僕は今日も手を合わせる

リバービレッジ

僕は今日も手を合わせる

 朝起きて、姉ちゃんの仏壇に手を合わせ、ポストの中を確認する。これが僕の朝の日課だ。ちなみに姉ちゃんは半年程前に起きた交通事故で亡くなってしまった。

 ある日、いつも通り起き、仏壇に手を合わせた。今日はなんとなく念入りに手を合わせた。久しぶりにつけた蝋燭の火を消して、玄関先のポストを確認しに行った。中にはいつもの新聞と白い封筒が一通入っていた。「株式会社あの世」と書かれた封筒が入っていた。封筒の中を開けてみると見たことのない土地の一行の住所と「お姉様にお会いできます。」とだけ書かれた一枚の便箋そして、電車の切符が一枚入っていた。気味が悪くすぐに捨てた。しかし、どうしても気になってゴミ箱から拾い出し、すぐに携帯で調べた。「株式会社あの世 手紙」、「死んだ人 会える 手紙」色々調べてみたが何も出てこなかった。不気味で、不気味で、また捨てた。しかし、捨てたはずの封筒がまるで僕を誘うように頭の片隅で光り続けた。なぜ、捨てたのか、なぜ拾い出したのか、自分でもわからない。ただ、「お姉様にお会いできます。」という言葉だけが心の中で何度も反響し、僕の全身を振るわせていた。気味が悪いと感じつつも、そのメッセージの真意に引き寄せられるように、僕はその手紙を再び拾い出し、気づけば僕の心は一瞬で決断を下していた。

 翌朝、普段とは違う重々しい空気が部屋を包んでいた。僕は切符と手紙を手汗いっぱいの手で握りしめ、最寄りの駅まで走った。そして、切符を改札に通した途端、静まり返った明け方のホームに3両編成の電車がやってきた。そして線路は空を切るように天へと伸びていった。恐る恐る乗り込み、中を見渡すと乗客は僕だけだったようだ。寝落ちしてから20分ぐらいだろうか、気づいたら電車は止まっていて、「終点 あの世駅、あの世駅」という車掌の声だけが響いていた。僕は急いで電車から降りた。

 駅舎のドアを押すと、「時が止まった」という感覚が僕を包み込みこんだ。周囲の世界はまるで静止画のように、動きが完全に消え去ったかのようだった。周囲の空気が一層重く感じられ、冷たい風が肌に刺さる。その静けさの中で、ただ自分の心臓の鼓動だけが響いていた。空は灰色の雲に覆われ、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。建物や街並みも、その色合いが淡くぼやけて、時間の流れが鈍化しているように見えた。一歩一歩歩くたびに、切る風がより冷たく、より硬く感じられた。その感触は、まるで時間そのものが物質化しているかのようだった。駅前で聞こえるはずの喧騒や、人々の歩く音もなく、ただただ沈黙が広がっている。これは現実なのか、それとも夢の中の出来事なのか、自分でも判断がつかないほどの非現実的な感覚が僕を包み込んでいた。そんな中、僕が駅前で例の手紙と街並みとを照らし合わせながら彷徨っていると、僕の膝ぐらいまでしかない小人に「何かおこまりですかな」と声をかけられた。よく見ると、彼の胸には「株式会社あの世」のバッチがあった。僕は無意識に送られてきた封筒を手渡した。小人はその封筒をじっと見つめた後、「任せんさい」とだけ呟き、一瞬のうちに踵を返し歩き出した。彼の動きは風のように軽やかで、全く無駄がなかった。僕はその後ろを、五歩ほど遅れてついていった。人気のない街を静かに歩き続ける中で、街の景色が次第に変わっていくき、色彩が失われていくように感じた。建物や街並みの輪郭がぼやけ、まるでモノトーンの水彩画が乾き切らないまま色が流れたような空間が広がっていた。すると小人は不意に「ここですな」とだけ言い、封筒を僕に返した。僕は彼に教えてもらった部屋の扉を叩いた。すると、一人の女性が顔を出した。その瞬間、僕は涙がこぼれ、泣き崩れ、「姉ちゃん」と声を震わせ、思いのままに抱き着いた。言葉が詰まって出てこない。ただ抱きしめるだけで、心の奥底から湧き上がる懐かしさと安堵が全身を包み込んだ。触れた手の温かさ、髪の匂い、それら全てが僕のお姉ちゃんであると確信させてくれた。

 僕と姉ちゃんは再会した後、静かに食卓を囲んでいた。部屋の中には、穏やかで懐かしい空気が漂っていた。日常だったこの時間が、夢と感じる不思議な時間だった。テーブルの上には僕の好物だった姉ちゃん特製の卵焼きが、あの時のままの味で存在していた。大好きな人と過ごしている、この瞬間が幸せでしかたなかった。食事が進むにつれて、無言で笑い合い、時折目を合わせて微笑んだ。その瞬間の一つ一つが、言葉にできない感謝と愛情を残した。姉ちゃんと一緒に過ごせる夢の時間が、永遠であってほしいと心から願いながら、あの日までは日常だったこの時を噛み締めていた。そんな心地に浸っていると、ふと小人に返された茶色い封筒が目に入った。昨日ポストを確認した時は白い封筒だったよなと思い、封筒を開けた。そこには、また一枚の便箋と切符が一枚入っていた。便箋には「明日の日が昇る時、駅から電車が出る、この世に明後日はない」とだけ書いてあった。僕はこれを無視しようと、捨てた。しかし、手紙のおかげでここまで来れたという事実と「この世に明後日はない」という言葉が、運命の警告のように脳内で響き渡った。このまま、この世にいることで何が待ち受けているのか、この世を去ることで二度と姉ちゃんと食卓を囲むことはないのか、不安と好奇心とそれとは違う何かとが交錯し、それら間で揺れ動いた。結局決心のつかないまま、寝床につき久しぶりに姉ちゃんと川の字で寝た。悩み、迷い、寝付けずにいた時、僕は姉ちゃんを「あの世」から連れ出し、もう一度一緒に暮すことを思いついた。そして、翌日の夜明け前、僕は急いで姉ちゃんを起こし、切符の入った封筒を握りしめ駅へ走った。駅までの道のりが昨日よりも早く感じた。「あの世駅」にはもう電車が来ていた。僕は姉ちゃんと急いでその電車に飛び乗った。一息つき気がつくと、僕は姉ちゃんの膝を枕に寝てしまっていたようだった。電車に揺られ、目が覚めるとそこはいつもの最寄駅だった。僕は姉ちゃんの腕を引き、いつもの道で家へ向かった。

 家の前にあるいつもの横断歩道で、僕が家の扉を開けようと先走った、その時だった、右からトラックが猛スピードで走ってきた。姉ちゃんが気づいた頃には、悲鳴とともに倒れていた。僕は虚ろに「またか」と呟くしかなかった。姉ちゃんは、轢かれ、死んだ。また死んだ。この世の廻りは変わらなかった。

 そして、僕は今日も仏壇に手を合わせる。変わらない日常の中で、彼女への想いを合掌に込め続ける。

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