第24話 悪魔出現(2)

「オン、アリ、オリ、ウム……、オン、アリ、ウム…………」

 死神がかすれた声で呪文を唱えた。

 オレの首輪の石が激しく明滅し、体から何かが抜け出た。


「おい……立つぞ。泣いてる場合か?」

 背後に立った誰かが言った。


 メキ、メキ、メキッ!

 後から骨を砕くような音が聞こえ、その途端、オレの首を掴んでいた悪魔の見えない力が無くなった。


 後を振り向くと、逆光の中、見えない悪魔の腕を握りつぶす男の影が見えた。


「誰だ……お前は!?」

 悪魔が右手をさすりながら言った。

 オレはそれが誰だか分かっていた。


「馬鹿、泣いてなんかいるか……」

 頭を振って、よろよろと立ち上がる。


「体は病院で寝てるんじゃなかったのか?」

「ああ。今は、たぶん幽霊の状態だな」


「マジか?」

 オレは横に来た男を見上げた。


 そこに立っていたのは、黒い特攻服を着た竜一だった。頭はリーゼントにして、鉢巻きを巻いている。特攻服には、白い文字で「喧嘩上等」と染め抜かれていた。だが、その体は半分透き通っているように見える。


 オレは思わず笑ったが、悪魔にやられた肋骨が痛んで眉間に皺を寄せた。


「何だよ、その喧嘩上等って?」

「誰にも負けねえ。売られた喧嘩は買うぜってこった」


 竜一はそう言うと、

 ミシ、ミシ

 と、音を立て拳を握りしめた。


 理屈は分からないが、おそらく死神が何かをしたのだ。半分透き通ったような体は幽霊にも似ていたが、もっと力強いエネルギーを感じた。


「とりあえず。こいつは許さない。こんだけ気にくわない奴は久しぶりだ」

 竜一から、青白い炎のような気勢が吹き上がり、リーゼントに決めた髪が逆立っていた。


「ギる、ギる、ギる、ギぃゃあああッ!!」

 悪魔は蜃気楼のようにその姿を歪ませ、吠えた。同時に強烈な瘴気が吹き付けてくる。


 悪魔が右手の包丁を突き出した。

 竜一は頭を下げてその攻撃を避けると同時に右のストレートを悪魔の顔面に突き刺した。


 悪魔の顔が苦痛に歪み、後ろに吹っ飛んだ。包丁が床に転がる。

 だが、悪魔は転がりながら口を開き、もの凄いスピードで舌を伸ばした。


 顔面に真っ直ぐ伸びてくるその舌を、竜一は空中で撃ち落とした。

「オレのパンチは痛えだろ?」

 竜一が笑った。


「凄いな……」

 オレが呟くと、


「ああ。だが、時間はあまりない。竜一の魂の力が尽きるまでだ」

 死神が言った。


「どういうことだ?」

「今の状態が成立しているのは、修行の成果プラス竜一の魂の力のおかげだ。だが、いかに魂の力が並外れていようと自ずと限界はある。力を使い果たせば、あの霊体の体は消えてしまう」


「竜一。すぐに決めろ! 時間はあまりないらしいぞ!」

 オレが叫ぶと、


「ああ。聞こえてたぜ」と、竜一が答えた。

「おのれ、許さんぞ」

 悪魔が吠え、立ち上がる。


 悪魔は怒りに震え、右手を空中に突き出した。

 竜一の首に大きな手で捕まれたような跡ができる。その見えない右手はギリギリと音を立てて、竜一の首を握りこんだ。


 竜一は悪魔を睨みつけたまま、見えない悪魔も右手を掴むと一気に握り込んだ。

「ぐゲおッ!?」

 悪魔が驚愕の声を上げる。すると、首に出てきていた指の跡が突然消えた。

 竜一が無理矢理に引きはがしたのだった。


「ふん。こんなもんか?」

「黙れ! これを喰らっても笑ってられるか!?」

 悪魔が右手の人差し指を銃のように構えた。さっき、オレと死神が食らった技だ。

 空気中の細かい埃を切り裂きながら、黒い気の弾が打ち出される。


「避けろっ!」

 オレの叫び声を聞いた竜一は、歯をむいて笑った。


 黒い気の弾が当たる寸前で、

 バチッ

 と、音を立て、弾かれた。


 竜一が、左フックで打ち返したのだった。

 次々に、悪魔の人差し指から打ち出される気の弾を、ことごとくパンチで迎え撃つ。


 オレは、超人的な竜一の攻撃力に舌を巻いていた。人とは思えない化け物じみた強さだ。


 竜一は、気の弾を避けながら、鋭い踏み込みで一気に距離を詰めると、悪魔にボディアッパーを連打で打ち込んだ。


 強烈な前蹴りを突き刺すと、悪魔がその場に転げ苦しむ。

 悪魔の全身に太い透明な鎖が浮かび上がった。それは体中に巻き付いていた。


「おい、こんなもんか? 悪魔だって言ったって大したことないな」

「な、何を!?」


「お前は許されないことをやったんだ。その気のない善良な男を無理矢理に乗っ取り、罪の無い女の子を殺した。そして、オレのダチを痛めつけた……」

 竜一がオレを見て言った。


「これくらいですむと思ったら大間違いだぜ。お前はボコボコにする」

 竜一はそう言い捨てると、床に転がった悪魔の腹にかかとを突き刺した。


「ぎゃあッ!!」

 悪魔は苦悶の声を上げ、床を転がった。


「一緒にやるぞ!」

 竜一の声に、オレは頷いた。


 竜一が再び、嵐のような突きと蹴りを見舞う。

 同時に、オレは鳴き上げ、語りかけた。


「にゃあううおおお!!」

 ――おい、こっちをみろ。悪魔の奥にいるお前に言ってるんだぜ。


 オレは悪魔、いや、男に向かって、再び語りかけた。腹の底にある金色の玉に力を込め、霊力を十分に声に乗せる。


 ――お前は、あの女の子を大切に思っていたよな。

 竜一に殴られ、ボコボコになっていく悪魔の表情がピクリと動いた。


 ――彼女を殺した時、中にいたお前は苦しかったんだろ?

 悪魔の目に微かに理性の光が現れる。


 竜一は殴るのを止めると後ろに飛んで距離を取って

「もう少しだ! お前の言葉は届いてるぞ!!」と、叫んだ。


 ――あれはお前がやりたかったことか?

「ち、違う……」

 男の切れ切れの声が、返ってきた。


「にぃやああううううおおおお!!」

 ――じゃあ、負けるな! こっち側に戻って来い!!

 オレは心の底から鳴き声を上げた。


 それは、男の魂への鎮魂歌レクイエム。そして、応援歌だった。

 オレの背中に死神の手のひらが添えられていた。そこから、さらに力が注がれ、俺の鳴き声も力を増した。


 首輪の石が激しく金色に光り、同時に左の瞳が青色の、右の瞳が緑色の光を放った。


「ぐあああうううおおおお……」

 悪魔が苦しみ、もがいた。


 ビシ、ビシ、ビシッ!

 悪魔の全身をぐるぐる巻きにしている太い透明な鎖にひびが入った。あの鎖が、男と悪魔を縛りつける呪いに違いなかった。


 いつの間にか、死神の手とは別の小さな手が、背中に当てられていることに気づいた。


「君も、束縛から逃げれたんだな?」

 傍らにあの小さな女の子が立っていた。あの男に包丁で殺された女の子だった。血で汚れた姿ではなく元のかわいらしい格好に戻っている。


「死神! 竜一! 女の子が戻ってきてる!」

 オレは嬉しくなって、女の子の手を舐めた。


 ――と、

「ギギぃ、ギるるォおおおおーウウッ!!」

 悪魔の轟くような叫び声が響いた。


 オレたちを睨みつけるその目は、ガソリンの炎のように青く燃えていた。

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