(2)


 大根は仕込みをされていない、丸々の姿で冷蔵庫から取り出された。立派な、巨大な野菜だ。それに、一瞬のためらいも見せず包丁の刃が入っていく。何度見てもほれぼれとする、戦士の技にも劣らない技術だ。

 その手際を見るヨランタは、無駄に誇らしげに仲間たちへ振り返る。


 彼らも、ほかに特にすることがないのでマーチンの料理を見物している。

 見事な野菜が見事な手さばきで、美しいカタチに揃えられていくさまは実際、見ごたえがある。野菜そのものを軽視、正直な言葉で言えば軽蔑していた彼らにとっても、その風景はある意味で神聖なものに見えたのかもしれない。はじめ眠たげにゆるい酔眼を向けていた戦士たちも、いつしか酔いを覚まして厳かなものを見るように表情を引き締め、静かにしている。



 大根が下茹されていく間にも、お揚げ、しめじ、赤コンニャクなども用意されていく。


「あっ!」

 衝撃の赤コンニャクとの再会にヨランタの腰が浮くが、すぐにこれも先日よりも細かく刻まれていく。そうか、あんなに自己主張させなくても、食材として大勢の中に紛れることも出来るんだ。

 マーチンの、戦士たちのリスペクトを受けて株が上がり男前度が上がって見えていた料理人姿。それへ向けるヨランタの視線に、少々の恨みが籠もる。


 干物ではない鮭の瑞々しい半身に塩がまぶされ、しばし間を置いてお揚げと一緒にお湯をかぶる。どういう儀式だろう? 繊細な下ごしらえなど冒険者たちの意識には存在しない。



 そこからようやく、汁物がこしらえられていく。


「そしてこれが、松のみどりも作ってる伏見の神聖の大吟醸酒粕。におい、いでみ。」


 マーチンが手でちぎった、湿った板をカウンターの向こうから差し出す。酔いの覚めつつあるむさ苦しい顔がそれに集まって、鼻から勢いよく空気を吸う。スうぅー……。


「ふおぉ~……」


 むさ苦しい吐息から酒粕を引いて隠し、すり鉢でスープと混ぜて念入りに練っていく。


「好みもあるけど、ここを丁寧にやるとすごくクリーミィでまろやかになる。家のオカンは何でも上手く料理したけど、粕汁だけはモロモロがパサパサのまま出してきて、俺は苦手やったなぁ…」



 何かマーチンがボヤいているが、客席は今の香りのあまりの芳しさに大興奮で、聞いちゃぁいない。


「あのモルタルみたいなの、一体どういうことだ?」

「すっごい……なんかすっごい香り…」

「フフフ、マーチンが時々出してくれる特別にいいお酒の香りが凝縮した感じだったね。お酒の、粕……搾りカス?それが、スープになるの?」


「そう、酒精アルコールは残ってないけど、甘いドリンクや飴玉にもできるし、わさび漬けとかにもできる。粕汁にしたら吟醸の香りは全部飛んでしまうけど、ありがたみは出るやろ?」


 また、よくわからないし他の連中にも理解されたくもない様子だけど、なにか身も蓋もない露悪的なことを言ってるな。

 信頼してるんだから。マーチンはいつもどおりの仕事をしてくれれば、余計なことを気にしないでいいんだよ。



「あー、もうじき出来上がるけど、酒器はどうするね。グラスのままでええか?


 マーチンがいつになくお伺いを立てる。というのも、かつてマーチンコレクションの陶器を趣味の石ころ呼ばわりして帰ってしまったのは我らがリーダー・ユリアンだからだ。


「私は選ぶけど、みんなはお好きに?」

「アタシは今回、ヨランタ獣人の器がいいな!なんてったっけ?タンキ?」


「そんなものはない!よ!」

「あー、信楽焼たぬきのポン子ちゃんね。ちょっと待って、この子が騒ぐから下げてるの。ホイこれ。」


「あーッ、ヨランタが増えた! 俺もコレがいい、同じのはないかい?」


 裏切りのマーチンに、鋭く反応するのはお調子者のツェザリ。死ねばいいのに。


「陶器人形は、もうないな。でも唐子からこの絵付けの白磁ならあるよ。俺の趣味じゃないけど、似てて面白いやろ?」


「ォオォーッ、シノワだ!シノワの器に、ヨランタが描いてある!大将、どんだけヨランタを愛してるんだ!」


「いや、普通に伝統的なありふれた絵柄で、どこでも売ってるもんやけど。そんな振り回して、割ったら弁償え。」

「似てないよ!こんなに目が細くないし、独創的な髪型してないでしょ!」

「ま、待て。シノワの弁償なんて洒落にならん!」



「2人とも、愛を否定はしないんだ。い~いねェ、甘酸っぱい。」


 とんでもないことを言い出すのはエロ男のジグムント。


「あんた、また私を馬鹿にして!キィー!」


「ええから、器選ぶならお選び。おすすめは、料理が白ベースに朱色やから、常滑焼とこなめやき朱泥しゅでい清水焼きよみずやき辰砂しんしゃみたいな濃い赤のやつかな。」


「むぅーっ、じゃ、私は素焼きっぽい常滑にする。ピカピカの辰砂はユリアンに譲るよ。」


「お、おぅ、そうか。うん。」

「俺は?」

「余ったジグには、この真っ黒な石ころがふさわしい。」


「…これはひどい。」


「ヒドいって何や。その黒楽くろらくはいちばん上等モンやで。目利き、まだまだやね。」


「マジ?」「うそっ!」「やっぱり石ころじゃん!」


「やかましい。…5人か。5合ごんごも飲ますのはもったいないな。徳利は3つな。


 ほんで、酒は出羽山形の銘酒・杉勇すぎいさみ。その雄町おまち米バージョンのしぼりたて。高値のものじゃないが、いくらも手に入るモンでもない。ちびちび味わって飲むがいい。」



 5人であらためて乾杯。

 赤茶けた常滑の素焼きの陶の、やけに整った器肌を酒の波が揺らす。強めの香りが昇り立って、心まで揺らされるようだ。

 ひと口、含む。まず酸味が弾け、追って甘み、ほか豊かな味わいが広がる。ほぅ、と深く息をつく。

 うん、テンションを上げて楽しく飲むお酒も良いけど、ひとつ落ち着いてじっくりお酒に向かい合うのもまた、良い。良くない? 仲間たちを見回す。


 それぞれに陶器を愛でたり、舐めるように酒をすすったり、楽しみ方はそれぞれだが満足げな表情をしている。この店につれてきて良かった。みんな、満足。



「雄町米っていうのは、酒の原料にするお米の種類ね。当然、種類を変えれば味も変わる。どう変わるかは、作り方でまた千差万別なんでひとことで言えへんけどね。

 で、お待ちどう。鮭大根の粕汁仕立て。」


 大ぶりの木の椀に盛られた白くとろっとしたスープには、料理工程をじっくり見させてもらった大根と鮭がごろごろと入っていて、その他にも何種類かの小さな具も浮かんでいる。これが、異世界の男の中の男・孤高の戦士の食べ物なのか。

 私だって、好き好んで弱いわけじゃない。強くなりたいに決まってる。いざ、実食。


 汁は、香り高さに反して、どこまでも優しい味。口当たりもまろやかとろりとして、その熱も嬉しい。

 お大根も柔らかく上品で、個体でありつつお出汁そのものでもある、マーチン料理によくあるやつ。それらの味を引き締めるのは、もちろん鮭の肉の力強さ。

 塩漬け干物の鮭もヒリリと締まっておいしいけど、これは新鮮なそのものの味の深みがたまらない。

 冷えていた体が暖まる。おいしい。


 そのひと口を飲み込んで、さらにお酒で追いかける。

 熱と旨味、生命そのものであるそれを腹中に収めた満足感から、口を冷たく清め、しかも料理と酒の香りの純粋で最高の部分が口腔から鼻へ、脳へと抜けていく。

 あぁ、やっぱりいつもの、止まらないやつだ。



 焼き鳥パーティーはみんなで大騒ぎ、バカ笑いが絶えない楽しい時間だった。今は、それぞれ言葉少なに、それぞれがゆったりと1人の時間を、椀とお酒を友にしてたのしんでいる。静かで豊かな時間だ。


 正直、彼らがこういう落ち着いたのを楽しめる精神性を持っていたとは知らなかった。ジグなんかは女のことを考えてるに決まってるし、レナータも恋人の男のことを考えてるのだろう。別にそれもダメじゃない。私だって大したことは考えてない。


 コンニャクやキノコとも一緒に鮭大根をもう一口。男の中の男の料理、かどうかは疑問だし、食べれば〝おいしくって強くなる〟とかいうこともなさそうだけど、1人の満ち足りた気持ちに浸れている。とても良い。



 見れば、マーチンはさっきの板を熱心にいじくっている。


「何やってんの、さてはユメさんにお返事?」


「あー、せっかく静かやったのに。……あ、ヨランタさん、もうちょっと右。そう、もうちょっと。そこで笑顔を。お、じょうず上手、」


 パチャー。謎の怪音が板から鳴る。



 その夜遅く、青森で一戸ゆめが受け取った返信は〝人生は長いのでごゆっくり〟の一言と、楽しそうな冒険者たちの写真が数枚。

「剣と魔法世界の冒険者」だと他人に見せても、とても信じてもらえるものではないだろう。なにせ日本酒の一升瓶がテーブルに転がっている。


 連絡をとったのが母親のスマホなので一緒に見て笑っていたが、こう言われてようやく肩の荷がひとつ降りた気がする。そうだ、先は長い。

 まずは自分用のスマホを手にしよう。そして、日本で仕事を探して…。

 幸いかどうか、あの世界で身につけた攻撃魔法はこちらでも使える。でも、何の役に立つだろう。ヨランタさんみたいな回復魔法ならよかったのに。…いや、それもどうだろう。もし自分が〝奇跡の天使〟なんて呼ばれたら本格的に失踪せざるを得ない。無理。


「ごゆっくり。」

 声に出してつぶやいてみる。そう、ひとまずは流れに身を任せて、十年ぶりにゆっくりしてみよう!



🍶








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