転移酒場のおひとりさま ~魔都の日本酒バル マーチン's と孤独の冒険者
相川原 洵
序 : 柚子大根 に 村祐
――白い、透き通るほどに白い食べ物が、眼の前にある。
似た物でいえば、カブの
色鮮やかに散らされた黄色や赤、オリーブグリーンの
その “白” を、一本フォーク…お箸? で突き刺して口に運ぶ。シャクッ、と、心地よい歯ざわり。同時に、口中に広がる柑橘の香り。これは、黄色の欠片の仕事だな。
良い。こんなに、生よりもみずみずしいくらいの酢漬けは、漬けたてならではだ。漬かりすぎた酢漬けを一生懸命咀嚼するのはある種の拷問だからな。
おっと、良いものを食べているときに悪いもののことを考えるのは野暮もいいところだ。目の前のものに集中しよう。
黄色が、この香りのもとだろう。ひとかけ、つまんで口にする。当たり。爽やかでジューシー。これだけ山盛り食べられないものだろうか。
じゃあ、じゃあ、この赤いのは? 輪っか状の、よく熟した鮮やかすぎるほどに赤いそれを、5欠片ほど集めて舌に乗せてみる。ギャッ!
「
*
流行っていない薄暗い酒場、不思議な白い明かりが灯っていてもなお薄暗いその店「魔都の日本酒バル マーチン's」のなかに突然、温かな光が満ちた。
「わぁ!なに!なに!?」
「毒! 毒じゃない! こっちこそ、何これ!」
薄ぼんやりとなにかの作業をしていた店主が驚きの声をあげ、客の女が抗議の大声をあげる。
「えぇ、こっちの魔法使える人は酢ぅ飲んだら体が縮んだりすんのん? ヨランタさん。」
店主はいかにも冴えない中年男性、中肉中背の身ぎれいな身なりではあるが、覇気のない淀んだ雰囲気を身にまとっているせいであらゆる美点が4割引されて見える、そんな人物だ。
「縮んでないし!失礼ねマーチン! …お酢は上等だし、悔しいけど、おいしい。でもこの赤い輪っか、何よコレ!」
一人だけの客の女、ヨランタがキャンキャンわめく。小柄で若いが、未成年ってことはないだろうとはわかる熟練者の空気を身にまとっては、いる。それもそのはず、冒険者で
「あぁ、鷹の爪。
店主・マーチンが微塵も動じないトボけた様子で、案外深刻そうな内容のことを問い返す。
「イヤ、辛くてびっくりしただけ。大丈夫なのコレ?」
「1個だけお大根に乗せて食べてみ。」
「んー……(ポリポリ)ん、(ゴクン)…ん。」
「反応、薄いな。」
「いや、おいしいですよ。(もうひとつポリポリ)このかりゃみが、後を引くのね。なるほど。」
「呑みこんでからもの言い。ま、ふつうのお漬物やしなぁ、変に盛り上がることもないか。ほな、これをあげよう。
*
マーチンがヨランタの前に素焼きの陶器を大小2つ並べる。
いや、これもただの素焼きではない。品の良いベージュ色に、薄く整った器肌。そこに炎が影を落としたような赤い筋模様が入っていて、シノワの高級物とは違うけれど、なかなか上等なものじゃないかな?
「お、わかる? 日本人でも興味を持ってくれる人はあんまりおらへんの。
なんだ、高くないのか。じゃあ盗まないであげよう。そういえばダイコンが入ってる器も、厚ぼったくて垢抜けなくはあるけど、これこそシノワのお皿みたいに真っ白で、ちょっと上等ものじゃない?
「さっきから言うてるシノワって白磁?って、こういうの?」
「そうそれ、あるんじゃない! うわぁ、貴族が自慢するヤツよ!」
「いや、これはパンまつりの、安いやつやで? そっちの志野焼の味わいがわからへんかなぁ。」
「え?うーん、言われてみれば、そうかな?(わからないよ!)」
「せやろ、せやろ。じゃ、これな。」
満足げな店主が上機嫌に大きなガラス瓶を、これまた見事なガラスの戸棚から取り出してくる。物の立派さに反する、みすぼらしいまでの飾り細工の無さはどういうことなのか。
それでいて一見いちばん粗末に見えるビゼンヤキを気に入っているという店主の価値観、文化のバックボーンの違いに
瓶から備前焼のポットに透明な液体が注がれていく。水のように澄んでいるが、豊かな甘い芳香が漂って、口の中に残っていた柚子の酸味と相まってつばを湧き立たせる。
いったい、この
「酒どころ越後の、
心して、とはなかなか難しい注文だが、言われるとおり大きいポット(
さらっと舌の上を流れ、喉から胃まで洗い清められるような幸福感。その後に…なんだコレ、甘い。
甘いのは好きだ。でも、この甘さは今までに未体験。濃いわけじゃない、薄いわけでもない。至福の甘さが体内を満たしているけれど、一切の雑味がなくて、口中のどこかで引っかかるようなクドさもなくて。一箇所に留まらず流れて巡る、概念としての純粋な甘み。
庶民の夢と呼ばれる茶色い砂糖ではなく、貴族が宝箱にしまう上白糖よりもさらに洗練を極めた(私は上白糖だって舐めたことがあるのだ、すごいだろう!)、こんなものを経験してしまった私はこの先の人生をどう過ごせばいいの?
そう、ここで過ごせばいいの。簡単な話ね。
ここで黄色い柚子をたくさんと赤い鷹の爪をひと欠け乗せたお大根をシャクリ。そう、このお酢にも白い砂糖が入っているに違いない。なんてことだ、なんて店だ。
さらに「村祐」をもう1杯。あぁ。ああ。ああ!
「この酒は滅多に出回らんの。残りは俺が呑むから。次は何にする?」
「そんな!ひどい!」
「他にも色々山ほどあるから、な?」
*
そうして、私・ヨランタは、この怪しい街・魔都に
良き食べ物に良き酒。1日で味わい尽くすのは野暮だし、そもそもお腹の容量でも酒量にも無理がある。のーんびり、楽しませていただこう!
🍶
お読みいただきましてありがとうです。
とりあえずコメントに 🍶 とだけでも残していただけると続きの執筆がはかどります。
新しい連載を始めました。
『お姫様はサイコロを振る ~ 魔法学園の1d6』
https://kakuyomu.jp/works/16818093087250908770
よろしくです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます