野良猫と不良少年は死神とともに悪魔と戦う

第33話 決心

　自動車工場を出てからオレは迷わず、とある場所を目指して駆けた。

　ブロック塀を上り、人家の庭を駆け抜ける。

　できるだけ近道をし、二十分とかからないうちに目的地へ辿り着くと、オレは五階建ての灰色のビルを見上げた。竜一の体が入院している病院だった。

（虎徹。お前、ここで何をしようとしている？）

「まあ、しばらく黙って見ていてくれ」

　竜一にオレはそう言うと、病院の駐車場の隅に立った。

「にゃああううううううっ！！！！」

　――ルイさんっ！！　大切な用事があるんだ！！

　俺は大きな声で空に向かって呼びかけた。

　きっと、届いたはずだ。オレの声は邪霊憑きにも、悪魔憑きにさえも届くのだ。

　そう思い、目の前の空間を睨んでいると、　しばらくして、わずかな変化にオレは気づいた。

　カサ、カサ、カサ……

　小さな音を立て、落ち葉や紙くずが風に吹かれ、目の前で回り始める。

　さらに、風は強くなり、それは一陣の旋風（つむじかぜ）となった。紙くずや落ち葉、埃をが巻き上げられる。

　あまりの強風に目を開けていることができなくなるが、しばらくするとパタリと風が止んだ。

　目を開くと、そこには黒いコートを着たルイが立っていた。

「来てくれたか……ルイさん」

　オレは思わず、ほっとして言った。

「何か用か？」

「ああ。だけど、用件について話す前に……、昨晩の事件は知ってるかい？」

「暴走族同士の抗争のことか？」

「そうだ。スカル・バンディッドのたまり場に行ったんだ。彼らによると、ブラック・マンバの奴らが、化け物みたいに強くなってたらしい。それに、一般の人々の中にも、おかしくなって襲ってきた奴らがいたってことだ。明らかに普通じゃない」

「ふむ。つまり、悪魔が関わっているんじゃないか……と言いたいのか？」

「話が早いな。ルイさん。どう思う？」

「少し長くなるがいいか？」

「もちろんだ」

　オレが頷くと、ルイは覚悟したような表情で話し始めた。

「世界はな、白と黒、光と闇、神と悪魔といった二つの力が拮抗して成り立っている……。しかし、最近この地域のその辺りのバランスがおかしくなってきている。それで、私はその原因を調べ、バランスを正すように言われているのさ。神からね」

「神？　神様があんたに命令したってことなのか？」

「ああ」

　そういうことなのだろうとは想像していたが、その名をルイから聞くのは衝撃的だった。

「話を続けるぞ」

「あ、ああ」

　驚いているオレに淡々とルイは言い、話を続けた。

「実際に調査を進めるうちに邪霊の巣と悪魔に行き当たったわけだが、その顛末はお前たちも知るとおりだ。あそこは潰せたが……」

「だが、邪霊も減ってるとは思えないぜ」

「そうだな。奴は力を取り戻していると考えた方が自然だ」

「新たな契約者を見つけたってことか？」

「だろうな。昨晩の抗争も、悪魔の力をより強力にするための生け贄的な意味があったはずだ」

「ということは、あいつか……」

　オレはブラック・マンバのリーダー恭一のことを思い出し呟いた。

「心当たりがあるのか？」

「ああ。偶然、ブラック・マンバのリーダーとすれ違ったんだ。半端ないプレッシャーだった……」

「竜一はどう思うんだ？」

（ルイさん。俺も虎徹の意見に賛成だ。ブラック・マンバの恭一は何回か見かけたことがあるが、この前見たあいつは見たことの無い凄まじい圧力を放っていたぜ）

「そうか……二人とも言うのであれば、ほぼ、間違いないな。昨晩の抗争も、悪魔の力をより強力にするための生け贄的な意味があったはずだ。」

「生け贄！？　まだ奴は何かをやるつもりなのか？」

「まず間違いない」

　オレはルイの言葉に首を振った。

「で、虎徹の用って言うのは何なんだ？」

「あのな。オレは、あのお化けアパートの人みたいなのが増えるのは嫌なんだってことに気づいた。それがこの街全体でもっと酷いことになりそうだっていうんだったら、なおさらそうだ……」

　オレは一気にそこまで言って上を向いた。

　意を決したオレは、再度口を開いた。

「単刀直入に言うぞ。竜一の体の中に、オレの中にある竜一の魂を戻してくれ」

「何。いいのか？　薄々分かっているだろう？　竜一の魂を元の体に戻せば、お前の魂を維持している力も持っていってしまう。そんなことをしてしまえば、その猫の体は死んでしまうんだぞ」

ルイが頸を振りながら言った。

「構わない。もう決めた」

（おい！　何を言ってるんだ！！）

　竜一がオレの中で喚いた。

「馬鹿。元の体に戻れるんだぞ。素直に喜べ」

（喜べるか！）

「あのさ、竜一。オレのこの体のままじゃだめなんだ。竜一がスカル・バンディッドを立て直さなきゃ奴らと戦えない。今のルイさんとの話でも分かっただろ。ブラック・マンバと一緒に悪魔がいるはずなんだ。奴はもう一度、事件を起こそうとするはずだ。それも今度はもっと酷いやつをな」

（しかし……）

「さっきも言ったが、あのアパートで会ったような人が増えることは絶対に間違っているって思うんだ。それに、もしかしたらオレの飼い主だったさっちゃんにまで被害が及ぶかもしれないしな」

「虎徹の覚悟は分かった。竜一も納得か？」ルイが訊く。

「大丈夫だ」

　オレがそう答えると、

（馬鹿！　お前のあの鳴き声が必要だ！！　スカル・バンディッドは確かに立て直せば頼りになるさ。だけど、悪魔と向き合ったときに一番頼りになるのはお前の力だぞ）

　竜一が大声で喚いた。

「そうじゃない。オレの体にお前が入ったままだと、結局ブラック・マンバは倒せないだろ。そしたら、悪魔とも戦えないじゃないか。お前の霊力だって強力じゃないか。悪魔とのタイマンはお前に任せた」

オレはそう言い切ると、ルイを見た。

「そうか……。虎徹よ、お前の覚悟は分かった。二人の魂の融合、私との出会い、何もかも運命としか思えない。ここで竜一が体に戻り、悪魔と戦うのも運命かもしれないな」

　ルイはオレの目を見て答えた。

　オレはその視線をまっすぐに見つめ返して頷いた。

　竜一はそれ以上何も言わなかった。

　ルイはオレをコートの中に抱きかかえ、竜一の病室まで歩いて行った。

　どういう手段を使っているのか分からないが、ルイの姿は誰にも見えていないのだろう。病室に入るまで真っ黒なコートを着たルイに関心を示す者は誰もいなかった。

　病室には、ベッドの上で寝ている竜一の体があった。

　オレがルイの顔を見上げて頷くと、ルイはオレの体を竜一の胸の上に置いた。

「いいんだな？」

「ああ」

（虎徹……やっぱり……）

　竜一が何か言いかけた。だが、それ以上の言葉が続かない。

　オレは黙って頷くと、自分の頭を前足でポンポンと叩いた。

「それでは始めるとしよう」

　ルイはそう言うと、両手のひらを音を立てて合わせた。

「……オン、アリ、オリ、ウム……オン、アリ、オリ、ウム……ウウム。この小さき者、虎徹の中にある人間、竜一の魂を元の体へ戻したまえ……ここに、魂（まぶい）返しの術を成し遂げたまえ……」

　ルイは両手の人差し指と中指を立て、呪文のような言葉を小さな声で、しかし厳（おごそ）かに唱えた。

　やがて、オレの体が光り始めた。体から漏れ出た光の細かい粒子が、竜一の体の中へと入っていく。最初は徐々に移っていた光の粒子の速度が、急速に早くなった。

　オレは目を瞑り、そのまま暗い闇の底へと静かに落ちていった。