第15話 本にまつわる思い出

 中学生の頃は恋愛小説を図書館から借りてきただけで、母に文句を言われた。


 キスシーンがある程度なのに、表紙に男女がいるだけで「いやらしい」と言われ、恥ずかしい思いをした。


 友達は恋愛小説を読んで、キャラクターの関係が素敵だと、うっとりとして感想を述べ合っているのに、結局春佳はその小説を読めずに返却してしまった。


 以来、恋愛小説に興味は持っていても、母の言葉が脳裏で蘇って手が伸びなくなってしまった。


 だから春佳が読むのは恋愛要素がない、本格ミステリーが多かった。


 いっぽうで、ベストセラーであっても金融会社で働いている中年男性が主人公の話は、想像しても中学生の春佳にはリアリティがなく、つまらなく感じた。


 ファンタジーであっても、身近なものに置き換えられるならすぐに受け入れられる。


 ライトノベルのファンタジーは男子に人気があって、それを借りた事もあったが、やはり母に「女の胸が大きすぎて気持ち悪い」と言われて気まずくなった。


 学生時代、周囲と同じ事ができないと、集団生活に馴染めなくて苦労する。


 普通の母親なら子供の話題作りのために、ある程度周囲の子と同じ物を買うはずだ。


 だが涼子は己の考えを決して覆さなかった。


 子供同士の交流に必要なものより、自分の中でこれと決めたルールを厳粛に守り、それを娘にも課したのだ。


 恋愛小説を読まなくても、推理小説は面白いから特に困らない。


 友達からは『難しそうなの読んでるね』と言われ、恋愛小説の話題には入れなかったが、それぞれの趣味を理解する年齢になったあとは、特に何も言われず好きな作品を読みあさった。


 ただ、嫌な思いをした事もあり、高校生の時に図書館でミステリーばかり借りていると、同好の士と思ったらしい男子生徒に話しかけられた。


『ねえ、ミステリー好きなの?』


 話しかけてきた男子は春佳が読んでいるタイトルを確認したあと、自分のオススメ作品について饒舌に語ってくれた。


 それ自体は嬉しかったし、まだ出会えていない名作を読める機会を与えられ、とてもありがたかった。


 だが、彼の言葉はこう続いた。


『ラノベばっかり読んでる奴って知能低くない? 表紙からして頭悪そうだし、オタクってキモい。異世界だのチートだの、悪役令嬢だの似たようなのばっかりでよく飽きないよな。あんなの読んでてよく恥ずかしくないよな』


 彼はミステリー小説を読んでいる自分を、高尚な趣味を持っていると感じているようだった。


 だが別のジャンルには違う良さがあり、比べられるものではない。


 作家だって一生懸命書いているのに、ライトノベルだからといって〝恥ずかしい物〟扱いされては堪ったものではない。


 だから、『ちょっと違うんじゃない?』と反論した。


『誰が何を読んでもいいと思うよ。色んなジャンルがあるから表現の幅が広がるんだろうし、海外の人が漫画アニメを入り口に日本を好きになる事も多い。たとえるなら、高いから牛肉が偉いんじゃない。豚肉も鶏肉もジビエだって全部肉で美味しいし、誰かの〝一番〟だと思う。違うのは好みだけ。自分が嗜まないからって、誰かの好きなものを貶めるのは良くないと思う。自分に好きな物があるなら、それが好きだって言えばいいだけ。何かと比較して落とす必要はないよ』


 そう言うと、その男子生徒は春佳を〝仲間〟ではないと思ったのか、『いい子ぶってる』と言って、話しかけてこなくなった。


「本は本で、何も罪はないのに」


 ページをめくりながら、春佳はボソッと呟く。


(一冊の本から色んな解釈をするのは個人の自由だけど、それをもとに変な争いを始めたら作者だって迷惑だ)


 図書室の本すべてを愛している春佳にとっては、本に優劣をつけるなど愚の骨頂だ。


 当時の事を思いだした春佳は、ムカムカしたあと本に集中できないと思って溜め息をつき、スピンを挟んだ。


「はぁ……」


 春佳は布団の中で溜め息をつき、ゴロリと仰向けになってスマホに手を伸ばす。


 先日の合コンがあったあと、千絵から体調を気遣う連絡があった。


 店の外で絡んできた男性が冬夜に暴行を受けた事については、特に何も言っていなかった。


(何か問題になったら千絵から一言あるだろうけど、……どうにかなったならいいな)


 負い目があるから、ついそう考えてしまう。


(酔ってたあの人が悪かった。……ってなってないかな)


 希望的観測で思うものの、自分を庇って兄があの男に乱暴を働いたのは事実だ。


 大怪我でもしなければ警察沙汰にはならないと思うが、兄の身が心配になってしまう。


(お兄ちゃんに連絡してみようかな)


 そう思って通話ボタンをタップした時、トントンと部屋のドアがノックされた。


 嫌な予感がして静かに起きると、音もなく開いたドアの隙間から岩淵が顔を覗かせていた。

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