドスの口上など聞く耳持たぬとばかりに頭目がその場から姿を消した。


 いや、消えた様に見える程の高速移動だ。


 ──何もさせん、このままその豚首を落としてやる


 そう目論む頭目だが、床がどんどん近づいてくるにあたって異変に気付いた。


 ──なんだ!? 


 くるくると視界が回転し、部下たちの唖然とした顔が目に入る。


 ──何が起こっている!? 


 頭目は気付かない。


 その五体がバラバラとなって、宙空を舞っている事など。

 

「月とは静かに、密かに昇り、天にて輝くものです。そして輝けば最期──月の光は死の国への道を示すという。儂と相対した者の多くは、この道を逝く事になりました。ぐぶ、ぐぶ、ぐぶぶ……儂の二つ名を知っていたのなら、もう少し警戒すべきでしたな」


 それにしても、と呆れた表情を浮かべる。


「威嚇の為に殺気を出しているようではまだまだ。別に殺気などは出さずとも、相手を殺す事は出来るのです。貴殿のようにね。殺気とはこの様に遣う」


 残された刺客達は逃げようとしても逃げられない。


 両脚と床が一体となったかのように動かす事もできない。


 これまでただ一方的に死を与えるのみであった男たちは、初めて死を受ける側となって恐怖に身を凍らせる。


「安心してくだされ。儂は貴殿らの頭目のように不細工な業は使いませぬ。ほれ、この通り」


 ゲドスがにちゃりと笑うと、男たちの首が一斉に落ちた。


「動けば殺す、逃げれば殺す──そう意をこめた儂の殺気は、金で雇われた狼藉者には破れますまいよ。勇者殿の様に強き意思があれば話は別ですが」


 ゲドスのその言葉に、フィルスはふと過日の事を思い出す。


 ・

 ・


 ──「ほう、勇者殿ですか。それはそれは。しかし同道はごめん被りますな。命が惜しいのでね」


 ──「ふむ、どうにもしつこい。なぜそれほど儂の力を必要とするのです?」


 ──「無駄な事だ。勇者殿、貴殿に魔族は倒せますまい。貴殿は弱い。ほら、その証拠に……」


 ──「不可思議な事もあるものですな、貴殿のような糞雑魚が儂の殺気を受けてなお足の一本でも動かす事が出来るとは」


 ──「……ほう、村の者たちの仇? しかし勇者選定の報は魔の国にも知れ渡っているでしょうから、貴殿は早晩殺される」


 ──「何でもする、ですか。だから護れと。しかしですなあ、貴殿の、んん、良ければお名前を教えていただけますかな。……ふむ、フィルスですか。ではフィルス殿、何でもすると言っても男の貴殿には興味が……なに?」


 ・

 ・


 ──僕の役に立たない神秘がなければあの人は仲間にできなかった。……だけど


「さて、血の香に酔ってしまいましたな。この昂りを御覧なさい、勇者殿」


 フィルスはげんなりした表情でゲドスのゲドスを見た。


 ゲドスがヤる気なのは「勇者殿」という呼び方で良く分かる。


「毎回思うんだけどさ、ゲドス、さんは僕が本当は男だって言うのによくそんな気になるね」


 フィルスが言った。


 そう、当代勇者フィルスは男であり女でもある。


 神の選定により勇者として選ばれる者には、神秘と呼ばれる超常的な力を一つ与えられるのだが、フィルスが与えられた力は──性別転換。


 これこそが絶対知られてはならない事実だ。


 魔族やそれに与する者にとって、こんな能力ほど脅威にならないものはない。


「こんなくだらない力……」


 フィルスが言うと、ゲドスはふと真顔になった。


「呼び捨てでよろしい。我々は旅の同士ですからな。そしてくだるかくだらないかは使い方次第です、フィルス殿。元来、男と女はそれぞれ力と魔の象徴だと言う。勇者として貴殿はメキメキとその業前を伸ばしておりますが、いずれは剣と魔術の双方で極点に至るかもしれませぬ。たった一つの神秘に頼った戦い、儂の目からすれば酷く脆く見えますぞ。フィルス殿のように、様々な局面に対応できる者の方が儂には恐ろしく思えます」


 ゲドスの言葉は優しい。


 心から自分を想って言ってくれている事がフィルスにも分かる。


 しかし


「う……まだ、するの?」


 フィルスが尋ねると、ゲドスは言葉ではなく、行動で応えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る