朝陽と凛

千織

第1話 友達異常恋人未満

 凛はそこそこにもう大人だったが、周りから見たら随分好き勝手に生きているように見えた。独身で派遣やらバイトやらを組み合わせてその日暮らしをしていた。


 ある日、凛は風呂上がりにガンガンとエアコンをかけ、タンクトップにショートパンツという格好でソファにあぐらをかいていた。そして、朝陽にメッセージを送った。朝陽は大体同い年で、仕事で知り合ってから、飲んだり、遊びに行ったり、セックスをする仲になった。


「久しぶり。近々ヒマある?」


 そんな一言を送った。ブッ、と一瞬スマホが振動した。すぐに返事が来た。さすがヒマ人。どうせ漫画か動画とか見てたんだろ、と思いながら凛はコーラをがぶ飲みして画面を開いた。


「お察しの通り空いてます。明後日の夜なら」


「じゃあぜひ。生理中ですけど」


「事前のご報告ありがとうございます。それが理由で会う会わないが決まるわけじゃないけど」


 凛はニヤッと笑って、時間と場所を送った。行ってみたいお店に誘う。女子と行っても良いお店だが、取っ替え引っ替え遊んでいるうちにあいにく友達の輪が一巡してしまったのだ。仕方なく都合の良い男、朝陽の番に至った次第だった。




 約束の日、凛は少し早く着いて店に入った。席に着くと、早速カクテルとサラダを頼む。凛は人を待ったりしない。

 時間ぴったりに朝陽が来た時には、カクテルは二杯目になり、サラダは半分になっていた。


「何時に来たの?」


 朝陽はジャケットを脱ぎながら言った。


「15分くらい前」


 凛はもしゃもしゃとレタスとパプリカを咀嚼し、朝陽に視線を向けることなく答えた。朝陽は「変わらないね」とだけ言ってウェイターを呼び、ビールとつまみを頼んだ。


 凛はスマホを取り出して眺め始めた。まだ一度も朝陽を見てはいない。


「本当変わらないね。その病的態度」


 朝陽の一言に凛はフフッと笑って、ようやく朝陽を見た。ウェイターがビールを持ってきたので乾杯をした。


「年に三回か四回だけの逢瀬って、ストイックすぎひん?」


 朝陽はビールを飲みながら言った。


「奥さんに悪いと思って」


 凛は悪魔的な八重歯を見せて笑った。


「……結婚したら付き合ってくれるって言ったじゃないか」


「その時はね、若かったんだ。まさか、そんなバカな話に君が乗るとは思わなくて」


 朝陽は背もたれに背を預けて、ため息をついた。



♢♢♢



 二人は出会ってすぐに仲良くなり、朝陽は早々に凛に告白した。凛は「友達としてなら付き合える」と返事をした。朝陽は振られたと思ったが、それからも凛は気軽に朝陽と遊び、男女の仲でもあった。他に男がいる気配もなかった。


 既成事実は腐るほどあるのに付き合ってはいない。いっそ結婚なら?と朝陽は考えて凛にプロポーズをした。凛は言った。「朝陽には大人の色気がない。既婚者になったら色気が出るだろうから、まず結婚してこい。そしたら付き合うよ」と。


 朝陽は悩んだが、他に彼女を作り、結婚した。他に目を向ければ、自分の凛への興味は薄れるだろうという期待もあった。実際、良い子と出会えて朝陽は幸せだった。朝陽に彼女ができてからは、凛も朝陽と会わなくなった。


 朝陽は結婚し、良き夫になった。妻といつもにこやかに会話をする。家は整っていて、美味しい料理が出てきて、温かいお風呂があって、安らぐベッドがある。完璧だった。


 結婚して半年経ったある日、凛からメッセージが来た。


「突然だけど、一回だけセックスしてくれませんか?」


 なんだこれ? 一緒そう思ったが、凛らしいなとも思った。ふと、凛が初めて朝陽の妻を見たときのことを思い出した。


「可愛い奥さん、俺だってほしいよ」


 苦々しい顔をして、爪を噛みながら凛はそう言った。




 結局、そこから凛との逢瀬が始まった。

 

「奥さん元気?」


「元気だよ」


「羨ましい。君にはもったいない。俺の方が彼女を幸せにできるのに」


「何言ってんの。僕は僕なりに奥さんのことは幸せにしてます」


「あ、そう。それなら良かった」


 頼んだフードが徐々に運ばれる。


「なんかあったの?」


「なんかって?」


「急な呼び出しだから」


「今の俺、殺意高いから性欲かなと思って。女性用風俗なんて、この辺まだ無いよね? 男は羨ましい、そういう仕組みが整っていて」


「ああ……。うん……それだけ?」


「多分」


「そう、ならいいけど」


 朝陽は、自分でも凛なんかを気にかけている自分はおかしいのではないかと思っていた。凛は体は女で女性同士だと普通の交友関係を築く。だが、自分といる時は支離滅裂だ。妻のことも、案外本気だろう。女が好きなのか?と訊くと「そんなんじゃねぇんだよな」と虚な目をして言った。凛は朝陽に彼女ができてからは他の男とも遊んでいたようだが、付き合ってはいなかった。


「”俺のこと好き?”っていう質問嫌いなんだ。なんて答えようか悩むじゃん」


「適当に、好きだよとか言えば?」


「好きかと言われればそうでもないし、だからと言ってどうでもいいわけでもないし、情ってわけでもない。一応、言うよ、好きだよって。つきたくもない嘘ついたのに、”本当かな?”って言われて。何がしたいのか。疑うなら訊くなと思うし、こういう会話何回もしてくるんだ、うんざりだよ」


 やっぱり、「なんかあった」んじゃないか。朝陽と凛はメッセージのやりとりはほとんどない。朝陽からたまに送って、既読スルーされる一方通行だ。だから会う時にしか近況報告がないのだが、そうやって付き合っている――かはわからないが、深い仲であろう男(たぶん)がいることを知って胸がざわついた。


「それで殺意高いの?」


「いや、それだけなら殺意にはならない。やっぱり生理だからかな。ああ、もう一つ。”機嫌悪いから話しかけないで”って言ってんのに話しかけてくるのは、どうしてなんだろう。”話しかけないで”って、すごくわかりやすいお願いだと思うんだけどな。”察して”なんかよりずっと親切だろ?」


「……好きだから、心配なんじゃない?」


 三年前に出会った頃は、四六時中一緒にいた。その時、凛はそんな風ではなかった。良い悪いは別として、そういう自分が知らない一面を誰かが知っていると思うとやっぱり嫉妬が起こる。


「迷惑なんだよな。こっちはホルモンと戦いながら、優しい人間であろうと頑張っている時に神経逆撫でするようなこと言ってきて」


「……二人でいなきゃいいじゃん」


「同棲してるんだ。俺のアパートの契約更新のタイミングだったから。お試しに」


 なんで? なんでそいつとはそこまで関係が進んでるんだ? 僕とはダメだったのに。


「……その人とは……どうするつもりなの? 結婚するの?」


「うーん、でも結婚したら、子どもどうするとかになって、なんっつーか、お察しの通り、この俺の異常な遺伝子を残すべきではないと俺は思うわけで」


「それもそうだけど。そもそも……なんでその人とはそういう関係になってるの……?」


 僕じゃなくて、なんでそいつはいいんだ。


「だから、お試しだよ。お互いメリットあるならそのままでもいいけど」


「メリット、あるの?」


「悪くはないけど、ベタベタ触られるのが嫌だね。触んな、こっちくんな、ってよく言ってる」


 凛は八重歯を見せて笑った。

 のろけではない。本当に迷惑で「そう言ってるのに何で通じないんだろう、おかしいだろ?」という意味の笑いだ。


「なんで相手が朝陽じゃないんだろうって思うよ」


「……それは、こっちのセリフだよ……」 


 なんなんだ。なんでこんな複雑な関係になってるんだ。どうして僕は凛と一緒にいられないんだ。


「朝陽には幸せになって欲しかったんだよ。俺は社会不適合者だから、本当に関わらない方がいいんだ。まあ、年に何回かは会いたくなって、ご迷惑をおかけしておりますが。奥さんにも、申し訳ないとは思ってるよ」


 凛は真顔でソーセージ盛り合わせに手を伸ばした。

 凛なりの、僕への愛情なんだろう。


「……羨ましいよ、その彼が。別に、僕は子どもも欲しくないし、結婚じゃなくて内縁でも良かったのに」


「朝陽は優しいから、わかってないよ自分の気持ちが。俺を好きなんじゃない。俺が危なっかしいから、放っておけないだけで。それ、恋愛じゃなくて、福祉の心だから」


 凛はまた笑った。


「勝手に決めるなよ」


「じゃあ、やっぱり長くは一緒にいられない。俺は勝手に決める人間だし、踏み込まれたくないの、自分の信仰に」


 凛はガツガツと料理を口に運ぶ。食べ方はお世辞にも綺麗とは言えない。


 短く切り揃えられた黒髪は烏の濡れ羽色で、色白でお人形さんのような大きな目をしている。以前、友人にやってもらったというアンドロイドのコスプレ写真を見せてもらったが、本当に似合っていた。人間のようで人間じゃない。アンドロイドたるゆえんを、凛はその存在感で見事に表現していた。

 そんな儚い見た目とは真逆に、凛の行動や態度は動物的だった。人前であくびは当たり前、げっぷもおならもする。最初は気になったが、徐々にペットのように思えてきて甲斐甲斐しく世話をするようになってしまった。

 凛は二人でいる時に家事は何もしない。荷物も持たない。車の運転もしない。会話をしたくない時はしない。朝陽はそれらに腹を立てたことはないが、凛のことを誰にも話したことはなかった。そんな女、別れた方がいいよと言われるに決まっているから。


「よく会う気になるよね。俺も大概だけど、朝陽もおかしいよ」


 凛は真面目な顔をして言う。


「僕もそう思うよ」


 なぜ自分は凛にこだわるのか。哀れみとか助けたいとか、やっぱり福祉の心なんだろうか。福祉とかよくわからないけど。


 二人は食事を済ませると、ラブホテルに移動した。



♢♢♢



 凛がうつ伏せに寝そべると、朝陽は腰をさすった。凛の腰の右側にはいつも同じ場所にコリがある。そこを親指で押してやる。


「うげぇ……気持ちいい……。マッサージに関しては、朝陽の右に出る者はいないよ……」


 凛が朝陽を好きな理由の半分以上は”マッサージが上手いから”だった。朝陽は淡々とマッサージしていく。腰から背中、肩、首へ。


「子宮、とっちまおうかな」


 凛がボソリと言った。


「いっそのこと?」


「うん。下手にあるから子どもも期待されるし。毎回生理キツいし。低量ピルも飲んでたよ。良かったんだけど、病院行くのめんどくせぇの。混んでるし。ピンクピンクしてるし。みんなちゃんと健康になりたくて来てるのに、俺だけ子宮いらねぇとか思ってるのもなんか申し訳ないしね」


「……そっか……」


 凛が、より凛らしくなる。それでいいはずなのに、やっぱり残念な気持ちがあった。


「子宮が無くなっても大丈夫なの?」


「ちゃんと医者に聞いたわけじゃないけど、女性ホルモンが崩れるからそれは薬で補わないといけない。骨粗鬆症とかになる可能性が高まるから、そういうの気をつけることになる。まあ、女性ホルモンの加護がなくなるって感じ。子ども産むだけの器官だから、子宮ガンのリスク無くすためにとっちまう人もいる。妊娠を希望しないなら無くても構わない部位だよ」


 部位。焼肉か。


「……体はさ、神様が与えてくれたもので意味があると思うんだ。薬が効くなら、それで対処するでいいんじゃないかな……」


「うーん、まあね。手術までいくと金もかかるし、面倒だしね」


 伝えたいことはそうじゃないけど、凛はそう考える。


「毎月出張マッサージに来てよ。お金払うから」


 ああそれいいな、毎月凛に会えるなら、と朝陽は思った。


「もう少し、背骨の周りを……」


 そう言われて、背中の骨の横に親指を食い込ませ、几帳面に親指一本分ずつ動かしていく。痩せ過ぎず、太り過ぎず。肌は潤っている。女性ホルモンが何かは知らないが、この凛を支えてくれるのがそのホルモンなら、子宮はあった方がいいんじゃないかと朝陽は思った。



 マッサージが終わると、凛は仰向けになった。


「ありがとう。だいぶ体が楽になった」


 さっきまでよりも和らいだ表情で横になっている。


「子宮、取らない方がいいよ。マッサージならいつでもしてあげるから」


 朝陽は凛の横に寝そべり、凛の前髪を払った。


「それならいいかな。でも会う頻度増えたら奥さんに申し訳ない」


 世の中の正しい人たちからしたら、凛は悪魔だろう。


「困っている人を助けるのは、いいことだから」


「でも、ラブホで会おうが俺んちで会おうが、実際セックスはしてなかろうが、不道徳だと思われるよねぇ」


 凛はニヤニヤしながら言った。


「……だから僕と付き合えば良かったのに。そうすればマッサージされ放題だった」


「だからダメなんだよ。朝陽はマッサージ機なんかじゃないんだから」


 凛が言いたいことはわかっている。凛は変わらない。その凛に合わせて僕が変わることが良くないことだと言いたいのだ。


「朝陽には、たまにでも会いたいよ。でも、世の中の倫理がね、朝陽の家庭を壊すかもしれない。問題は俺の会いたい気持ちだから、それさえ無くなればいいわけで。でも残念ながら、君の代わりがなかなかいないの」


 凛は天井を見つめていた。


「やっぱ、子宮とっちまおうかな。そうすればその気持ちも無くなるかもしんない」


 凛は、考えたことをそのまま口にする。こじれてねじれているし、わけはわからないが、純粋な空間が凛の中にあって、朝陽はそれが好きだった。

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