僕の妻は体が弱い
北野かほり
第1話
この世には、異世界から喚んだ聖女がいる。
その聖女によって世界は救われた。
そのあとのお話だ。
ベッドのうえで僕の妻はだれていた。
春になると一般的には過ごしやすいとされているが、実は気圧が低く、体調を崩しやすい。
体の弱い妻はぐったりしたままうー、あーと言葉にならない声で呻いている。
僕はそんな妻を見て眉をひそめた。
「ごはん、たべられる?」
「むりかも」
「お白湯飲みましょうか」
「はくかも」
「吐いてもいいですから」
僕は妻の肩を抱いて体を起こす。彼女はうううっと言いながら起き上がる。背中にクッションをいれて、その乾いた色のなくした唇にお白湯をそっとあいてる。ちゅちゅとお白湯を飲んで、はぁと妻は声を漏らした。
「おなか、すいたぁ」
「昼間には元気になるといいですね」
僕は微笑んだ。
お白湯には栄養剤を少しだけいれてある。決しておいしいものではないだろうが、彼女に必要なものは足りるはずだ。
そのあと僕は仕事へと向かう。自宅で出来る仕事に切り替えたおかげで最近は妻が寝ている寝室の横でパソコンを打つ。そうしていると新しい魔法陣と魔力残留について、さらに魔子についてのいくつかの問い合わせがきていた。それを見ていると通話アプリの右横が輝いた。クリックすると同僚からだ。
「今日はリモート? そっちにいくつか書類を送ったんだけど、そろそろ一度王宮に出てこいって言われてない?」
明るい声に僕は頷く。
「家でもある程度の研究はできますから」
「キミ以外の魔法研究家はいないからね。もしかして、キミの奥さん、また体調崩してる?」
「ええ、春先はどうしても」
「聖女はまだ健在なんだね」
ちくりと棘のようなものが含まれているのを聞き逃すことはない。けれどいちいち反論もしない。
僕の妻のは聖女だ。
世界を救い、その果てに犠牲になった。
彼女がこの世界へとやってきたのは一年前。彼女の祈りと力によって世界の滅びの原因――魔穢によって崩壊しつつあった。
この世界は、聖女のいた世界とはあまり変わらない。ただし、聖女のいた世界には魔法が存在していなかったそうだ。こっちは科学と魔法が双方に成長している。そのせいで魔力の残り滓がたまり続け、世界を崩壊させようとする。
それを一手に引き受けるのが聖女だ。
魔力をいくらでもためこめれる彼女の体に世界で消費した魔力の滓を引き受けてもらう。
人々の生活になくてはならない魔力は、その残り滓はすべてにおいて有害なのだ。それを少しでも体内にいれれば人は一年みたたずに死んでしまう。聖女の場合は自分の体内にある浄化能力によって世界のためこんだ魔穢を受けられる。
引き受けられるのは世界が数百年単位でためこんだものだ。これによってまた数百年、世界は安泰だ。
一人の人間の命で生きながらえれるなら安いものだ。
なぜなら聖女はこの世界の人間ではない。
その人生は保証するが、一年単位で死ぬならば安いものだ。
どんな贅沢も、望みも、世界は叶える取引をする。それが聖女をこの世へと召喚する契約なのだ。
一年前にやってきた彼女は引き受けるとともに小さな家と、人生を共にする夫をご所望した。
それに白羽の矢が立ったのが僕だ。
――一人はいやだし
――けど、あなたは優しそうだし
彼女はこの世に召喚された理由。それについては王から告げている。そのあと彼女の心身などのチェックを行っていた僕は彼女に問われた.自分はどうしてこの世界に喚ばれたのかと――僕は包み隠さず彼女に話した。それは世界が彼女を呼ぶための契約の執行にすぎない。この世界のものは聖女の望みにたいして否応なく応じてしまうのだ。ただし過去に聖女が自分の処遇について聞いたことはほぼなかった。なぜなら召喚したときに王族がこちら側に不利益なところをすべて隠して説明し、彼女らはそれについて納得するのだ。そのうえで聖女らしく聖王院には入り、それらしい姿をして毎日を過ごすのだ。死ぬまでの間を過ごすのだ。聖女はこの世にきたあと元の世界へと帰らない限り、この世界の魔穢を自動的に体内にいれ続けるのだ。
彼女は僕の説明に、あ、そうか、ラノベみたいにならないのか。そんな口にして俯いた。
ーーいや悪役令嬢みたいだけど
――なんか違うけど、いや困るわ
彼女は、そのあとじゃあと口にしてその二つと一緒に、僕を夫に指名した。
理由は二つあったそうだ。
ーー素直に教えてくれたから
――あと顔好みだし
おちゃめたっぷりに笑った彼女と僕は暮らし始めた。
一年ほど彼女は憧れていた主婦というものをした。
しかし。
その年末に彼女は倒れた。
驚いたことに彼女は今までの聖女のなかで長生きした。
今もう倒れてほとんど起き上がれることはないけれど。
昼間の仕事を終えて寝室を見るとベッドにいた彼女がふぅと息を吐いている。バイタルチェックをして、まだ平気そうなのに僕はキッチンに向かう。そこにはノートがある。彼女が作ってくれた料理ノート。
ノートをめくると、妻がよく作ってくれていたシチューのレシピがあった。
まず野菜はジャガイモ、ブロッコリー、玉葱を一つひとつ大きく切って、それをフライパンで焼く。本当はブロックのベーコンがいいんだけどね、と彼女のノートは書いてあるが、今日は鶏肉だ。これは消化にいい。
その間にクリームも作る。バターに片栗粉、そして牛乳を流し込んで塩こしょうで味付けをする。そうしていると野菜と肉が焼けたところに水をいれてこちらはコンソメの粉をいれてさらに作ったクリームを流し込んで粉チーズをいれる。
出来た。
彼女はいつも口にしていたのは、世界もあまり変わらないが、具材も同じでよかった、とのことだ。
出来上がったそれを二人で選んだお皿にいれて寝室へともっていく。
家具はすべて一緒に決めようと彼女は口にした。
「ごはん食べられます?」
「うーん、たべる。あーん」
体を起こして、口を開く。
小鳥みたいな彼女にすくってたべさせると、むしゃむしゃと食べていく。そうしていると目をぱちりと開けて、スプーンをかじった。
あ。
「ふふふ」
「……行儀悪い」
「あなたは食べないの?」
「食べてますよ」
シチューの合間につくったサンドイッチ。今日はハムサンドときゅうりサンドだ。どっちも具材はシンプルにして挟んだだけ。それを食べる。
「ありがとね、おいしい」
「キミのレシピがいいから」
「今度二人で、何か作ろう」
「いいですね」
「……楽しみだなぁ」
世界のかわりに死ぬ聖女は今日も僕の前で朗らかに笑う。
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