第4話 どうやって頑張ればいいの

 頑張ろうと思ったものの、すぐに日常を取り戻すのは容易ではなかった。


 大学で講義を受けていても父の事を考えてしまうし、母子家庭となった家族の将来を思うだけで暗澹たる気持ちに陥る。


 春佳は大学を卒業したあと、旅行が好きなので添乗員になり、海外を飛び回りたいという夢を持っていた。


 そのために外国語の勉強に身を入れているし、総合旅程管理主任者の資格を得ようとしている。


 同じ夢を持つ友人と切磋琢磨して日々頑張っていたのに、その熱が何かの拍子で消えてしまいそうで恐ろしかった。


 父が死ぬまで、春佳は大学で勉強しつつ家庭教師のアルバイトをし、その傍ら友達と少し遊ぶ生活を送っていた。


 だが葬儀という非日常が終わってまた日常に戻ったのに、以前のようにスムーズに過ごす事ができない。


(怖いな)


 父の死というショックを受け、自分という人間が作り替えられてしまったように感じられる。


 今は気丈に振る舞っているものの、何かのトリガーがあれば、母のように気力を失ってしまうのでは……と思い、不安で堪らない。


 だからそうならないようにネガティブな感情から目を背け、必死に「私はいつも通りに過ごしています」という態度を貫いていた。


 なのに、不意に考えてしまう。


 死や不幸は誰にでも平等に、突然訪れる。


 自分がどれだけ胸に大きな夢を抱き、素敵な人と出会って幸せになりたいと願っていても、〝その時〟はいきなりやってくるのだ。


 今回、とびきりの不幸に目を付けられたのは父だっただけで、いつ自分の身に何が起こるか分からない。


(だから皆、『後悔しないように生きよう』って言うのか)


 納得するものの、一瞬一瞬を全力で生きるなど不可能だ。


(こんなに打ちのめされているのに、どうやって頑張ればいいの……。助けて、お父さん)


 心の中で助けを求めても、誰も応えてくれない。


「手が止まってるよ」


「わっ」


 背中を叩かれ、春佳はビクッとして顔を上げる。


 隣を見ると、友人の北原きたはら千絵ちえが微笑んでいる。


 千絵は大学に入ってから仲よくなった友達で、ボブヘアで痩身のさっぱりとした性格の女性だ。


 黒目がちのくるりとした目をしていて、いつも彼女が表情豊かに話している姿を見て『リスみたい』と思っていた。


(そうだ……。ここは大学で、今は休み時間で……)


 さらに意識を周囲に広げると、学食には大勢の生徒がいて、談笑しながら安くて美味しい食事を口に運んでいた。


 目の前を見ると、ささみチーズカツ定食が、ほぼ手つかずで冷めようとしている。


 千絵は春佳を憐憫の目で見ながらも、あえて明るく言う。


「気持ちは分かるけど、食べよう! せっかくのご飯だし」


「……うん。そうだね」


 友人に励まされ、春佳は再び箸を動かし始める。


 すでに自分の食事を終えた千絵は、そんな友人を見て提案してきた。


「今度バ先の人と合コンしようかって話をしてるんだけど、春佳も参加しない?」


「合コン?」


 今までもその手の誘いはあったが、春佳はよく知らない人と食事をするぐらいなら、友達と遊んでいたいタイプだった。


 それに母は浮ついた事を嫌うので、酒のある店に行く事や、異性と出かける事を避けていた。


 合コンに行きたいなど行ったら、きっと母は怒り狂うだろう。


「勿論、彼氏探しじゃなくて、パーッと騒いで食べて、いっときでも楽しい気分になろうってだけの誘いなんだけど。……でも、完璧な美形兄がいたらそんな気にもならない?」


 揶揄され、春佳は少しムッとする。


 昔から友達が家に遊びに来ると、みんな冬夜に夢中になった。


『あんなに格好いいお兄さんがいるなんて、羨ましい!』


 冬夜が素敵な人である事は、妹である春佳が誰よりも分かっている。


 あまりにも兄ばかり褒められるので、『自分は添え物なのでは』と思うほどだった。


 兄の事は大好きだが、春佳よりずっと頭のいい大学を出た彼がコンプレックスなのもまた事実だ。


 そして『お兄さんがいるなら、その辺の男なんて彼氏にしたくないんじゃないの?』とブラコンをからかわれる。


 春佳だって彼氏がほしいと思っているし、幾ら冬夜が完璧な人でも、兄と恋人になれない事ぐらい分かっている。


 だからこんなふうに言われると、決まり悪くて堪らない。


「そんな事ないよ。行く!」


 完全に、売り言葉に買い言葉だ。


 乗せられたと思ったが、こうして強引に誘われないと、気分転換と称して飲み会に行けなかった。


(ありがと、千絵)


 春佳は心の中で親友に礼を言い、合コン相手について嬉しそうに話す彼女の言葉に耳を傾けた。




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