潮騒の家族

@Sumiyoshi

第1話 旅立ち

三陸の過疎化の進む漁村に、日向愛は生まれた。

海は愛の誕生を喜ぶかのように、その日、穏やかに光り輝いていた。


愛は海に愛され、そして愛自身も畏怖の気持ちを抱きつつも

雄々しい海を愛していた。

春の潮風は、ふうわりと愛の髪を撫で、

夏の白く砕ける波は、水着で遊ぶ愛の遊び相手だった。

秋も冬も、いつも海は愛を見つめていた。



……………



「かあさん、明日の朝は、一緒につぶ貝拾いするから」

中学生の愛は、母さんの手伝いをするのが好きだった。


「いつも、ありがとうね。本当に助かるよ」

母の夏海は、そんな健気な愛のことが、たまらなく愛おしい。


日焼けした顔の夏海は、名前の通り海がよく似合う女だ。

とはいっても、水着姿ではない。

母の夏海は、荒ぶる海の上でも船を操る強者なのだ。


愛の住む村の入り江は狭く、崖っぷちの多い海岸で波が荒いので、

養殖場をするには不向きだ。

そんなこともあり、主にわかめや昆布を採り、岩場にあがるつぶ貝を拾う。

天候が荒れた次の日には、昆布が浜にあがる。

少ないながらも貴重な収入源になっている。


アワビやウニも採れるので、夏海は船を出す。

集落の男たちに負けない位、収穫をあげた。

「夏海は海から産まれた強ええ、おなごだからなぁ」

集落の男たちも一目置いていた。

日焼けした肌に、白い歯で大きな声で笑う夏海の声が潮風に乗り、愛の元へ届く。


男手も欲しいところだが、漁業だけでで生活を立てていくのは難しいところがある。

その集落の殆どの男たちは、遠洋へと稼ぎにでるのだ。

安定した収入を得る為、愛の父も祖父が昔そうしたように、大型タンカーの船乗りになり、何ヵ月も家を留守にした。


夏海が愛を出産する時も、愛の父である悟は船の上で電報を受けた。

小学校の入学式の時も、習っていたピアノの発表会の時も

その殆どを海の上にいた。


周りの家も皆がそうなので、愛は父親が不在なのを特段不思議に思ったことはない。

逆に父親とは、そういうものなのだと思っていた。

船の上に居るからといって、父の悟が愛を可愛がらなかったわけではない。

逆にそれ以上に、陸に上がった時は目を細めて愛の成長を見守っていたのだ。

愛は、そんな両親と祖父母からの愛情をたくさん受けながら育っていった。


…………


愛は、中学3年生になった。

部活動も終わり、周りの同級生もなんとなく落ち着かなくなってくる頃だ。

誰それは、あの高校を受験するらしいとか話が聞こえてきた。

殆どの同級生は、近くにある市の高校に進学する。

愛の住んでいる所から通うのは遠すぎるため、皆んな高校の近くにある下宿に住んで

三年間を過ごすのだ。


「愛、おまえも高校決めねばなんねぇな」

祖父が愛に話しかけた。

今、父の悟は船に乗って長期不在である。

祖父は、いつでも愛の相談相手だ。


「う~ん、じいちゃん。私ね、音楽の先生になりたいんだ」

少し遠慮がちに祖父に話した。

公立ではなく、私立校の音楽科にいきたいのだ。音楽科のある学校はかなり離れた別の市にある。それにお金がとてもかかる。


愛の家は、裕福ではない。



「愛。大丈夫だ。じいちゃんに任せろ。じいちゃんが何とかしてやっからな」

「じいちゃんは、年金たくさんもらってんだから安心すろ」

日焼けした顔をくしゃくしゃにして笑ってみせた。

愛の部屋に置いてあるピアノも、祖父が買ってくれた。

愛が音楽が好きなのを、誰よりも知っている。


…………


「ねえ、かあさん、じいちゃんに高校の事を聞かれたよ」

次の日の朝、つぶ貝拾いをしながら愛は母に言った。

「じいちゃん、任せろって言ってくれたよ」

「いつもじいちゃんに助けてもらって本当にありがたいね。かあさんからもじいちゃんにお礼ば言っておくからね」


愛は、家族とこの海が大好きだった。


……………



3ヶ月の長い乗船も終わり、愛の父、悟も自宅に帰ってきた。

家族全員揃い、明るい食卓は久し振りだ。



「なぁ、愛。なんぼしても、音楽やりたいのか?」

食事を囲みながら、父は聞いた。

「うん、やりたい」

「なして、高校も遠くの学校さ、いがねばなんねぇのや?やめとけ」


父の悟は、船乗りになるために高校へは行かなかった。

女性は特に、お嫁さんになるのが一番だという、昔ながらの考えだ。

愛の遠方の高校へ進学する事に、余り賛成はしていない。


「悟、おめぇが口挟むんでねぇ。じいちゃんが何とかしてやっからな。安心しろ、なぁ愛」

「じいさんは、本当に愛に甘いがんなぁ」

顔をしがめて、悟は酒をグイっと飲んだ。


「とうちゃん、私も愛の音楽科にいぐのは賛成だがんね」

母も助け舟をだしてくれた。いつでも夏海は愛の味方だ。



悟は心配だったのだ。

一人娘の愛が、独りだけ別の高校に進学し、何かあったら……と、やきもきもしていた。

それは愛自身も、十分わかっていた。


「とうさん、愛は音楽の先生になりたいんだ。遠くに行っても、ちゃんと勉強して真面目にがんばるから。ねぇ、だからお願い」

「街は、色んな奴がおるから、大変なんだぞ。お父さんは、お前が周りの友達と同じように近くの高校にいくのが一番だと思うがなぁ」

父親を説得するのは、難儀しそうだ。

ゆっくり丁寧に話をしていこう。


……………



愛の両親は本当に働き者だ。

父は、船からあがると2ヶ月休みがあるが、その間、近くの建設会社で短期アルバイトをする。

朝早くには、両親2人で船に乗り、捕り物をするのが常だ。

屋根のペンキの塗り替え、家の周りの除草作業など、休む暇なんてない。

野菜すらも空いている土地に種を蒔いて育てる。

全てが、自給自足なのだ。


――無口で頑固だけど、いつか自分が結婚するのなら、お父さんみたいな人が良い。

愛は、お父さんの事を誇りに思っていた。


夜に、ビールを飲んでいる父の側に愛は座った。

「お父さん」

「うん?なんだ」

「高校の事なんだけれど、同じ街に千賀子おばさんの家があるから、そこに下宿させてもらおうかな。それなら安心でしょ?」

「う~ん。下宿屋を前からやっている所なら、慣れているから安心なんだがなぁ。逆に、おばさんに迷惑かけてしまうし。難しいな」

「私ね、独りでアパートに暮らしても大丈夫だよ。ねっ。お願いします。街の高校に行かせて」


台所から、母が茶の間にやってきた。

愛に目配せする。

「ねぇ、お父さん。千賀子さんの近くのアパートなら、いいんでないの?もうそろそろ、三者面談があるから、ぐずぐず言わんと早く決めないとね」


父は、母には頭が上がらない。

強めの口調で母が言うと、黙ってビールを飲んで、横になってしまった。


これは、父が降参したときのポーズだ。


「良かったね、愛。お父さんも賛成してくれたから、後は合格するように、がんばんなさいよ」

ニコリと母は微笑んでそう言った。


愛は、私は幸せ者だなあと、感じた。

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