第32話 それとこれとは話が別だよな?

「ふ、ふざげずぎまじだあああ!」


 天使が人間に全裸土下座した。


 フローリングの床に額を擦りつけたあと、足に縋りついて「ごろざないでえええ」と命乞いする。あなた、本当に天使ですか?


「安心しな。なるべく苦しむようにして殺るから」


 怖い! なんか今、台詞が凄い怖かったんだけど!


「んびいいい! だずげでえええ! わだ、わだじ、でんじなのおおお!」


「はいはい、言い訳は地獄で――天使?」


 ぎゅるんと璃菜は顔だけをこちらに向けた。目が爛々と輝いていて、超怖い。


 玄関前から始まった一連のやりとりを説明すると、璃菜は大きなため息をついた。


「そんな理由があったのか」


 彼女から力が抜けたのを見て、ただでさえ白い顔をさらに白くしていた天使が安堵する。


「そ、そうなの! 協力してもらえないと天界に帰れないから必死だったの!」


「事情は理解した。アタシでよければ力になるよ」


 男前に言い切って、安心しろとばかりに璃菜は天使に対して両手を広げる。


「あ、あ、ありがとおおお」


 歓喜の涙を流す天使が璃菜に歩み寄り、感動の抱擁を――。


 ――果たそうとして、顔面がへこんだ。


「ひ、ひいいっ!」


 腰を抜かして後退りする俺の前で、天使に強烈な右ストレートを食らわせた恋人は、ゆらりゆらりと吹き飛ばした標的との距離を詰める。


「マ、マウントはらめえええ! おぼっ、んごおおお!」


 ごすっ、ごすっと響く音。無言の惨劇に失禁しそうなんですが!


 ボコボコにした全裸天使を掴み上げ、瞬き一つしない璃菜は言う。


「どんな理由があろうと、アタシの男に手を出してただで済むと思ったのか」


「ず、ずびばぜん……」


 神様に力を奪われていても天使は天使なのか、致命傷にはなってないみたいだった。


「まあ、知らない仲でもないし、今回だけは特別に手加減してやったけどな」


「い、今ので手加減して……」


「あ?」


「なんでもないれふ。ありがとうございまふ」


 世にも珍しい屈服天使の誕生である。人間が暴行して罰が当たらないんだろうか。とはいえ、元凶を作ったのは天使の方だからな。難しいところだ。


 強引に天使に服を着させたあとで、怒れる女戦士は床に座り込んだままの俺を見る。


 次は俺の番なのかもしれないが、不思議と恐怖心はなかった。何故なら――。


「……おい、亮太。何で幸せそうな顔してんだ?」


 怪訝そうな恋人に、俺は素直な気持ちを吐露する。


「璃菜が怒ってるのも嫉妬してるからって思えば、なんだか可愛くなってきちゃってさ」


「バ、バカ野郎! か、可愛いとか真顔で言うなよ。でも……嬉しい……」


 はにかんだ笑顔を見せてくれる璃菜。よし、これで許されたな。俺の彼女は意外とちょろインなんです。


 カウンター気味にぶん殴られた天使とは違い、璃菜と俺はひしっと抱き合う。互いの愛情と体温を確かめ合い、


「いでででで!」


 俺は悲鳴を上げた。


「でもな、亮太? それとこれとは話が別だよな? その気になれば、脱ぐ前に止められただろ? 黙って見てて、鼻の下まで伸ばしてたら、それはもう浮気じゃないか?」


 背骨が折れるっ! でも、おっぱいが押しつけられて気持ちいい! だけど痛いっ! もうわけわかんねえええ!


「アタシって女がいながら、他の女に目移りなんてあんまりだろ。それに……そんなに裸が見たいなら、言ってくれれば……」


「え?」


「な、何でもねえよ! つ、次はねえからな!」


 照れ臭そうにしながら璃菜は力を弱めてくれたが、その代わり今度は俺が彼女を逃がさない。


「りょ、亮太?」


「温かいから、もうちょっとこのままでいいだろ」


「しょ、しょうがねえな……甘えん坊め……」


 言いながら俺の髪の毛を撫でてくれる優しい恋人。これは心の結びつきを強くするためであって、決してもっとおっぱいの感触を楽しんでいたいからじゃない。断じてない!


 抱き合ったままの俺と璃菜を、ジト目で天使が見つめる。


「私の時よりお仕置きが軽すぎる」


「あ?」


「何でもありません。ごめんなさい」


 ひと睨みされた瞬間、漏らしていた不満を呑み込んで謝罪する天使。もうちょっとプライド持とうぜ。一応は人間を導く存在なんだから。


「あの……ところで私に協力はしてもらえるんでしょうか?」


「このまま亮太の家に居座られても迷惑だからな。天界に帰れなかったとしても、アタシの家に連れてくぞ」


「がえりだいでずううう! でんがいがいいでずううう!」


 両手を組んで天使が号泣する。どうやら今回の一件は、彼女の心に大きなトラウマを作ったようだ。自業自得なんだけどな。


「人手がいるかもしれねえし、アイツらも呼ぶか」


 待機していたわけではないだろうが、三十分もしないうちにまずは白河さんが、続いて水島が俺の家にやってきた。


 白河さんに通報されかけた天使が文句を言ったくらいで、あとは大きな問題もなく事情の説明は終わった。俺的には今日まで天使が野宿していた事実の方が衝撃的だったが。


「反乱は絵本の中にいる大将格を倒せば鎮圧されるわ。連中がそう言ってたし」


「なんともRPGじみた展開だな。話が早いけど」


 俺の呟きに頷いてから、天使が少々気まずそうに目を伏せる。


「問題の絵本なんだけど、意思を持って反乱を起こした時点で原型は失われたの。ごめんね、せっかく二人が子供の頃にお供えしてくれたのに」


「いや、別に……って、二人?」


 俺と一緒に天使に言われた璃菜を見る。彼女の頬は赤かった。


「昔、一緒に神社で遊んだ時、泉の話を聞いたろ? 亮太が桃太郎をお供えしたって聞いて、それならアタシもって、当時大事にしてた絵本を泉に捧げたんだ」


「ふうん、それがロミオとジュリエットねえ」


「わ、悪いかよ!」


 ニヤニヤする水島と目を合わられない璃菜。乙女な一面も可愛い。

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