■■■■に捧げる円盤

葦名 伊織

未公開シーン

 動画『まだまだあった相沢さん家の呪物』について

 我々は呪物の取材を行うため、怪談師/オカルト研究家である相沢氏の自宅を訪れていた。すでに公開されている動画では、五つ目の呪物『ある教団の曼陀羅』にまつわるエピソードが終了後、エンディング画面がフェードインして動画終了となる。しかし実際には呪物はもう一つ存在した。

 六つ目の呪物『クレノメに捧げる円盤』

 それを取材中に、ある不可解な現象が起こっている。以下にそれを記す。



 相沢邸の一室。畳敷きの部屋。部屋の中央に置かれた座卓の向こうに、眼鏡をかけたスーツ姿の相沢氏が座っている。彼の背後には天井に届くほどの大きな飾り棚が二つあって、その中を埋め尽くしているのは禍々しい物品の数々。人形、仮面、形容しがたいオブジェなどの『呪物』と呼ばれるモノたち。部屋の中は、それらが発する粘つくような重圧と、何処かへ誘うかのような引力で満ちていた。

 今回我々が取材したのは、その中でも最近手に入れたという六品だった。


 彼と座卓を挟んで、こちら側に座っているのはインタビュワーを務める『三戸』と『古木』。相沢氏が用意してくれた三人分のお茶が卓上で湯気を立てている。取材の進行は主に三戸が担当。古木はアシスタントとしてメモを取ったり、必要に応じて追加質問などを行う。俺【銀城】はカメラマンとして彼らのやり取りをカメラで撮影していた。

 カットされた部分は『ある教団の曼陀羅』についての話しが終わり、相沢氏が最後の呪物を取り出すところから始まる。


 

「では本日ラスト、六つ目の呪物をお願いします」


「はい、コチラになります」


 相沢氏が木箱を座卓の上に乗せる。箱の大きさは20×20×15cn程度、美しい白い木で組まれており、箱自体には古めかしさや怪しさは感じられない。

 これまでに紹介された五つの呪物が放っていた『瘴気』に似た力を感じるが、木箱から漏れ出ているのは、もっと荘厳な、山の静けさのような威圧感だった。


「美しい木箱ですね。相沢さんの呪物コレクションの取材は今回で三回目になりますが、これまで登場した呪物たちとは全然雰囲気が違うように見えます」


「ハハハ、コレは他の品々とは少し毛色が違いましてね。『呪物』というよりは『遺物』といった方が正しいかもしれません。あとコレに関しては、少しだけ思い入れ、みたいなものがありまして。いつもとは少し雰囲気が違うのですが、今回紹介させてもらおうかなと思いました」


 相沢氏によって木箱の蓋が開けられた。『遺物』と呼ばれたモノが取り出され座卓に置かれる。りん布団の上に安置された直径15cm程の円盤。いくつもの穴が空いていて、光を失ったかのように真っ黒だった。


 このとき眩暈がした。場の空気が変わったのを覚えている。

 空気が張り詰め、部屋にある呪物たちが姿勢を正して、黙したような気配がした。

 円盤の穴の底は遠く、茫漠として果てしない。

 吸い込まれるというよりは圧倒されるような、そんな感覚が全身を包んだ。


 当時は、この異様な感覚は寝不足から来たものだと思っていた。夜遅くまで行っていた編集作業のツケが回ってきたのだと。

 しかし今になって考えると、本当に寝不足からだったのだろうか……


「うわぁ、これはまたスゴイ形をしていますね。美術品みたい」


「美しいですよね。完璧にバランスの取れた歪みの無い形をしていて、それぞれの穴の大きさも完璧に同じなんですよ」


 それは陸上競技で使用される『円盤』のミニチュアサイズみたいな形をしていた。『円盤投げ』で放り投げられるやつだ。

 円の縁側が薄く、中央に行くほど厚みがある。

 いくつもの小さい穴が等間隔に円盤全体にわたって空いており、内部は空洞になっている。形状のイメージを助ける為に、似たものを例に挙げるならば、炭素原子がサッカーボール状に結合したフラーレンがある。フラーレンほどスカスカではないが、それが円盤状の形を取った物と思っていただきたい。色は驚くほどに深い黒色。まるで光を反射しておらず、空間が削り取られているように見える程だ。

 ふと、三戸が何かに気づいて古木を見た。古木の口元が笑っている。


 三戸がニヤリと笑い尋ねる「古木ちゃん何か言いたそうだけど? 」


 古木が薄笑いしながら答える。聞かれて少し嬉しいようだ。


「いや、丸焦げのどら焼きみたいだなって……しかも虫食いだらけの」


 その発言に相沢氏も微笑む。


「少し前のアニメに登場する穴あきチーズみたいですよね。これは丸焦げのドラ焼きですが」


 三人が笑い、場に和やかな空気が流れた。本題から逸れたが、2・3会話を挟んで本題へ戻る。



「さて、脱線してしまいましたが。改めてこの円盤についてのお話を伺っていきたいと思います。先ほど少し思い入れがあると仰っていましたが、それはどういう事なのでしょうか? 」


「この円盤は友人のDさんから譲り受けたものでして、彼も私と同じオカルト研究家の端くれみたいな人で、付き合いの長い友人だったのですが……実は二か月ほど前に亡くなってしまって」


 相沢氏が一つ大きく息を吐き、眼鏡の位置を直す。


「え……それはお気の毒です」


「ありがとうございます。数年前から体調を崩してはいたんですが、まさかこんなに早く別れがくるとは思いませんでした。この円盤は、私が生前のDさんと、最後に会った時に貰ったものなんです。彼はこれに強く執心していました。いや、円盤にというよりはこれの本来の持ち主に対して、と言った方が正しいですね」


「本来の持ち主ですか。Dさんは円盤を何処で手に入れたのですか? 」


「それは最後まで教えてくれませんでした。聞こうとしても『知るべきでない』と。もしかしたら、なにか後ろ暗いことがあったのかもしれません。ですが、その時の彼の表情は何かを隠しているというよりも、警告しているような凄みがありましたね」


「円盤の出所は『知るべきでない』のに、その円盤自体は譲渡した。こう言ってはなんですが、Dさんの行動は少し矛盾しているような気がしますね」


「私もそう思いました。それで彼に冗談で言ってみたんですよ。『これは本当に危ない呪物で、もしかして私に押し付けようとしてるのか? 』と。彼は苦笑して言いました。『コレに害はないよ。少なくとも僕と君にはね。鳴らせないんだから』、円盤はどうやら楽器のように鳴らすものらしいんです。断片的にしか話してくれない彼に痺れを切らして、この円盤について詳しく教えるように強めに言うと、彼は目を瞑ってブツブツこう言っていました。『必要な、必要なことだけ……』。しばらくして目を開くと、円盤について語りだしたんです。それもかなり限定的にですが」


 古木が挙手する。


「え、コレって呪物の紹介ですよね? 今から相沢さんの怪談話が始まるような雰囲気になってますけど」


 彼女の顔には少しの困惑と、この後の展開を楽しみにしている期待が見て取れる。


「私も当時こんな事になるなんて思ってもいませんでしたよ。Dさんからは異様な気配が漂っていて、彼と向かい合って座っている時は肝を冷やしました。えーと、それで彼が言っていた円盤に関することなんですが、後で調べられるように携帯でメモを取っていたので、それを見ながら話しますね」


 相沢氏はポケットからスマホを取り出して、画面に目を落としながら話し始める。



「この円盤は『クレノメ』と呼ばれる白き神に献上するために作られた祭具の一つ。

ルイエ村にて作られた。その音色はクレノメに安らぎと悦びをもたらす。のちにクレノメは村民を率いて去り、村は消えた」



 メモを読み終えた相沢氏が顔を上げる


「彼が話してくれたのはこれだけでした。クレノメ、ルイエ村、私はどちらも聞いたことがありませんでした」


「クレノメ……たしかに聞いたことがないですね」


 三戸は思案するように首を傾げ、古木の方へ顔を向ける。しかし彼女も聞いたことがないのか首を振って応えた。「アタシも聞いたことがないです」

 三戸は俺の方にも視線を向けたが俺も記憶になく、首を振って返した。


「すみません、私たちも聞いたことがないですね」


「いえいえ、知らなくて当然だと思いますよ。Dさんから話しを聞いた後に調べてみたんですが、二つとも全く情報が出てこないんです。学者の友人や、オカルト関係を扱う知人たちに話しを伺っても、誰も聞いたことすらなかった。もちろんネット、書籍、資料、あらゆる媒体でも探しましたが、何一つ情報を見つけることは出来ませんでした」


「そこまで情報がないとなると……」


 古木が気まずそうに三戸を見る。視線を受け止めた三戸は少し困った様に眉間に皺を寄せた。多分俺たち三人は同じ気持ちだった。こういう状況で考えられるのは……


「私も今の皆さんと同じ気持ちだと思います。『創作』という二文字が頭に浮かびますよね。晩年の彼は肉体的・精神的にもかなり弱っている一方、クレノメに関しては狂気じみた強い執着を見せていました。弱った肉体と精神が『クレノメ』という存在を作りあげ、その幻想に熱狂してしまったのではないか。正直に言ってしまうと、私もかなり疑っているんです」


「どちらなんでしょうね。私としては、存在していたという方に賭けたいですが」


 三戸は何か思うところがあるのか、腕組みをする。

 相沢氏が一口お茶を飲んで、顔を上げる。その顔はどこか嬉しそうだ。


「私も三戸さんと同じ気持ちで、クレノメが存在していた、という方を信じたいんです。存在していて欲しいと思っています。今回この場をお借りして円盤を紹介した理由はそれで、もしかしたら何処かに情報を持っている人がいるかもしれない。なのでこの動画を通して情報提供を呼び掛けたい、という狙いがありました」


 相沢氏が軽く頭を下げる。


「なるほど、もう全然大丈夫ですよ。微力でもお力添えできるのなら幸いです」


 三戸が相沢氏に微笑み、古木はカメラに向かって発言する。


「もしクレノメやルイエ村について情報をお持ちの方は、コメント欄へ情報提供よろしくお願いします」


「本当に助かります。円盤を譲り受けた時は『この円盤やクレノメについては調べるな』と何度も釘を刺されました。人に譲渡しておいて、やっぱり矛盾していますよね。でもオカルト研究家の性で、そう言われると調べたくなってしまう」


 ここで相沢氏は何かを思い出したように上を向いた。


「そういえば、一つ不思議な事がありました。すみません、少しお待ちを」


 相沢氏が退室する。少しして一枚のA4用紙を持って戻ってきた。


「彼が亡くなった後のことです。Dさんのご親族から、彼のコレクションを私に譲ると連絡がありまして、彼の家に行ったんです。Dさんのコレクションも呪物などが多かったものですから、親族の方々は気味が悪いと思っていたらしく、私に譲ったモノ以外は処分すると言っていました。私はクレノメについて気になっていましたから、何処かに資料が残っていないか探そうと思いました。結局クレノメに関する資料は何一つ見つからなかったのですが、一番初めにキャビネットから適当にファイルを取り出して、中ほどのページを開くと、この紙が入っていたんです」


 相沢氏が持っていた紙を俺達の方に向ける。そこにはこう書かれていた。




『言ったはずだぞ。クレノメを調べるな』




 マジックの強い筆致で描かれた警告文。


「まるで私の行動が読めていたみたいですよね。まぁいつかこのページを開くだろうと思って、適当に差し込んでいた可能性の方が強いですが」


「そこまで止められると、何故相沢さんに円盤を譲ったのか気になりますね。 それについては何か言っていましたか? 」


「ええ。『必要なことなんだよ。始まるんだ、ここから』と言っていました」


「それはまた意味深な」


「ええ。ですが、その言葉を思い出すと、こうも考えられるような気がします。もしかしたら、彼は後世まで語り継がれるような何かを残したかったのかもしれません。ひと昔前であれば口裂け女、近年ではコトリバコのような、人々の間で生き続けるようなナニカを。だからこの円盤を私に譲った。不可解なクレノメとルイエ村という謎を残して。まさにクレノメという伝承が『ここから始まる』というわけです。でも私は存在したという事を信じて調査を進めていきたいと思います」


「我々、正坐する骸骨も『クレノメ』についての情報はアンテナを張っておこうと思います」





「では最後に、よければこの円盤を実際に叩いてみませんか? Dさんの話しではクレノメに安らぎを与える音色がするそうです」


 相沢氏が箱から鈴棒を取り出す。


「いいんですか? ちょっと気になっていたんですよね。良い音が出そうな形をしていますし」


「たしかに異国の楽器として出されたら信じてしまいますよね。私も最初は期待していましたが……まぁ取り合えず叩いてみて下さい」


 三戸が相沢氏からハンマーを受取り、軽く円盤を打った。

 非常に高い金属音が響く。


「あ、結構綺麗な音がしますね」


「次はアタシにもやらせて下さい」


 古木が三戸から鈴棒を受け取ろうとした時、相沢氏の異変に気付く。円盤の響きはまだ続いている。


「相沢さん? どうされました? 」


「いや、そんな、おかしいな……」


 彼は明らかに動揺していた。視線が泳ぎ、三戸と円盤の間を何度も行き来している。円盤からの音は途切れることなく響き続ける。


「私は何度かこの円盤を叩きました。ですが何度やっても、ただの石を叩いているような音しか――」


 その場にいた全員が円盤を注視する。円盤が発する音が徐々に大きくなっている事に気づいたのだ。いや、俺の主観で言えば、音は大きくなっているというより音源が近づいて来ているような感覚だった。円盤の穴、その深奥からこちらへ向かってくるように。

 音はどんどん大きくなっていく。それはまるで遠くから響く金切り声のような様相を呈し始めた。来る、誰かが狂ったような金切り声をあげて、此方に来ようとしている。

 ついに音がピークを迎えた。あまりの大音量に全員が両手で耳を塞ぐ。俺は、音の主が円盤から這い出してくる、そんな気がしてならなかった。身体でも感じられる振動が、脳までグシャグシャに揺らしてくる感覚。

 限界だ、意識が飛ぶ。そう思った時、音は徐々に小さくなっていった。音の主が遠ざかっていくように、音量が上がった時と同様に徐々に小さくなり、ついには消えた。

 全員がゆっくりと耳から手を離したが、依然として視線は円盤に釘付けだった。

 この時、俺の頭にはD氏の言葉が浮かんでいた。



『コレに害はないよ。少なくとも僕と君にはね。鳴らせないんだから』

 じゃあ鳴らせたら、どうなる?


 

 静寂が室内を支配していた時、突然赤ん坊の声が聞こえた気がした。無邪気に笑う、赤ん坊の声が。俺は撮影中である事を忘れて「え? 」と声を出してしまう。 


「どうした?」


 古木がコチラを振り返る。俺は辺りを見回していた。 


「いや今、なんか赤ん坊の声が――」


 突如、部屋の照明が落ちる。撮影は昼だったが雰囲気作りの為に雨戸を締め切っていたので室内が暗闇に包まれた。


「銀城、ライト!」 


 古木の声で、俺はカメラのライトを点灯させる。

 それはまるでスポットライトのように、三戸の後ろ姿を照らし出す。

 彼女の絹の様な黒髪が光を反射している。やけに艶やかで、光が波のように揺れている。まるで夜の海面のようだ。

 俺は震えが止まらなかった。彼女が恐ろしかった。全身に悪寒が走ったのを覚えている。光の中にいる三戸 美波が発する、何か底知れない力。三戸の顔は見えない。しかし貪欲さに塗れた悦びのような、湧き上がるような暗い欲望の力を感じた。


「美波さん? 」


 俺が震える声で名前を呼ぶが、三戸は微動だにしない。

 突然、テレビの砂嵐のような音が耳をつんざく。カメラの故障ではなく実際に鳴り響いていた。みんなが再び耳を抑える。しかし三戸だけは姿勢を正して、ただ座っている。

 三戸の前の置かれた茶碗が倒れて卓上を濡らしていた。その水面が奇怪な動きをしている。まるで砂嵐の音に呼応するように水面が波立ち幾何学模様を形作っている。周波数によって水面が形を変える実験のようだった。

 まるでプチンとブラウン管テレビを消したように、砂嵐の音が止まる。同時に三戸の身体から力が抜けて床に崩れ落ちた。そして部屋の照明が点灯する。

 照らし出された部屋の中で、相沢氏は困惑したように辺りを見回していた。古木は三戸の傍へ寄る。


「美波さん! 美波さん大丈夫ですか? 」


 古木が三戸の身体を揺すって、声をかけている。


「相沢さん! 救急車をお願いします! 銀城手伝え! 」


「あ、はい! すぐに呼びます」


 相沢氏が携帯で救急車を呼ぶ。

 俺と古木は、救急車がくるまで三戸を介抱した。

 映像はこれで終了となる。


 三戸はすぐに病院に運ばれて検査を受けたが、特に異常は見られなかった。

 そしてこの撮影から一か月ほどして三戸 美波は失踪する。

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