第8話 リバーサイド
彼女はどこにいたのかというと、祭壇の前にちょこんと座っていた。
「アイラ、こっちはもう大丈夫だ」
「……」
「アイラ……?」
俺の声にようやく反応したのか、アイラはむくりと立ち上がったが、振り返る気配がない。
な、なんか凄く怒ってそうなオーラを感じるな。こんなところで一体何をしていたのか、誰かを呪っていたのかと問い詰められそうな気配だ。
「……ルード様……どうして、黙っておられたんですか……?」
「い、いや、待て、アイラ。俺はここで修行してただけであって、決して疚しいことは……」
「そんなことは疑ってませんよ?」
「え?」
「私はただ、感動していたんです。だって、ここは壁画を見ればわかりますが、聖人ヨーク様の祠だったからです! もっと早く言ってくださったら、私もルード様と一緒にお祈りできたのに!」
「……」
なるほど、ここは聖人ヨークを祀る祠で、アイラも崇拝していたのか。なのに、祠がある場所を知らなかったみたいだな。
あー、そういや、実際にはあの祠はグラスデン家の屋敷から結構離れた渓谷にあるわけで。
ゲームだとこの祠で修行すれば多くの魔力を稼げることもあって、プレイヤーからは隠し部屋の宝箱的な扱いだったしな。
そのことをアイラのような信者が全て知ってるわけじゃないっていうのも頷ける。
「聖人ヨークって、どんな人なんだ?」
その辺の設定については、ゲームにそこそこ詳しい自負のある俺でもよくわからない。そんな深いところまでは興味がなかったっていうのもあるが。
「ヨーク様はですねえ……!」
「……」
それから、俺は小一時間ほど聖人ヨークについて聞かされる羽目となった。聞かなきゃよかった……。
ただ、ヨークっていうのがコボルトで、犬人間だと知って驚いた。そんな設定だったんだな。
見た目はというと、犬耳が生えてるだけの犬人間もどきじゃなくて、ガッツリ犬の顔をしているらしい。聖人といっても人間に限定されるわけじゃないし、ありえない話でもないか。
とても崇高な人物でカリスマ性を持っていたらしく、多くの信者たちに崇められていたんだとか。
「本当に、偉いですねえってヨーク様の頭を撫でてあげたかったです!」
「……」
アイラ……それってペット感覚で崇拝してないか? 看板猫じゃあるまいし。まあいいや。
「ルード様の魔力が大幅に上がったのは、ここで祈ったからなんですね」
「ああ。そこはもう否定できない」
「本当に本当に、悪いことは企んでないですよね? 本当に?」
「ないない」
この念押しはいかにもアイラらしい。
「前にも言ったように、俺は大きな力を得て、自由に生きたいんだ。そりゃ、俺に不遇な扱いをしてきたグラスデン家に見返したいのはあるが、滅ぼしたいとまでは思ってないよ」
「そうなんですね。でも、滅ぼす一歩手前までは大丈夫です」
「……大丈夫なのか」
「だって、伯爵家の誰もがルード様を不当に扱っているので、それくらいの報いは受けるべきです」
「なるほどな」
「ただ、だからといって滅ぼすようなことをすれば、国賊となって身分を失ってしまいます。なので、ルード様には無謀なことをしてほしくありません。私の正体は知っているのでしょう?」
「……そりゃな」
「それなら話は早いです。ルード様。私はあなたを敵だと思いたくはないのです……」
「……」
俺はアイラの言葉に黙って頷いた。
俺が闇落ちするっていう本来のシナリオは現時点で止まってると思うが、それを進めるような展開にしてはいけない。とはいえ、ここはゲーム世界。本来のシナリオへの吸引力がどう働くのか予測できないため、決して油断ができないのも事実。
「それにしても、あのマンホールからこんなところへ出るなんて思いもしませんでした。どこにでも行けるんですか?」
「……ああ。俺が行ったことのある場所ならどこにでもな」
とはいえ、あくまでもルードの行ったことがある場所であって、前世の世界はさすがに対象外だろうけど。
「それなら川辺へ行きたいですけど、大丈夫です……?」
「もちろんだ」
「そうだな。どうせだからちょっと行ってみるか」
川なら祠に来る途中で通ったし。
「ル、ルード様!?」
祠で『マンホールポータル』を使って蓋を開けてみたところ、目下には渓谷の一部があり、そこに川が流れているのがわかった。川の周りには砂利や色とりどりの草花を散見できて、アイラが行きたいと言ったのも納得できる。
「きゃっ。冷たいです!」
気が付くと、アイラが靴を脱いで川に素足を入れていた。
「行きたいところへ一瞬で移動できちゃうなんて、ルード様の能力、本当に面白いですね! あの、一つお願いがあるんですけど……」
「お願い? あ、真っ裸で水浴びかな。それとも、お花摘み? しばらく後ろ向いてるから、お構いなく」
「どっちも違います! できれば私もあの祠で修行したいと思って……」
「えぇ?」
「ヨーク様の祠というのもありますし、私もルード様のように魔力を上げたいんです。打倒、グラスデン家!」
「お、おいおい。打倒グラスデン家って、俺も入るんだが……」
「あ、打倒グラスデン家といっても、ルード様は別ですよ?」
「……わかってるさ。本当にお行儀の悪いメイドだ。お仕置きしないと」
「お、お仕置きですか?」
「ああ」
俺は川の水を両手で掬うと、アイラにプレゼントしてやった。
「ひゃっ!? つ、冷たっ……このおおぉっ!」
「うっ……! やったなあ!?」
キャッキャウフフと水を掛け合う俺たち。若干照れ臭いのは確かだが、こういう青春を現実でも謳歌したかったこともあってやってみた格好なんだ。
そうだ。ゲーム世界とはいえ、ここも現実じゃないか。キャラクターの人物紹介ではそこまで書いてなかったが、アイラにも生まれ故郷や親がいるはず。
俺はそれを確かめるべく、アイラに質問してみることにした。
「アイラは小さい頃、どんな子供だった?」
「……」
「アイラ?」
なんだ、アイラの表情が急に曇った。
「それが、記憶喪失みたいで……」
「記憶喪失……?」
「はい。お父様が言うには、病気で記憶がなくなったんだとか。なので小さい頃のことは覚えてません。でも、住んでいた場所は覚えてますよ」
アイラはそれから生まれ故郷について嬉々としながら話し始めた。物心がついたときにはもう母親は病で亡くなっていたそうだが、父親はとても穏やかな人で、一人で自分を育ててくれたんだとか。
なんだかホッとした気分だ。一瞬、記憶がない=設定がないって意味かと思ったが、病気が原因でそうなったらしいし、この世界はゲームが元になっているだけでちゃんと現実なんだな。
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