極短小説・終わりなき暗い山道

宝力黎

終わりなき暗い山道

デジタル時計は午前二時半になろうとしている。村田市朗は自宅を目指し、慣れない山道でハンドルを握っていた。

「大丈夫だ……絶対大丈夫だ……」

 先刻から市朗は同じ言葉を繰り返していた。それは念仏のように。

 何度もミラーで後方を確認した。付いてくる車両はない。道はS市からD市へと続く山越えの旧道だ。住む者もいないような山間には、こんな時間にクルマを走らせる者もいないのだろう。そんな、いわば裏道を走ってD市にある自宅へ帰らねばならない事情が市朗にはあった。

 一時間前、市朗はネットで知り合った何処の誰とも知れない男二人と組み、S市で空き巣に入ったのだ。明かりの消えた戸建てには、難なく侵入出来た。物色すると、仏壇があった。着物姿の老人が写真のなかで微笑んでいる。その傍で高級な腕時計数本と札入れを見つけた。札入れには万札が百枚近く入っていた。それを手にしてもなお男たちは立ち去らず、味をしめた三人は二階へと向かった。誰もいないとばかり思い込んでいた家の二階には家人の男が眠っていた。三人の気配に気づいた男は大声を上げたが、一人が手にしていたハンマーで後頭部を殴られると頭を抱えて昏倒した。薄暗い部屋だが、男の頭から流れ出た大量の血がカーペットに広がるのが見えた。三人は慌ててその家を後にした。

 クルマに戻ると、急いでカネを分け合った。時計も一人一本ずつ分け、無言で別れた。後の二人がどうしたかは市朗も知らない。

 帰る途中でパトカーを見かけるたびに目をそらした。目立たぬように安全運転をしてS市の外れまで来たが、山道に入る時にも警察車両は見えなかった。一安心だが気は抜けない。

 覆面をし、無言で凶行に及んだ。目撃者も居たと思えないので、すぐに足が付くようなことはないだろうとも思った。だが、それでも、多くの犯罪者がそうであるように、常に上手の手から水が漏れるものだ。

「時計を売るのはやめよう」

 とりあえず手元には三十万ほどある。

「相当ほとぼりが冷めたら――」

 恐怖と不安から独り言は止まらない。

「にしてもすげえ道だ。来たことなかったけど、これじゃあすれ違いも満足に――」

 独り言は途切れた。

「うわあ!」

 叫ぶと同時にブレーキを思い切り踏んだ。ドスンという鈍い感触が伝わり、黒い影が路肩に転がるのが見えた。

「な、なんだ?」

 人だとは思いたくない。人も住んで居なさそうな山道なのだから。

「動物か…?」

 降りたくはないが、確かめなくてはならない。それが野生の動物なら放置して帰れば良いと思えた。もしも人間なら――。

 恐る恐るクルマを降り、市朗は路肩を見た。全身から血の気が引く思いがした。それは、人だった。性別は分からない。跳ね飛ばした勢いで、上半身は木立に隠れていた。ただ小柄に見える。ライトの明かりの外なので服装も判然としないが、市朗にはそれが古い着物姿に見えた。

 震えて声も出ない。市朗はボンネットとミラーにすがるようにしてクルマに戻り、ドアを閉めた。

「ど……どうする?どうすりゃいいんだ……」

 だがいまの市朗に出せる答えは一つしか無かった。

「逃げよう……」

 見回したが他のクルマなど一台も見えない。人影もない。ならば――と。

 走り始め、ミラーで後方を見た。道は緩やかな上り坂で、カーブが続く。あっという間に倒れた人物の足は見えなくなった。

「分かるわきゃ無い!分かるわきゃ……」

 強盗致傷の上に人身事故だ。仮に死んでいれば危険運転致死――。保護責任者遺棄致死とどちらの罪が重いのだろうかなどと無い知識で散漫に考える市朗は異常なほどの悪寒に身震いした。見ればハンドルを握る腕は鳥肌が立っている。唾を飲もうとしても口の中はカラカラに乾いていた。

 山側には鬱蒼とした木々が連なり、反対側はガードレールのある傾斜面だ。その道を市朗は走り続けた。

「俺は……運が良いんだ……ずっとそうだったじゃないか……」

 子供時代から自分は運が良いと思っていた。困った時も、必ず親や周りが手助けし、最後にはどうにかなった記憶しか無い。

「だから今度だって……」

 奇妙なことに強盗も事故も、記憶が奇妙なほどあやふやに思え始めた。本当にあったのだろうか?実はただの妄想で、自分はなにもしてはいないのじゃ無いだろうか?

「そうかもしれない」

 そう呟いた時、何かがドスンとぶつかった。悲鳴は出ない。ただブレーキを思い切り踏んだ。クルマは停止したが、数分間動けずにいた。

「な……なにが……」

 全身が震える。それでも、市朗は外に出てみた。クルマの前方に、人が倒れていた。

「ひ!」

 大慌てで運転席に戻るとドアを閉め、人をよけて走り始めた。

「う……うそだろ……そんな……」

 道の真ん中に横たわった人はまだ見えている。動く気配はない。震えは大きくなり、自分の腕を反対の腕で掴まなくてはならないほどになっていた。

「はやく……早く逃げなきゃ!」

 緩やかな坂道は続いている。空に月もない夜だ。ライトは自分の行く手だけを照らすが、先には闇しかない。

「街は――街はまだかよ!」

 思わず叫ぶ。チラリと助手席を見ると、札の上に古びてはいるが有名ブランドの時計がある。確かに強盗を働いたのだ。しかも人を、一晩で二人もはね、そして逃げたのだ。市朗は思った。

「絶対に、捕まるわけにはいかない」

 刑務所に入ったことはないが、それだけはイヤだった。自由に街で遊び、飲み食いしていられる身分を捨てたくはないと思った。

「絶対に!」

 思わずアクセルを踏む。不意にドスンという音と衝撃が――。


 市朗は朦朧としていた。

「もう……何回事故ったろう……何人轢いた……俺は何人……」

 走っても走っても暗い山道だけが続き、人が飛び出してきてはそれを跳ねた。永遠にそれが続くのかと思うと、市朗は後悔した。

「もう……やめてくれ……」

 だが暗い山道に終わりはない。市朗が入り込んだ山道に、終わりなどない。

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極短小説・終わりなき暗い山道 宝力黎 @yamineko_kuro

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