第12話 酒に溺れた母
加えてネットの匿名掲示板で、多田から被害を受けたという女子生徒が声を上げ、それらがプリントアウトされたものが学校に送りつけられたそうだ。
そして実際に多田から性的に触られた女子生徒が警察に被害届を出し、学校は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。
最終的に多田は懲戒解雇となり、学校から去る事になる。
春佳は自分の他にも似たような事をされた人がいたのだと思うと、ほんの少しだけ安堵し、『自分だけではない』と言い聞かせてなるべく日常に戻るよう努めた。
だがどうしても、多田に触られた感触や生ぬるい息づかいは記憶の底にこびりつき、しばらく離れる事はなかった。
**
「ただいま」
小石川にあるマンションに帰った春佳は、小さな声で帰りを告げる。
玄関ドアを開けた時から酒の匂いがし、母がまた際限なく缶ビールや日本酒、焼酎のボトルを空けている事を知り溜め息をつく。
リビングダイニングに向かうと、あちらこちらに空き瓶、空き缶が散乱し、ソファにはTシャツにリラックスパンツ姿の母が横になり、いびきをかいて眠っていた。
その様子を見て息を吐いた春佳は、つけっぱなしになっていたテレビを消し、買ってきたコンビニスイーツを冷蔵庫にしまってから、散らかった室内を片づけ始めた。
キッチンで空き缶や空き瓶をすすいでいると、母がうなりながら寝返りを打ち、覚醒しつつある事を知る。
やがてすすいだ物の水を切ってゴミ袋に入れていると、音を聞いて母が目を覚ましたようだった。
母――涼子は緩慢な動作で起き上がり、ソファに座って胡乱な目で春佳を見ている。
「ただいま。コンビニスイーツ買ってきたから、一緒に食べようか」
春佳はあえて明るく言ったが、涼子はそれに応えなかった。
「あんた、昨晩どこに行ってたの! 男とホテルに泊まってたの!?」
決めつけられて怒鳴られるのも、もう慣れている。
「合コンの途中で帰って、お兄ちゃんのマンションに泊まらせてもらったよ。連絡したと思うけど」
「うるさいっ! 言い訳するな! 合コンなんかに行くなって言ったでしょ!」
涼子は春佳の言葉に被せるように怒鳴り、眦をつり上げる。
昔の写真で見た涼子は、春佳と似た面差しの大人く優しそうな女性だった。
だが今はすっかり人相が変わり、猜疑心が表情にこびりついている。
「一体、二人で何してたんだか……」
苛立たしげに言う母の言葉に、春佳は呆れ顔で言う。
「兄妹で何かある訳ないでしょ」
本当は匂わせ程度の事はあったが、自分は実の兄とどうかなるつもりはない。
(家族三人、お父さんの死を受け入れられずに、どこかおかしくなってしまっただけ。きっと時間が経ったら、皆もとに戻る)
母はそのうち深酒は良くないと悟ってくれるはずだし、兄だって今は空虚感から寂しさを感じているだけで、誰かに縋りたくなっただけだろう。
妹をからかって憂さ晴らしをし、自分を慰めただけに決まっている。
(今は歯車がかみ合わないだけ)
母に憎々しげに睨まれても、そう思ってやり過ごすしかない。
「お母さん、あんまりお酒を飲むの良くないよ」
「うるさい! 指図するな!」
ヒステリックに叫んだ涼子は、近くにあったティッシュの箱を掴み、春佳に投げつけてきた。
とっさに顔を庇い体を捻ったが、ティッシュの箱は春佳の肩に当たって落ちる。
無言でそれを拾いキッチン台に置いた春佳は、悲しげな眼差しで母を見た。
その視線を受け、涼子はますます怒りに顔を歪ませる。
「……庸一さんじゃなくて、お前が死ねば良かったんだ」
吐き捨てるように言った言葉が、ザクリと胸を刺した。
(いつも言われているから大丈夫)
春佳は自分に言い聞かせ、慰める。
母は昔から感情的になると、『お前なんて産まなければ良かった』と口にする人だった。
そのくせとても過保護で、春佳が友達と遊びに行くというと異様に心配し、少しでも遅くなれば怒鳴って叱った。
だから春佳は周囲から「つまらない」と思われようが、必死に門限を守り〝いい子〟で居続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます