第42話 生きるか死ぬか
「敵、敵敵……敵イイイイイイイイッ!」
「フンッ。そんなもの、わたくしには当たりませんわ……」
【シルル】の巧みな斧裁きに加え、『トランプルフィールド』による猛攻。触れてもいないのに木々が次々と薙ぎ倒される中、マズルカ殿下は淡々と躱してみせる。
土煙が上がって土臭さとともに視界不良になるが、高い魔力レベルのおかげか影の輪郭を見るだけでもある程度の状況は把握できた。
ちょうど敵の範囲内の2メートル以内に入るか入らないかってところで、殿下はぎりぎり避けているといった印象だ。おそらく一つの一つの動作の無駄を省くことによって、なるべく体力を温存しようという意図があるんだろう。
こういう具合に、よく観察しないとわからない細微な工夫を決戦の場で難なくやってのけるという点に、第一王女の卓越した度胸と才覚、さらには冷静沈着さが窺える。
自身に悪意を持つ者の体力を減らす効果のテクニック『聖なる鼓動』も相俟って、回避しているだけでも敵にダメージを与えられるという意味でも、殿下の策略は非常に優れているといえる。
ただ、それでも中位の魔物【シルル】には『自然回復量向上・中』があるわけで。お互いに隙を見せない限りは膠着状態となり、我慢比べの時間帯がしばらく続きそうだ。
王女自慢の高等技術『血の粛清』も、使用する時機をほんの僅かでも間違えると逆に窮地を招いてしまうだろう。
また、【シルル】の『嵐の予感』も偽物――【シルルの思念】のものとは比較にならないほど身体能力が向上するはずだ。当然、大きな消耗を代償にするだろうから、両者ともに奥の手を使うタイミングが重要になってくる。
「……」
二人の戦いは動きが少ないように見えるので極めて地味だが、その中身はといえば絶妙ともいえる駆け引きが繰り広げられており、まさに死闘と呼ぶに相応しいクオリティだった。
なんていうか、こうして遠目に見ているだけで声を失うほどの迫力なんだ。たとえ出せたとしても言葉だけでなく意味さえも瓦解してしまうように思える。
命をかなぐり捨ててでも勝つんだという闘争心と、元人間の魔物の執念がぶつかると、こうも縺れるものなのか。熾烈極まる激戦というか、とにかく重いんだ。何もかもが。
「マズルカ、シルル……何があろうと、余は現実を受け止めよう。これまで目を背けてきたことへの贖罪の意味でも……」
第一王子のローガはとても複雑そうな相好をしておられた。魔物に憑りつかれたとはいえ、想い人と妹が戦っているのだから当然ともいえるが。
「殿下ぁ……。私は、私は……イケナイ想像をしていまいそうです……」
侍従のロゼリアの表情もなんともいえない。彼女としても、マズルカに勝ってほしいという気持ちと、その恐怖の支配からいっそ逃れたいという気持ちがせめぎ合うようにして同居しているんだろう。俺と二人で夜逃げしようと企んでたくらいだからな。
「……」
「アイラ、どうした?」
「あ……い、いえ、ルード様、なんでもありません……」
その中でも、とりわけアイラの様子がおかしいことに俺は違和感を覚えていた。戦いの様子に夢中になっているというよりは、むしろ心ここにあらずといった雰囲気を醸し出していたからだ。
そういえば、アイラは以前もそんなことがあったっけか。確かそのときも第一王女のほうをぼんやりと見ていたっけ。
もしや、王家と何か関係があるんじゃないかという疑念も浮かんだが、彼女の名前はアイラ・ジルベートだ。『レインボーグラス』でそこは何度も確認している。
なので、侍従のロゼリアに仕えている身とはいえ王族の近親者とは思えない。なんていうか、マズルカ殿下の人間離れしたオーラを前にしてアイラの気持ちが追いつかないのかもしれない。
お、決戦のほうに動きがあった。先に動いたのは【シルル】のほうだ。無風の中で金色の短髪が烈火の如く逆立つ。身体能力が大幅に向上する『嵐の予感』を使ったのは明白だった。
「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
「くうぅっ……!?」
【シルル】が水を得た魚のように怒涛の攻勢を仕掛ける。全身にバチバチと火花のようなものを纏い、斧が一閃するたびに轟音とともに木々が根こそぎ倒れていく。さすがのマズルカ殿下もこれには防戦一方のご様子だ。
顔を歪めつつ起き上がっては地面に叩きつけられるという劣勢状態が続いていた。この状態の『トランプルフィールド』は、掠っても無傷じゃ済まない。もし中心付近に当たれば、マズルカであっても致命傷は避けられないんじゃないか。
だが、それはあくまでも現状の話であり、それがずっと続くとは思えない。押されているとはいえ、マズルカはまだ『血の粛清』と『サクリファイス』という切り札を二つも残しているからだ。
もちろん、ラストエリクサーじゃないが、それらを使うことなく【シルル】がこの勢いのまま押し切る可能性も捨てきれない。
それでも、殿下は着実に【シルル】を少しでも有利な状況へと誘い込んでいるように見えた。おそらく、そこから取って置きの手段も含めて集中攻撃というか畳みかけるつもりなんだろう。
「そろそろ終わりにいたしますわ……」
やはり、俺の予想が的中する格好になっていた。マズルカは相手がどうしても避けられない状況を作り出そうとしていたのだ。おそらく、あのテクニックの布石だ。
「死になさい」
蟻地獄のように【シルル】をテリトリーの中心へと誘い込んだのち、第一王女の伝家の宝刀である冷血の惨劇がターゲットを呑み込む。
「グオオオオオオオッ!」
今まで、殿下が傷を負いながらも『血の粛清』を使わないのにはこういう理由があったのだ。
白煙が立ち込める中、【シルルは】は苦し気にうずくまりつつもまだ生きていた。あれをまともに食らって死なないどころか、容易く溶解すらしないのはさすが中位の魔物といったところか。
「あ……」
それでも、この決戦に終止符が打たれるのは時間の問題と思える中、異変が生じた。アイラが卒倒してしまい、俺は彼女をすぐさま抱え起こしたのだ。
「ア、アイラ、どうした……!?」
「……ル、ルード様、大丈夫です。ちょっとフラッとしただけですから……」
「そうか、それならよかった……って!」
それに気を取られたのかどうかはわからないが、マズルカ殿下が突如としてバランスを崩し、その一瞬の間隙を突いて【シルル】が第一王女に襲い掛かる。
「マ、マズルカアアァッ……!」
異変を感じ取っていたのかローガ殿下が既に駆け出しており、マズルカの前に立ち塞がっていた。
「敵――」
だが【シルル】はローガを前にして、一向に攻撃しようとはしなかった。それどころか動く気配さえもない。何故だ?『血の粛清』を食らっているとはいえ、持っている能力を考えれば反撃くらいはできるはず。
「シルルお姉様に憑りつく悪霊のみを、駆除いたしました……」
「あ……」
そうか、そうだったな。そういやそんな方法があったか。
妹の仇とはいえ、彼女にとって【シルル】は親しかった相手でもあるし、マズルカ殿下は最初からこれを狙っていたのかもしれない……。それでも、【シルル】――いや、シルルの体は激しく損傷、衰弱しているらしく、最早喋ることすら叶わないくらい虫の息だ。
悪霊が追い払われたことにより、持ち前の自然回復力や再生能力も失われてしまったってわけだ。ただ、悪霊に憑りつかれた時点で血が入れ替えられ、身体は魔物と化すんだ。なので早期に除霊していたとしても人間には戻れず、しかも助からないそうだから仕方がない。
「シルル……誠にすまないことをしてしまった。お前のことからずっと目を背けていた余を、どうか許してくれ……」
「……気に、するなよ、ローガ……」
シルルのか細い声が聞き取れたのはそこまでだった。ローガ殿下に向かって何やら呟くとともに、顔をしかめた。
「……マズルカ、あの能力を頼む……」
「はい、お兄様……」
苦痛にあえぐ者の命を消す効果の『慈悲の心』を第一王女が使用したらしく、シルルは沈痛な御顔をされたローガ殿下の腕の中で、安らかに息を引き取ったのだった……。
憔悴した様子の第一王子はもちろん、マズルカ殿下も勝ったとは思えないほど複雑そうな面持ちをされている。
そうだ……俺はふと思い立ち、シルルに従魔チャレンジをすることにした。
それについては、本当にやっていいのかという葛藤は当然あったが、こんな終わり方じゃあまりにも悲劇的すぎるし、シルルをこのまま死なせるわけにはいかないと思ったからだ。
『マンホールポータル』を使用し、弱らせた時点の過去に戻ってシルルに『マテリアルチェンジ』で従魔変換を試してみる。
成功率はそりゃ低いだろうが、俺は絶対に諦めたくなかった。
「……はぁ、はぁ……」
100回以上は軽く試行しただろうか。精神的にそろそろ厳しくなってきた頃、シルルの顔色が見る見る良くなるのがわかった。
「――う……」
「シルル……!?」
「あ、あたし、どうしちゃったんだろう。生きてる……?」
むくりと起き上がり、唖然とした顔で自身の体を見やるシルル。
「シ……シルルゥウッ! 余はもう、そなたを一生離さぬ……!」
「……ローガ……」
ローガ殿下がシルルの華奢な体を抱きしめる。
ここで黙っているわけにもいかないので、俺は王子の御前に跪いた。
「殿下。差し出がましい行為だとは思いましたが、私が彼女を魔物の眷属として従魔に変えました」
「な、なんと……。ルード、そなたの仕業であったか。【錬金術】でそのようなことまでできるのだな……!」
殿下は甚く感激した様子で、俺の肩に手を置いてきた。
「はっ。殿下のためになるならばと……」
「……ルードよ。この恩は一生忘れぬぞ……」
ローガ殿下に涙ながらに抱擁され、俺もじんわりと来るものはあったが、その一方で間違ったことはしていないのだと思いたかった。
というのも、寸前までどうするべきか迷いに迷っていたからだ。シルルを生かしたことは、村人たちを惨殺した彼女を苦しめることにも繋がるように思えた。
それでも、彼女の意志でやったことではないし、村人たちへの罪滅ぼしの道も残されているという結論に至ったというわけだ。
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