Re.ノエルファンタジー

大神律

Ep.1:現実に覚めて

 俺はどうして転生してしまったのだろう。暗く寂れた小屋の中、一人うな垂れながら今までのことを思い返していた。


 白く靄のかかった視界にやわらかい人影が微かに見える。そこへ耳を擦るような乾いた音が迫ってきて、俺は迷う暇もなくただ正義のために人影へ飛び込んだ。その後は視界がひどく紅く染まってしだいに暗く薄れていった――――顔さえ見えなかった。けれど俺はきっと誰かの命を守ったのだと思う。痛みは不思議となくて、即死だったからなのか、どこか満たされたような気持ちで俺は息絶えた。

 別に望んだわけじゃない。俺は自分なりに死を受け入れた。いや、生きるのを諦めたつもりでいた。だから決して開かないはずの瞼が、開かないと思っていた瞼が簡単に開いたとき、俺は少しだけ後悔した。

「ここはどこだ?」

 壮大に広がる青空、星々のように煌めく海、活気賑わう港景色に華やかな煉瓦の街並み。歩く人はみんなどこか古臭くも陽気な格好で、一言でいえばどこか別の国に迷い込んだと思った。西欧のディズニーランドとかそういうところ。でもなんでそんなとこに俺がいるんだって納得できなくて、だったら走馬灯の中かと疑ったんだけど違った――――海から吹く風があまりに気持ちよかった。身を照らす太陽があまりに眩しかった。それに頬をつねってもちゃんと痛かった。

 幻でないとわかっても俺はその場で周りを眺めていた。生きた心地がまだしなかった。それ以上に美しい風景に見惚れていた。どこかもわからない場所で迷子なのにこれからどうするのかなんて全く考えてなかった。

「おい、小僧。そこに落ちてんのはお前のものだろ? おい、そこの!」

 背中を叩かれ、ひどく痺れてわかった。小僧って俺のことだったのか。そうして俺が後ろにいるであろう野郎を睨もうとすると、筋肉もりもりの厳つい大男が堂々と立っていて、思わず腰を抜かした。なんたって身長が俺の倍近くある。なんてデカさなんだ。

「ほれ、そこの剣。小僧のもんだろ? 違うのか?」

 大男は野獣の咆哮のような声を俺に浴びせながらもその瞳は優しく、どうやら俺をぶん殴るとかそういうのじゃないらしい。その言葉の通りに大男は俺の足元を指さして、転がっている剣が俺のものかを聞きたいだけらしい。

 俺に覚えはなかった。剣に名前が書いているわけでもない。ただ緑色の何かの結晶のような美しい刃をしていて、形は細く尖ってまるで矢のようで芸術的、柄の方もまた華やかに黄金に彩られているところを見ると、かなり価値のあるように見えた。やはり剣に名前が書いているわけでもない。断ればどうせこの大男が持ち去るだけだろう。なら俺が言い張ったっていいはずだ。そう、

「コノケンハオレノモノダ」

「なんで片言なんだ。まぁいいか。気をつけろよ小僧、そんな大層なものは盗賊によく狙われるからな」

 大男はそう言うとにこやかに笑いながら去っていった。もしや奪われるのではと剣を抱いて構えていたが、全く違った。盗賊がいるとまで注意するあたり、ただの気前のいい人だった。これも俺が由緒正しき日本人だからか。疑いすぎはよくなかった。

 けれどこの剣、一体何なんだろうか。偶然落ちていただけ。失くした誰かは困っているのだろうか。こういうのは警察へ届けた方がいいような気もするが、

「ニャアアアアアアアアア!」

「あれ? っておい!」

 オレンジ色の三毛猫がどこからか飛び掛かってくると剣を咥えてスタスタと走っていった。まさか盗賊って猫のことだったのか――――けど、そもそもあれは俺のものじゃない。なら――――そう腕組みしながらもわき目に猫の行く末を覗いでいたら、猫がこちらに振り向いて「こいつ、チョロいな」と言わんばかりに口をもごもごして、緩んだ目して恐らく俺を馬鹿にしていた。

「猫のくせに生意気だろうが!」

 俺はプッツン。すぐさま追いかけた。猫はそれで一言「にゃー」と鳴いてからスラッと逃げていった。

「絶対に逃がさない!」

 猫は港の通りを走り抜けては器用に家の壁と壁を蹴って屋根にあがり、またスタスタと飛び移って駆けていく。俺はそれを必死に追いかけた。町のおばさんにぶつかったり、気味悪い犬に遭遇して噛まれそうになったり、何故か甘く煙たい裏路地を通り抜けて、絶対に逃がすまいと猫を追いかけた。そうしてついに俺は路地裏の角の行き止まり、猫を追い詰めた。

「はぁ……はぁ……久々にこんな走った。でもやっとだ。もう逃げ場はないぞ!」

「にゃー……」

「なんとなくわかる。お前しつこい、だろ。いい加減観念しろ!」

 俺はじりじりと忍んで近づいたのち、猫に飛び掛かった――――が、容易く猫に躱されて頭をぶつけた。ものすごく痛い。でも、

「にゃあぁ!」

 尻尾を掴んだ。転んだ瞬間に偶然、にゅるりと手肌に触って掴んだ。偶然ではあるが、運も実力のうち。俺は猫を尻尾からぶら下げてその口に咥えている剣を取ろうとした。が、なんと往生際が悪いのか、顔を引っ掻いてきた。また偶然爪が鼻の穴に入って痛すぎて、さすがに手を――――離さずぶん投げた。痛い分だけ憎しみも厚い。悶えながらもなんとか猫を壁に叩きつけた。

「げっふぅぬゃぁ!!」

「ったく。猫の癖に……」

 俺は欠伸して出た涙を堪えながら――決して引っ掻かれて痛いから泣いたわけじゃなくて――すぐに剣を回収しようとした。したのだが、絶句のあまり手を引いていた。身震いまでしていた。しちゃいけないことをしてしまったって。

「不慮の事故だ」

 転んだ猫の頭に剣が刺さっていた。猫のほうはそのまま身動き一つない。息もしていないように見える。毛の一つさえ揺れてないで、まるで猫だけ時間が止まったかのよう。やはり死んでいるのか。だとしてもこのままにしておくわけにはいかないだろう。俺は慎重に剣へ触れると丁寧に丁寧にそれを抜いていった。すると、

「なんだ!?」

 刃と猫頭の隙間から眩い緑色の光が溢れ、また抜くたびに強く光っていく。まるで勇者の剣でも抜いているようだったが――それは見た目だけ――でもないが、ともかく心持ちとしては驚きと気持ち悪さが半々だった。

 そうして剣を抜き切り、改めてその美しき結晶の刃を眺めるとそこに魔を祓う力が宿っている――――風でもない。その代わりに、

「にゃああああああああああああ!!」

 猫のほうだった。オレンジ色の三毛猫がエメラルドグリーンに発光しながら勢いよく跳ねて鳴いた。一体何が起こったのか。まさか猫が覚醒したのではないか。今から復讐されるのではないかと俺は膝をがくがく震わせ、どうにか剣を構えた。

 猫はさっきとは雰囲気が違う。絶対に何かありえないことをしてくる。そんな予感しかしなかった。なんたって全身の毛が逆立たせ、今までのアホ面とは別人の凛々しい顔つきで宙に浮いていたからだ。そもそもなぜ宙に浮けるのか、宇宙人かなんかなのか。

「にゃあ……」

「え?」

 俺がそう疑っていたら静かに地面へ座って俺を真っすぐ見上げた。一瞬も目を離さずに俺を見つめていた。威圧的ではない、むしろ逆だ、服従的。お利口にエサを待つ飼い猫のように俺へ視線を向けていたんだ。俺は試しにお手と言って手を出してみた。馬鹿馬鹿しい、そんなわけもない。心の隅ではそうも思っていた。けれど宇宙人を前にしてコミュニケーションをとるとして、他に何も浮かばなかった。

「にゃんにゃん!」

「ええ? まじか」

 猫は可愛らしく鳴きながらふわりと俺の手にその肉球を乗せた。頭を剣に刺さって脳がどうかしてしまったのか。いや、その前に死んでるはずじゃ――――あと肉球がものすごく気持ちいい。やっぱり俺は生きているのだと実感した。

 ちょっとばかし猫も悪くないと、お座りやちんちんと色々指示してみた。エサをあげてもないのに何一つの不満も見せずに猫は従ってそうした。

「俺は猫マスターにでもなったのだろうか」

 そうして時間を忘れて猫と戯れているうちにすっかり日が暮れてしまった。ここは裏路地で夕暮れ空もほとんど見えない影の下、すでに真っ暗だった。暗くなるとやはり先ほどまでなんともなかった心持ちもだんだんと不安になってくる。猫と戯れている場合ではなかった。俺は見知らぬ場所に一人、どうしたらいいんだ。

「……ともかく交番を探すしかないか」

 他にも頭に巡るものはあった。そのどれもが結局遠回りで自分は疲れてるなと実感して、素直に交番に行くしかないと悟った。

 して俺は暗い暗い裏路地を可愛い緑猫と一緒にしとしとと歩き始めた。足元も前もよく見えない。それに寒く凍てつくし、やっぱり甘い匂いが鼻に詰まる。そういえばここら辺には見すぼらしいおっさんとかが寝ていたような、猫を追ってた時は気づかなかったけど何か吸っていたようにも――――一方通行、足音が前後から近づいてくる。しかもなんか気味が悪い。

「その剣を寄越せ」

「な、なんだ?」

「抵抗するな若いの、怪我するだけだぜ」

 声色は掠れていた。だから聞き取りにくかったが、そのギラついた目に睨まれてわかった。俺の前後を囲んだのは薬をキメているヤバい男ら。ボサボサの髪に肌も汚く髭まみれ、臭いもとても鼻をつままずにはいられない。またその手には両方とも細く短い刃物を構えている。抵抗しようものなら躊躇いなく腹を刺されるだろう。かといって抵抗しないで剣を渡しても何もなく逃がしてくれるとも思わない。どうする……

「さっさと剣出せ」

「あと金のほうもだ。あまりあるようには見えねえが」

「ほれ、見えねえかこれ。あ?」

 だんだんと声色も強くなってきた。顔も薄っすらと見えるがすごい剣幕だ。考えている暇もない。ここは命のほうが大事、さっきの大男だって優しかったし、ここの男だってたぶん大丈夫――――張り裂けそうなほど激しい心臓の鼓動。なのに全身が凍りそうな気持ち悪さに、恐怖に、俺はもう耐えられなかった。速やかに剣を差し出し、冷静になればどう考えても信じられない奴らに縋ろうとした。

「にゃああああああああああ!」

「うわぁっ! 猫が!」

 猫? 猫が突然男へ飛び掛かってその顔を引っ掻き回した。男はそれで俺よりも猫に気を取られ、もう一人の男は「猫相手に何してやがる」と冷めた息を飛ばしながらも耐え切れなくなったのか、無慈悲に俺を刺そうとしてきた。俺は何も準備できていない。剣を差し出そうとしていた直前だったんだ。男に襲い掛かってくるびっくりしてうっかり足を滑らせてしまった。だがまたこれも運が良かったのか、

「お、おい。てめぇ……」

 剣は男の腹を貫通していた。もう一人の猫に引っかかれた男がそれを目の当たりにして息を呑んでいた。その心情はわからない。男は薬をやっている異常者だった。だから合っている自信はないが、俺には男は普通に殺人を目の当たりにして自分の身を心配していたように見えた。なのにやっぱりわからない。こうなれば逃げ去ってくれるとも思ったのに、怯えていたような男は突然逆上し、涎をだくだくにして俺へ襲い掛かってきた。

「ふざけやがってえええええ!」

 到底理解できるものじゃない。俺自身は初めて人を殺してしまったと整理の付かないものを抱えながらも、その前に発狂して殺しにかかってくる敵をどうにかしないとならないと焦ってもいた。また同時に――――刺した男の身体がしだいに緑に発光していくのも目の当たりにしていた。何が何だかわからなくなって頭が吹き飛びそうだった。だがそう混乱している間、

「死ねやああああああああ!」

 男はもう俺を刺し殺そうと刃物を上から振り下ろしていた――――絶体絶命。むせ返るような命の危機を感じていた。またもう一度死ぬのか、と自分の運のなさに呆れていた。これは夢ではない。そうとわかってもこの時は、目が覚めてすぐだったから強く思った、これが夢だったらいいのにって。もう死にたくないと。こんな惨めなのは嫌だって。

 その願いを聞いてくれたかのように緑の結晶はさらに輝いた。暗い暗い路地裏、その汚らしいまでを吹き消すような光を解き放った。

「死ぬのはおめえだろうがあああ!」

  そう勢いよく叫んだのは"俺が刺した男"だった。そのまま俺へ振り下ろされた刃物を弾いて、男へ切りかかった。男のその肌もまた先程の猫のようにエメラルド色に光っていた。弾かれた男は「なんだってんだ!」と男へまた切りかかる。それで俺の刺した男もまた。剣が抜けているのに気づいた俺はその争いを見守ることなく、すぐにその場から逃げた。さっさと交番に行って避難しないと危険だと悟った。

  そうして街を走り回ったが、結局見つけたのは騎士のコスプレをしたおっさんだけだった。俺はおっさんに今まで起こった一部始終を話したが「そういう本があったんだね」と軽く流され「今日はこの金で宿でも取りなさい」と金だけ渡された。これはもうどうにもならないと、俺は興奮したまま宿へ行って部屋を取った。そして籠った。

「この国なんかおかしい」

 俺は枕に顔を埋め、目が覚めてから何が起こったのか思い返してみたが、なにもわからなかった。ただここまで担いできた緑の結晶の剣にこの世のものではない力があるのはわかった。まだ何となくの域でしかないがこの剣には恐らく”人や動物を操る力”がある。まるでファンタジーみたいな実物に、なんて趣味の悪い現実だと嘆きながらも疲れ果て、怖い夢も見そうな心地も忘れて眠った。

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