黒兎? 白兎? 6
――最近、妙に眠い。
ライナルトは、ヴィルヘルミーネのベッドの上で、大きなあくびを一つすると、ごろんと長くなった。
魔王の呪いにむしばまれているこの体には、定期的に鈍い痛みが走り、そのせいか常に気だるく、特に兎の姿になってからは、ライナルトは痛みに耐えるという意味でもできるだけ眠るようにしていた。
だが、最近のこの眠さは、以前のように痛みを我慢して眠ろうとするものとは別の眠さだった。
まず、どこも痛くない。
定期的に襲ってくる痛みはすっかり鳴りを潜めて、毎日がすこぶる快適だ。
そして、ぽかぽかと陽だまりにいるかのように体が温かくて気持ちよくて、じっとしているとすぐに睡魔が襲って来る。
体が白く変色しはじめたことにも驚いた。
呪いを受けて、ライナルトは人間の姿のときでも黒髪に黒い瞳であったけれど、母が言うには、生まれたときは銀色の髪にエメラルド色の瞳をしていたらしい。
それが生後一年も経たないうちに髪と瞳が黒く変色しはじめ、体毛が濃くなりはじめ、耳や尻尾が生えてきたと母は言った。
父や母が、白魔術師たちを使って必死に呪いの進行を止めようと頑張ってくれたこともあって、呪いの進行は緩やかだったが、完全に消えるわけでも止まるわけでもなく、ライナルトの体は年々人間らしさを失い、ついには真っ黒な兎に変わってしまった。
そんな黒く変色したライナルトの体が、白くなりはじめている。
(ヴィルヘルミーネの影響なのだろうか……?)
ライナルトにも理由はよくわからないが、原因があるとしたらヴィルヘルミーネしか考えられなかった。
あれだけ痛かった体が、ヴィルヘルミーネに抱き上げられた途端に痛くなくなったのだ。
それ以降、一度も痛みを訴えていないし、毛の色も変色しはじめたとなれば、ヴィルヘルミーネが原因としか考えられない。
ヴィルヘルミーネは、魔術と白魔術の両方が使える。
叔母は強い白魔術使いだったので、ヴィルヘルミーネがその力を受け継いでいても不思議ではなく、そのせいでライナルトの体の痛みが消えたのかとも思ったが、思い返してみる限り、白魔術師たちの力でライナルトに変化が出たことは一度もなかった。
白魔術では、呪いの進行を緩やかにすることはできても、止めることはできない。
ましてや、呪いを後退させることもできない。
(どうしてだろう?)
不思議でならなかったが、ヴィルヘルミーネの側は居心地がよく、痛みも感じないので、今はそれだけでいいような気がした。
ヴィルヘルミーネはライナルトをライナルトと認識してもなお、側に置いて面倒を見てくれている。
国に迷惑をかけないために逃げようと思っていたのに、最近では、そんな気持ちはすっかり失せて、ヴィルヘルミーネの側から離れたくなくなってしまった。
外見こそなかなか気が強そうではあるが、ヴィルヘルミーネはとても優しい女性だと思う。
笑顔は可愛いし、ライナルトを撫でる手は優しく温かい。
腕に抱き上げられるのも、恥ずかしいけれど嫌ではない。
ただ、兎の姿とはいえ、男の顔をその豊かな胸に押し付けて、ヴィルヘルミーネは平気なのだろうかと不思議には思うけれど。
ごろーんと、体を長くのばしたままベッドの上を転がってみる。
なんにせよ、体が痛くないのはいいことだ。
体が痛みを訴えないことが、こんなにも素晴らしいことだったなんて、ライナルトは知らなかった。
このまま呪いがどうなるかはわからないが、ヴィルヘルミーネの側にいたら、体が痛くてどうしようもないという状況にはならない気がした。
それ以上に、ヴィルヘルミーネの側は心地よく、常に一緒にいてくれるから気分もいい。
呪いが進行してからは、人目に触れさせないようにと塔の中で生活していたこともあり、ライナルトは孤独だった。
父や母、弟が会いに来てくれてはいたけれど、国王や王妃、王太子である彼らはとても忙しく、ライナルトに使える時間がたくさんあるわけではない。
それに、せっかく会いに来てくれても、体が痛くてほとんどの時間をじっとして過ごしていたライナルトは、兎になって口がきけなくなっていたこともあって、家族とろくにコミュニケーションが取れなくなっていた。
寂しい、悲しい、痛い……。
けれども、そんな感情を口に出すことすらできない。
せめて死ぬときは家族に迷惑をかけないようにと、逃亡を決意したライナルトの世界は、ヴィルヘルミーネに出会って一変したのだ。
にこにこと微笑んで話しかけてくれるヴィルヘルミーネと会話がしてみたい。
この身にかけられた呪いが解けることへの期待なんて、とっくの昔に捨てていたはずなのに、最近になって再びその願望がライナルトの中に芽生えはじめていた。
呪いが解けてほしい。
人に戻りたい。
ヴィルヘルミーネに出会う前を思えば、今のこの状況はとんでもなく幸せのはずなのに、人の願望というものは際限がないらしい。
バスルームの当たりから物音が聞こえてきて、ライナルトは長い耳をひくひくさせる。
ヴィルヘルミーネが風呂から上がったようだ。
ライナルトは起き上がり、ぴょんとベッドの上から飛び降りた――その直後。
兎の姿で華麗に床に着地するはずだったライナルトは、突如視界がくるりと回り、ドスン! という大きな音とともに腰をしたたか打ち付けて目を白黒させた。
「な――」
驚いて飛び起きようとして、口から声が漏れたことにさらに驚愕する。
バッと自分の両手を確認すると、毛むくじゃらの小さな兎の手ではなく、肌色をした、人間の手がそこにあった。
「え?」
首をひねってると、バスルームの当たりから「ねえギーゼラ、何か大きな音がしなかった?」というヴィルヘルミーネの声が聞こえてきてハッとした。
立ち上がり自分の全身を見下ろしたライナルトは、大慌てでベッドのシーツをはぎ取ると、自分の体にぐるぐると巻き付ける。人に戻ったらしいが、ライナルトは全裸だったのだ。
シーツを体に巻き付けた後で、もしかしなくともこれは不審者にしか見えないのではないかとおろおろしたが、もっとましな格好になる方法を考える間もなく、無情にもバスルームの扉が開いて――
目を真ん丸にしたヴィルヘルミーネが、「きゃあああああああ‼」と悲鳴を上げるまでは、あっという間のことだった。
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