第11話 ハイレベルな男が感じた恐怖②
有馬は仕事を続けながらさらに回想に耽った。
おかしい。
今日は集中できない。
それでも資料をめくる手は止めなかった。
工場のバイトの初日、朝に茨木駅に集合した。どこに集まればいいか不安だったが、それは杞憂だった。一目で派遣とわかるようなオーラのない集団が、いや、むしろ負のオーラに満ちた集団がそこにいた。朝からガタゴトとバスに揺られて工場へ運ばれていくその様子は、今振り返るとリアルカイジだった。俺は人生経験だと思って少しワクワクしていたが、彼らは真剣そのもの。この仕事の稼ぎ、日給6000円で生計を立てている。20歳の俺でもできる単純労働が、彼らにとっては世界のすべてだった。
ある日、バス代がなく、同じ派遣の見ず知らずの男に500円を貸すことになった。男はライアーゲームに出てくるキノコみたいな髪型をしていた。やたらと話しかけてきて、休憩時間もべったりだった。俺がイヤホンをして音楽を聴いているのに構わず話しかけてくる。そのしつこさに苛立ちながらも、男は「ってなわけで、貸ーしーてー」と変な調子で頼んできた。
話を聞けば、どうやら親に土下座して大学を辞めたとかなんとか、自分には興味のない話ばかり。俺は音楽を聴きつつ生返事を返していた。結局、500円を貸すことになった。押し切られたのは癪だったが、ちゃんと返しにくるか見てみたいという気持ちもあったのだ。
数日後、メールでやりとりし、茨木駅のホームで返してもらった。改札の向こう側にいたのは、お金を使わないためだろうか。それ以来、その男との交流はない。今となってはどうなっているのか不明だ。
ダイソー立ち上げのバイトも経験した。オープン前で客がいないのに、納品しながら声を出すという意味不明のバイトだった。「可愛い子犬のカレンダーはいかがですかー?」「可愛い子犬のカレンダーはいかがですかー?」と、なぜか復唱をさせられる。また、声を出さないバイトリーダーの女に対して、「やらないのに同じ給料を貰うとはどういうことだ?」と叱る社員がいた。理屈はわかるし、いけすかない女だったが、意味不明なことをやらせる方がどうかしている。
そして、一番インパクトがあったのが、シャンプーとコンディショナーのお得用パックを詰める作業だ。ベルトコンベアーを流れてくるプラスチックパックにシャンプーとコンディショナーを入れていく。工夫も効率化もない。ただひたすら、同じ動作を繰り返す。これほどまでに時間の流れが遅く、生きる意味を問われた時間はない。
ふと周りを見渡すと、同じことをしている人たちがいた。そして、いずれも自分よりはるかに年齢が上だった。
お前たちは一体何をやってるんだ?
口の中が強烈に渇き、全身から血の気が引いた。俳優を目指す男も、大学を辞めて500円を借りるキノコも、まるでカイジに出てくるようなオッサンたちも、日本のカースト制度がそこにあった。
俺がハイレベルな理由は何なのだろう。自分でもよくわからない。環境なのだろうか。もし、あの中に居続ければ、きっと俺も染まっていただろう。だから派遣、バイト、フリーターなどを馬鹿にしてはいけない。彼らがいるからこそ、正社員は豊かでいられるのだ。これは実力の問題ではない。そのことを忘れるなと、自分に言い聞かせる。
今の俺は自由に筋トレ、サウナ、セックス、グルメ、ドライブと、やりたいことをやっている。たまに悩みもあるが、それはどん詰まりではない。あの光景こそが最悪であり、悪夢なのだ。だから、このくらいのことは文句を言わずにやるべきだ。いつでも好きなようにできるのだから。力があるから、女性が嫌がってもペニスを出し入れして喘がせることができる。株が落ちようともまた戻る。仕事と投資を続け、健康に気を使うこと。それが俺がやるべきことだ。
「イノベーションによって生まれる剰余価値は、たかが知れているのだ」ということが、ようやくわかってきた。資本主義の発展の肝は、結局、安い労働力にしかないのだ。身も蓋もない話だが、日本の経済発展が頭打ちになっている時代だからそう見えるのではなく、海外も含めて経済発展の歴史を振り返ると、「結局、すべての国がそうだったのだ」という真実が見えてくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます