好感度が100になりました
港湾部居住区、グラシス組のアジト。飾り気のない商会風建物内の廊下へと響く、存在証明の如き軽薄なノック。「トードー、ちょっといいか?」
返事はない。扉は固く閉ざされている。(…居留守かよ…)
ガバナの『スカウトマン』たる
部屋の合鍵もあるにはあったが、今使えば決定的な不信を植え付けるだけだろう。――第一、『好感度』のスキルを使うのは扉越しでも
(…へっ…留守のとこ悪いがな、お留守番。…お前は俺に、もうとっくに弱点を見せているんだよ)ネッドは確信を持って、無視を貫く扉の向こうへと語りかけた。
「
「……
(『好感度』プラス1。実にチョロい)
ネッドはほくそ笑んだ。
◇
それからふたりは、いろいろな話をする。
キルタはどんな奴か、キルタの良い所、キルタの直してほしい所(「…
そして、その時が来た。
扉の向こうから伝わる声の調子が変わる。不信も、気だるさも、つっけんどんな態度も。すべてが突然消え去ったかのように。
曇りのない、晴れ晴れとした声が答えた。「……あっ……そっか。……そうなんだ……」
「ねぇネッド。私、あなたの事が好きだと思う」
(『好感度』100。捕らえた。…ホントチョロいな〜)
ミッション成功。ネッドは嫌らしい笑みを浮かべる。どうせ扉の向こうにゃ見えやしない。
(…さて。おとぼけキルタに見せつけるためにも、乱れた部屋の状況を作っておかないとな?ムワンムワンになるまでだ)
「なあ、トードー。顔を見て話したいな。ここを開けてくれないか?」(…悪いなあキルタ。これも仕事でな)
それよりも、このギスギス女を寝取ってみせることで、おとぼけキルタがどんな顔をするのか。ネッドにはそちらのほうに興味があった。
扉の向こうの、声が答えた。
「それは駄目」
(…何?)意外な答えに、ネッドはひどく拍子抜けをする。
「なんでだよ」
(…『魅了』が効いていないのか…?いや、変化はあったはず…)
扉越しに、平坦な声が言い募る。「あなたのことを想うと、好きの気持ちが
「…うん。うん?」ネッドは眉根を寄せて首を
(…可愛いことを言ってくれる。…だが…)
「じゃあ開けてくれよ。だったら良いだろ?」
「私、今は切田くんのことを待たなければいけないの」
……激しい苛立ちが膨れ上がった。
(ああ?なにがしたいんだよこの女。脳内か?
「……キルタのことなら大丈夫さ。それより俺が、あいつのことなんてすぐに忘れさせてやるって。そうなれば気に病むこともなくなるだろ?」
「あなたの言うことももっともね、ネッド。でも、それは困るの」
「…なんで」
「ここを開けてあなたを招き入れること、そのデメリットが大きすぎるから」
「……なにをわけのわからんことを……」意味不明。意図不明。湧き上がる困惑と、……
「ねえネッド。あなた、本当の信頼って見たことある?」
(……うわぁ)ネッドはひどく
「お、おう。…そりゃあ…」(
「無いな。まあ」
「ふふ」扉の向こう側は、コロコロと愉快げに笑った。
「馬鹿みたいよね、『本当の信頼』。自分探しがキラキラするために言うたぐいの。自分では恥ずかしくてとても言えない。他人が言っていたのなら、ニッコリ笑って話を合わせて、心のなかではあざ笑ってる。そういったたぐいのこと」
「……お、おう。そうかもな?」
ネッドはこの場所に、酷い居心地の悪さを感じてきた。
「…でもね。切田くんはそれをくれる気がするの」
「感じたのよ。切田くんは他の人とは違う」
「きっと選ばれた人なのよ。運命や神様に」
「『本当の信頼』、ふふ、馬鹿みたいよね。本当に」
「だって、見てよ!世の中を、世界を。そんなもの『フィクション』の中にしか無いじゃない!」
「…フィ、フィクション?」
「でもね、彼はそれをくれたのよ。いいえ、
「あがいてくれているのよ」
「それを私に向けてくれている。…切田くんが、切田くん」
「…はぁっ…」
「
「だって、そんなの」
「好きとか、性とか」
「
「ああ…何かしらこの気持ち。なんて言葉にするのかな」
「『歓喜』?『法悦』?『福音』?」
「アハッ、言葉って馬鹿みたいね?」
「だから尽くすの。ふりでも、演技でも」
「心も、純潔も。みぃんな切田くんのもの。すべてをあなたに捧げます、ああ、切田くん」
「そう演じ続けるの。だって他にやり方がわからないもの。切田くんの大切な信頼が、どこかに行ってしまわないようにするやり方が」
「そう、私は切田くんの『聖女』をすればいい!」
「『自分が傷つくような戦い方なんて止めて!』ですって。アハッ、アハハ!馬鹿みたいよねえ。カマトトって言うんでしょう!?こういうの!」
「だって、そうしないと、切田くんは、どこかに行ってしまう!」
「私なんて切田くんに必要な女じゃないんだもの!」
「…ふふ…でもね、でも、ね?切田くんが自分を犠牲にして」
「もし傷ついて帰って来るのなら」
「…ふふ…」
「『
「ふふ…アハハ!私が必要になる!私が切田くんに!やったわ!やった…やったあ…」
「アハ。
「もう離さない。離れられない。絶対に離さないから」
「ふふ…アハハハハ!!」
ネッドは扉を挟んでまくしたてる声を、
「ふふ…好きよ、ネッド。どうしてあなたが好きなのか、私には全然理解できないのだけれど」
「きっと私には理解できない、見えない力がそこに流れているのね?…ねえ、ネッド?」
(……チッ……)
扉の向こうの彼女は続ける。
「だからその力は、これからは切田くんのために役に立ててほしいの」
「……はい?」
「そうよ。こんなに私が好きだと思えるネッドですもの。あなたならきっと切田くんの役に立てるわ!…どうか切田くんに、その力を貸して、ネッド!」
(……ああ……くそっ……)重圧となって
「……ネッド?……ねぇ、ネッド?」
苛立ちを
「返事」
「へ?」ドゴン!!と、扉が吠えた。「…ヒッ…」ネッドはビクリとして、(な、なんだコイツッ!?)腹立たしげに睨み返す。
「ねぇ、ネッド?」ゴン、
「わかるよね?」ゴン、
「私の言ってること、わかるよね?」ゴン、
「私が好きだと思える人だもの。そのぐらいわかるよね?」ゴン、
「でないと変でしょ?おかしいでしょ?」ゴン、
「見えない力の話だよ?」ゴン、
「切田くんは
「私、何かおかしなこと言ってる?」ゴン、
「言ってないよね?」ゴン、
「なのに、どうしてわからないの?」ゴン、
「私が好きになった人だよね?」ゴン、
「変だよね?」ゴン、
「そんな人、私が好きになるわけないもの」ゴン、
「ねえ、変だよね?」ゴン、
「そんなんじゃ
「!いやいや、待て待てっ!そんな風に突然言われてもさ!」乾いたつばを飲み込み、ネッドは必死に
「ほら!…なんていうか、そういうのって、…ほら、
「…ちゃんと持ち帰ってじっくり考えるっての。考え違いがあるといけねえ。大事なことなら
「……そうね」扉を揺るがす鉄槌が、止まった。
「あなたの言うことももっともね、ネッド」
「……ああ。それで、つまりだな。結局の所、今日はここを開けてはくれないって事でいいんだよな?」
(【魅了】の最大効果は、視覚からの影響がもっとも強い)
(対象が目に入った時の衝動の
(…使うか?合鍵を)ポケットに手を当てて昏い算段をしていると、扉の向こうが
「大丈夫よ、ネッド」
「明日、顔をあわせましょう。切田くんと一緒にまた話し合いましょう、ネッド。あなたへの愛しさもまた、大切なものに思えるもの」
「……それに、持ち帰って、じっくりと考えてくれるのでしょう?」
(……ふん)
(そうだな。キルタの目の前で心変わりをさせるのも面白いか)ネッドはほくそ笑む。第一、こんなメンヘライカレポンチを抱きたい気分でもない。いくらなんでも。
「わかったよ。今日は帰るわ。…また明日な」
「ええ、また明日」
◇
「ふふ、出会いというのはあるものね。理由がよくわからないのだけれど」
東堂さんは扉を離れて、ひとり
「でも、物事には優先順位がある。一時の衝動で未来を棒に振るほど、私は愚かではないつもり」
「…ああ、だけど、『好きだ』なんて言ってしまって」
「……切田くんにも言ったこと無いのに……」
「
「『世にあまねく聖なるものよ』」
「『淀みを
「…【
――部屋に清浄な気が満ち、風となって流れる。
細やかな光の粒子が彼女を包む。穏やかに取り囲むその光は、やがて、静やかに消えていった。
彼女は、ゆっくりと、目を開ける。
嫌悪感。
最初に感じたのは、激しい嫌悪の感情だった。そして不可解さ。
なぜ?
どうしてこうなった?
……自分の中でまとまり、理解を導く。
血が沸き立ち、髪が逆立ち、殺気が膨れ上がった。
怒りだ。
激怒の感情だ。
「ああ…やってくれる…やってくれたわね…ガバナ…ネッド!」
立て掛けてあったヘビーメイスを掴もうとして、ふと気がつく。――そうだ、『聖女』の断罪に、今よりもっとふさわしい服がある。
彼女はフード付きの外套と茶色いローブを脱ぎ捨てて、半袖の制服姿になる。
そしてきちんと畳んで置いてある、もう一着のローブへと手を伸ばした。
◇
「おつかれさんっと」アジトの入り口を内側から守る門番に声をかけ、ネッドは夜の街に繰り出した。
「…けっ。ドウシテわかんないの〜?だとさ。知るかバーカ。通じるか」
「こっちの苦労も何も分かってねえくせに…」
『スキル』で女を良いように操るのは面白かったし、良い気分にもなった。――だが、続けるうちにネッドは、いつしか言いようのない
それは後ろめたさではない。
ネッドを
魅了状態、もしくは高い『好感度』による思考誘導で関係を作っても、相手の不自然な好感にまみれた言葉にネッドが返せるのは、――いつもそれにそぐわない、違和感のある言葉。……合わせたことさえ不安になる、通じ合わぬ言語の会話。
(…俺は女を騙すどころか、女を騙してさえいない)
グラシスが言うようなデカいことをする
だが、その望みと『スキル』が引き起こす実際は、あまりに
(…だからって。俺がその
「『スキル』が作った偽物の好感?…だから何だよ」
「『好感度』で従えて、いい感じに操って。『
夜風に煽られ無性に激してきたネッドは、そのままブツブツと夜につぶやき出す。
「酔っ払いも、女の世話を頼んでくる奴らも。俺にだけは楽しそうに絡んでくるんだ」
「『頼りになるな、ネッド』『お前がいねえと始まらねえな、ネッド』。それみろ!みんなの思いが後押しするんだ。俺のやり方が、世界と噛み合ってるって証拠じゃねえか」
「
「……そりゃあ、まあ。俺にちょっとぐらい足りねえ部分があってもだ。将来性ってものを考えてさあ、まともに俺を尊重すべきだろうが!」
「ファミリーなんだ。手を掛けて、育てて!!」
「若いんだからさ!」
目に見えて
「ふん。だが、まあ今回はあれだな。あの取り澄ましたキルタの顔が
ダラリと両肘上げて肩を
「ハハ。我ながら
「…そりゃ誰だって、自分が嫌な奴だなんて思われたくはない。だから認めない。だがな。世界中のありとあらゆるすべての人間は。
「この感覚は、
「……まあ、端的に言うとだな」
「ざまぁ、ってことだよ、キルタ。ハハハッ!」
ヒュッ、と音がした。
ネッドの視界は突然回転した。(ん?…なんだ?)
「ぐわあああああああああっ!!」石畳を跳ね転げる。衝撃に思考が飛び、引きちぎられて細かく断片化する。
……回転が止まり、ネッドは仰向けになっていた。いつのまにか自分は道路に倒れ、なすすべもなく夜を仰いでいた。頭が、顔が、腕や肩がひどく痛む。
「…な、何が…」
「こんばんわ、ネッド」
夜風にそよぐ、静やかなる白影。……浮かび上がる、女性の細身のシルエット。
その純白さには、一辺の曇りもない。それは清浄かつ、どこか異常な存在である様にも感じられた。
夜の
事細やかなる神授の造形写し取る、千差万人をも
思わず意識を奪われる。ネッドは今や、全身の痛みさえも忘れてしまっていた。
(…なんて、美しい…)
そして、昏い欲望が身をもたげた。(自分のものにしたい。『好感度』のスキルを使ってでも!)
苦痛を押し殺し、情欲の駆り立てる半身を起こす。……さあ、誠実な
脚だ。
自分へとつながっている。ネッド自身の足だ。
それは、膝からねじれ、ありえない方向に折れ曲がってレの字を描いていた。……両方の足がだ。
脂汗が吹き上がり、激痛が遅れてやってくる。「…ああ…ああああああああ…」悲鳴ともうめき声ともつかない声が、口から溢れ出る。
「ごめんね、ネッド。痛いよね?」つかつかと女は歩み寄り、ネッドの股の間にヘビーメイスをズドンと差し込んだ。「う゛あぁっ!!」衝撃が、ねじ折れた脚を弾ませる。
「……でもね。私の味わった痛みは、こんなものじゃない。……『ごめんね、ネッド。痛いよね?』ですって。馬鹿みたいよね?ふふ……」
「『んんんあああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!』」
爆発の衝撃と共に乱暴に振り下ろされた彼女の右足が、ネッドの無事な太腿を踏み砕いた。肉が挽き潰され、奥底の固いものが
「うがあああああああああああああああっっっっ!!」ネッドは限界まで腹の空気を絞り、それでもまだ叫ぼうと空気を求めてヒハヒハあえぐ。
眺め下ろす女の
「だから相応の
声にはたしかに聞き覚えがあった。……信じがたいことに、この美女は、あのイカれたフードのメンヘラ女だ。
「……て、てめえ、トードーかっ……!!」
東堂さんはカクンと首を
「アハッ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます