馬肉と焼き鳥 と 真澄

(1)


 ヨランタがダンジョンから拾ってきた女、聞いたことがない年号・芳至時代2013年の日本からこの異世界へ迷いこんできたという攻撃魔法術士の冒険者・一戸いちのへゆめ。

 特段に美人というわけではないが、16歳の時に転移してきて、それから10年という時の流れを感じさせない風貌が謎めいた人物だ。

ちなみに、巨乳。



 いろんな都合や思惑が無いではないが、百聞は一見に如かず。彼女にはマーチン側・令和の日本を見てもらうことになった。


 ただし、店主マーチンは「ようやくお客がつき始めて、そんな何日も店閉められへん」とねむたいことを言い出し、彼女を拾ってきたヨランタは、この店を離れると日本語がわからなくなる。かろうじて「コンニチワ、カワイー、イタダキマス」の3語だけは話せるが、何の役にも立たない。

 仕方がないので、マーチンが一戸いちのへに数日分のお金を持たせ、ここから京都駅まで案内して、新幹線でここから1人で青森まで行ってこい。そういうことになった。

 そこから彼女がどうするかは、どうにかしてメールで知らせろ。便利だ。インターネットでメールは本当に便利だ。


「メールって、あれでしょ。ワイファーイの精霊が渦を巻くほどニホンで飛び交ってる、あの。

 彼らに道を聞いたら、そこまで詳しくは聞いてない、ってほど詳しく見せてくれるから、私だって言葉さえ覚えればニホンで暮らしていけるんだけどなぁー。」


「なにそれキモッ。キミにワイファイなんて教えた覚えはないから、ホンマにそんなもんがあるんやろか。うわっ、余計なお世話イファイ。」


「えっ、この店の見慣れない精霊、あれワイファイさんなんですか?」

「そう、アレ。呼び名を、ウィフィー?とか間違えるとヘソを曲げるから気をつけて。」



 そうして、マーチンと一戸は日本へ、ヨランタは冒険者ギルドへ「拾った冒険者は飯を食わせたら逃走、失踪した」と報告した後、仲間たちのレッサーデーモン討伐のその後を確認せねばならない。

 その上で、桃缶の配達行商だ。昨日は久しぶりに闇ヒーラーをやっちゃった。それでいきなり激マークはされていないだろうけど、経験的にこういう時こそヒヤリハットが危ない。周囲に気をつけて行こう。


 それに、これさえやり過ごせば今晩はとんかつカレーだ。とんかつカレー! カレーのスペシャル版とは聞いているが、その名前ならとんかつであることに間違いはあるまい。カレーというからには辛いのだろうか? でもゲキカラだったらゲキー?ゲキカルェー?たぶん違うんじゃないかと思う。でも、スペシャルだ。


 とん!かつ!カレ!エ! とん!かつ!カレ!エ!

 歩きながら口にも出せば気合も湧いてくる。素晴らしいじゃないか。さぁ、今日も、仕方がないから、嫌で嫌でたまらない労働にいそしもう!



 あぁ、嫌だった。しんどかった。これで、マーチンの店が開いてなかったら私は泣く。このお店に通い詰める前、私は何を頼りにして生きていたんだろう。

 そんな昼下がり。


 私は弱くなった。本当に、弱くなったかもしれない。でも、これに耐えられる強さを欲しはしない。ユメさんの辛さの数分の1が身に沁みるようだ。でも、いいんだ。どうせいつかは死ぬんだ。マーチンがいないまま生きる30年は、そうでない1ヶ月に遠く及ばない。

 もちろん、料理と酒と寝床はマーチンの要素に含む。だって、そうでしょう?


 とん!かつ!カレ!エ! とん!かつ!カレ!エ!




「とん!かつ!カレ!エ!」

「おぉ、おかえり。」


「マーチン!今日はとんかつ!」

「せぇへんよ。カレーのリクエスト主が帰ってくるまで、ちょっと待ってあげぇな。」


「~~~~~~~~~~ッ!!」


「そこまでか。そこまでやったか。悪いな。今日は思うところあって、別のものを用意した。

 んー、まぁ、まず聞け。そして食え。その上でアレやったら、とんかつは無いけどチキンカツをしたげようやないか。

 それはそれとして、な。」



 床にひっくり返ってしまった私の頭をモップの柄でつつきながら、マーチンが困ったような声色で語りだす。ああ、語ればいいさ。簡単に納得なんてしてあげないぞ。


「店を今、何日も閉めて青森に遊びに行くわけにはいかんから彼女には1人で旅立ってもらった。が、俺も考えてみれば、せめて3泊くらいで旅行に遊びに行きたい。

 できれば温泉がいい。それも酒どころがいい。


 そうとなれば、いちばん良いのは、諏訪。

 京都からやったら城崎とか有馬とか近くに温泉地はあるけど、あの辺はおっさん一人旅に冷たい。雄琴はちょっとちやう。愛媛まで行って道後温泉もええ。あそこの酒は京都じゃあ全然手に入らんけどなかなか悪くないんよ。でもそれやったら、どこよりも諏訪。

 あすこはええ。適当なビジホで温泉に浸かって、蕎麦と馬肉の名所でもあるし、真澄の酒を浴びるほど飲んで……


 そや、ヨランタさん、そのうち2人で諏訪行こか。」



 なに、急にどうしたのマーチン。温泉?湯治?私には関わりのないことでございますよ。でも、湯治はなかなかに辛い治療だと聞いている。

 なに? 死なば諸共ってことで巻き込んでやれ、みたいな? 体調が良くないなら苦行をしなくても魔法で治してあげるよ。今すぐ。


「何を言うてんの。温泉は、そこのお風呂の超でっかい豪華版よ? お風呂は毎日入ってるやん。いや、そうじゃなくて。彼女送ってったついでに、駅ビルの百貨店でええもんを仕入れてな。馬肉と、真澄の上等の吟醸・突釃つきこしと、普通の辛口の吟醸。

 営業まで時間あるさかい、食おうぜ。」



 お風呂の豪華版? 2人で入るの? そんな、急に、イヤン。

 って、この件はあまりに唐突で油断ならない。先に、当座の問題から解決しよう。


「日本では馬なんて食べるの? まぁ、魚の生肉まで食べるんだもんね、驚きはしないわ。」


「そして馬肉は生でも食う。人によっては鶏や牛でさえ生で食う。」

「嘘すぎる。……本当に?おいしいの?」


「俺は、どうも鳥獣の生は得意ではないな。普通に火を通したほうが旨いと思う。

 というわけで、この馬肉、ステーキ肉を炭火で串焼きにする。量は多くないから、その後は焼き鳥にするよ。鶏肉や肝の串焼きね。大丈夫?」


「うん。食の冒険にはなるべく付き合うつもりだけど、生系は悪い思い出が多すぎて。もうすこし慣れてからでお願いしたいわ。」


「ええよ。魚の刺身だけは慣れてもらわんと出せる料理の幅が狭まって困る。が、他は無理強いするようなもんじゃない。

 では、炭火に着火!」



「おぉー。いい炭だ!」


「わかるんか、そんなん。やるね。ほな、火がいい感じに回るまで、お酒タイム!

 真澄の突釃つきこし。これも、たくさんはないからグラスでお飲みや。」


「これはまた、紙袋からずいぶんと洒落ておりますわね。お上品ですわ、おほほ。」

然様さようにおじゃる。」



 ずいぶんと厳重な封をほどき、開栓。ぽんㇷ、と小気味の良い音を立てて栓が勢いよく飛ぶ。

 ぱちィん、と、これまた小気味良い音を立て、飛んだ栓はヨランタの額の真ん中を打つ。


「痛ーっ!なにすんの!え、なに? いつの何の報復!?」


「悪い、こんなに飛ぶとは思わんかった。すまん、すまん。お詫びに、多めに注いであげよう。

 …っていうか、報復される心当たりはあるんかぃ。」



 トクン、トプン、トクトクトク。瓶の内側を滑る液体が耳を喜ばす音を奏でる。酒がたどり着いた先のグラスでシュワァァァと生命の泡が弾ける唄を歌う。

 それまで漂っていた炭が燃える匂いに混じって、生命力あふれる豊かな芳香が広がる。


「シュワシュワしてる。」

「スパークリングまでは言わんが、火入れをしてないんでガスが抜けてない、酵母が生きたまま、微発泡のままの生酒なんや。


 真澄という酒は、古代日本の辺境の門になる聖地・諏訪を治める諏訪大社の第一のマジックアイテム・真澄の鏡の名を頂いててな。

 諏訪は湖を中心にした風光明媚な山国で、そこかしこから自然に湯が湧く、今となってはのどかな田舎町やけど、ええとこなんよ。

 ま、そういうことやから有難がって飲め。」


「日本って聖地多くない?」


「そんなに言うてたかいな。ま、100や200では足りんくらいあるやろな。ゆうて、どこの国かってそんなもんやろ。それより、飲も。乾杯。」


「マーチンも飲むのね。あら、楽しそう。乾杯!」





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