第4部再来日と裁判の結果(損害賠償請求訴訟の続き)
第3章 損害賠償請求訴訟の続き
(原告の主張)
損害賠償請求訴訟では原告側はアルテマールの死は従業員が注意を怠ったのが原因だと指摘した。さらに、被告はこの従業員の雇い主として損害賠償の義務があると主張した。
(裁判に負けた)
その後久子さんから「裁判に負けた。連休には大阪に行くからね」という電話があったのを最後に連絡がなくなった。
(訴状の概略)
事故の詳細は私には分からないが手元の訴状の写しをもとに補足したいと思う。
事故当時は工場は機械の故障のため操業を停止しており砂ホッパーとベルトコンベア以外は全て止まっていた。通常通りプラント全体が稼働していない以上は本件砂ホッパー内に砂を投入する必要がなく、事実そのような予定もなかった。本件事故において砂ホッパーに砂を投入したのは担当者の丸木ではなく、別の人だった。その人は本来原石ホッパーの担当で砂投入は担当していなかった。たまたま本件事故の前日に初めて丸木に代わって砂投作業を行ったことがあるに過ぎない。
従って、本来の担当者ではない者が、操業を停止している工場で、どうして砂ホッパーを稼働させたのか、そこにどうして一夫が落ちたのか、何故一夫が落ちたタイミングで砂が投入されたのか、そういった一夫が死に至った経緯を裁判で解明してほしいと書かれている。
(新聞記事に驚く)
1995年2月 Y新聞に【ブラジル人労災死で8千万賠償請求】が報道された。
この記事を見て久子さんも私もびっくり仰天した。〈ウーン⋯!〉と頭を抱えたがもう後の祭りであった。このような高額の賠償請求になるとは思わなかった。
1995年4月に1回目の裁判が始まりそれから久子さんは一人で裁判に立ち向かった。そうして1998年5月結審した。結果は、あまりに高額な賠償請求の金額だったから
〈やっぱり負けたか〉と私は思いました。
国をまたいでの裁判は手間がかかる、時間がかかる、渡航費もかかる。それ以上に言葉の問題が大きい。
(30年後に結末を知った)
一夫君が亡くなって31年、ずっと気にかかっていたのは裁判の結果だった。本書を書き終えるに当たり、2021年秋、当時の弁護士さんに電話をした。突然の電話にもかかわらず事件のことも私のことも覚えておられた。(尤もお互いの顔までは覚えていなかったが)。損害賠償請求訴訟で「敗訴的な和解が成立した」との即答だった。詳細は教えていただけなかったが、この「敗訴的な和解」の意味するところは、勝訴的和解に比べて賠償金の額は低いものの、ある程度の賠償金は手に入ることで私ににとってこの結果は 心底有難い‼ 嬉しい‼ 〈ホーッとした〉の一語に尽きるものでした。
「見捨てはせぬぞ!」というオーランド大使の心意気は今も忘れられない。
(第4部 終)
(あとがきへ続く)
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