悪魔になりたい天使くん

降久

第1話 僕の終わりの日

 ああ、今日もいる。


 そんな呟きを、イヤホンに隠された彼の耳が拾ってくれるはずもなく、今日もまた僕たちは静かに街を見下ろす。彼は一人で見ているつもりなのだろうが、あいにくほぼ毎日僕と眺めているのだ。ただ、彼が僕に気づいていないだけで。

 僕がいつも来ているこの廃屋の屋上に、彼はいつの間にか現れた。その暗い瞳で下を見下ろす姿は、何処ぞの天使のようだった。何度か、柵に足を乗っけて立ち上がり、風に揺られていたこともあった。そして、いつの間にか帰っていく。それが彼。名前も知らない彼を僕はそう認識している。

 今日はどうするのかな。今日こそ、その見つめ続けた下に飛ぶのかな。街を眺めながら、僕はそんなことを思う。こんなことしてても、僕は一人前の使なんだから不思議だ。声に出さないだけでみんな何も気づかない。もし、本当に好き勝手してたら、きっと今頃堕天使になっていたのだろう。まぁ今は気持ちはもはや悪魔だけど。

 さて今日こそ彼は僕に気づくのか。気配は消しているけど、姿は彼には見せている。というか、している。つまるところ愉快犯だ。

 天使は、死神が狩った魂を案内するとき、つまり仕事をするときくらいしか、人に姿を見せることを許されていない。単純に危ないからだ。人間に天使の存在を信じてる奴なんてほとんどいない。だから目の前に天使なんて現れたら、大抵の人は目の前の状況を処理できない。発狂することだってある。だから、天使は人の前に姿を表しちゃいけない。

 そんな天使にだって、魂が宿っている。個々の人格(?)があり、考え方も天使それぞれ。故に、規律を守らないやつもいる。堕天使は、人間社会で言う凶悪犯罪者的なモノだ。見つかれば当然捕まるし、生き残ってる《まだ捕まってない》数も多くないからみんな有名だ。軽い気持ちでやってもすぐ捕まるから、そんな堕天使は、人間になりすましてるとか、悪魔として黒く染まってるとか言われるくらいだ。そこら辺にいる、頑張って地位上げようとしてる天使の方が知られてない。

 そして、僕のコレは規律のギリギリライン。グレーゾーンを攻めた行動。僕はこの天使と堕天使の合間を漂うこの時間を楽しんでいる。スリルがあるのは、人間曰く楽しいらしい。なので、多分コレが楽しいということなんだろう。難しいな。

 ただ、彼に一度も見られないのが不思議で、ちょっぴり悔しい。

 僕の姿を見た=死だからこんなに悩む必要もなくなるっていう彼にとってのメリットもあるのに。まぁ、死なない可能性もあるけど。僕は十中八九見つかって目の前で頭潰される気がするから、人間にとっては恐怖体験かもね。殺人現場とかも見たことないなら、廃人になる可能性はあるか。僕達は見慣れてるけど、人間には厳しいらしい。あぁでも、特に注意は此の国の人間ってなるけど。平和すぎんだよぉ、此の国。仕事する回数少なすぎるもん。だから、彼みたいに死にたくても死ぬのが難しい人が困るんだと思う。つくづく思うが、人間は不公平だ。

 でも、彼がやっぱり生きることを毎日選んでいるのを見て、バレなかったことを安心する自分もいる。あぁ、彼はまだ生きることに希望を持っているんだ。

 彼の人生に訪れるのはもう絶望しかないというのに。

 そう思うとやっぱりワクワクする。面白くておかしくて、笑ってしまいそう。じゃあ彼はなんのためにこんな毎日ここで悩んで考えて苦しんでるんだろう。なんの意味もないのにね。

 あ〜、面白い。これだから人間は面白い。面白くてたまらなくて、とっても脆い。心も体も、硝子細工のようにすぐ壊れてしまう。面白いって思えてるから、コレは楽しいで間違いないと思う。

「ん」

 あら、今日はもう帰るのかな? また明日おいでよ。僕はここにいるよ。

 そんなことを心のなかでつぶやく。届くはずもない言葉だってわかってても、やめられない。これは僕の日課。仕事よりもずっと楽しい、僕の大切な時間。彼がここに来るのをやめるまで、僕は続けるのだろう。

 それが、変わらないと思っていた運命が、今日変わってしまった。

「え、誰?」

「あ」

 彼とばっちり目が合う。今までになく目を見開き、僕を凝視する。その瞳は暗いまま、その奥で目の前の状況を どう処理しようか考えている。しかし、それは必要のないこと。意味のないこと。なぜなら、それは僕がすべきことであり、彼には選択肢もなく僕に運命を委ねるしかないからである。

「あ〜あ、見つかっちゃった」

 いや、僕ももう、自分の運命を選ぶことなんてできない。もともと決まっていたことに、逆らったのだ。コレは完璧なる規律違反。もう僕の命だって数秒だろう。もう直、天界のお偉いさんに殺されるはずだ。

「ずっと、一緒にここにいたんだよ? 気づかなかったでしょ?」

 そうやって笑いかける。すると一瞬、彼の瞳に光が宿った。あぁ、僕に何を期待してるんだろうな。殺すこと? 連れ去ること?僕の頭の上で揺れる輪っかを見て喜んでる?残念ながら君はまだ死んでいないよ。

 そして僕も、死んでいない。

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