最期
最期
デリーゲレは、追い詰められると同時に、更に狂気に染まり始めていた。公敵になったことでローマ帝国からの支援は絶望的となり、シリアでの地位も地に堕ちた。デリーゲレはハイダルを捕縛し、自らの末路を共にすることを願った。
反乱軍のアジトを遂に見つけたデリーゲレは使いを送り、反乱軍の安全と引き換えにハイダルの身柄を引き渡せと伝えた。
反乱軍のリーダーであるゼノはその提案を断り、ナディムは涙ながらに反対したが、ハイダルは責任感から応じた。
「あなたを失ったら私は…。」
ナディムはハイダルを行かせまいと強く抱きしめた。
「ナディム…、頼む。俺のことを恨まないでくれ。これは反乱軍のためだ。そして、お前のためでもあるんだ。」
と、ハイダルは静かに言った。
「必ず生きて帰る。」
ハイダルはそう言い残すと、使者と共にアンティオキア城へ向かった。
ハイダルは使者に連れられ、城内へと足を踏み入れた。栄華を誇った大広間は、今は埃をかぶり、蜘蛛の巣が張り巡らされていた。ローマ兵はまばらで奴隷達の姿を見かけることはなかった。静寂の中、自分の足音が響き渡るばかりだった。ハイダルは息を呑んだ。重く湿った空気が肺を満たす。ハイダルは、この荒れ果てた城の中で、デリーゲレの狂気が現実のものとなったことを悟った。
薄暗い廊下の奥に、一際豪華な造りの扉が見えた。それが、デリーゲレの居室だ。足音が響き渡る度に、心臓が大きく鼓動する。過去の出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、ハイダルは握りしめた拳に力が入るのを感じた。そしてデリーゲレの暗い居室に踏み入れる。
「レオニウス、私と共に永遠の眠りにつくのだ!」
デリーゲレはハイダルの顔を見るなり、血まみれの剣を握りしめ、荒れ果てた部屋の中で叫んだ。足元には美しい奴隷達が倒れ伏している。ローマ帝国から公敵と認定されもはや逃げるすべもない。絶望感に打ちひしがれたデリーゲレは愛するレオニウスと、この世の終わりを共にすることを決意したのだ。そしてハイダルを抱擁し、短剣を…
しかし…
「俺はハイダルだ。レオニウスではない。そしてお前の人形ではない。」
デリーゲレは頭の中が真っ白になった。
この男はなんと言った…?
本当は生まれるはずだった。レオニウス。
私の息子…。
奴隷市場で少年を見つけた。
もし成長していたならこの背格好だっただろう。
思わず買い、生まれなかった息子の名を授けた。
「レオニウス、私の息子…。」
少年は少し驚き、そして嬉しそうに笑った。
連れて帰り、実の息子のように育てた。
奴隷を実の子として育てることに反対した妻とは不仲になり離縁した。それでもレオニウスが可愛かったのだ。
元老議員達の悪意から必死に守った。いつの日か皇帝になればレオニウスと平穏に暮らせると思いついた。けれど、どうしてだろう…いつのまにか狂気に染まったのだ。
「どうして…どうしてこんなことを…」
デリーゲレは呟いた。デリーゲレの心は、後悔と絶望で満たされていた。レオニウスを我が子として愛したはずなのに、いつの間にか利用し、操ろうとしていた。
幼い頃、厳格な父からそうされたように…。
ハイダルは、デリーゲレを見つめ、静かに言った。
「お前は俺を愛したのではない。お前自身の欲望を満たすための道具として、俺を利用したのだ。」
その言葉は、デリーゲレの心に突き刺さり、膝から崩れ落ちた。
「レオニウス、いや、ハイダル…私は、もう人ではない。狂気に染まってしまった。」
「デリーゲレ…?」
「憎いだろう…私を殺してくれ。」
ハイダルは、深いため息をついた。
「お前は、ずっと孤独だったのだろう。愛を知らず、愛され方も知らなかった。」
ハイダルはデリーゲレの歪んだ愛情に翻弄されながらも、どこかで彼を理解しようとしていた。
デリーゲレは、間違った愛の形を求め、孤独な道を歩んだのだ。そしてデリーゲレは全てを失った。権力も栄光も…。
いつのまにか怒りは消え失せ、憐れみさえ感じていた。
ハイダルは静かに告げた。
「殺しはしない。皇帝に身柄を引き渡す。」
デリーゲレは最期を悟ると、自分の喉に短剣を突き刺した。
ハイダルは、倒れたデリーゲレの喉に突き立てられた短剣を静かに見つめた。ハイダルの瞳には、複雑な感情が渦巻いていた。過去の二人の出来事が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。共に過ごした日々、そして互いの心に生まれた歪み。人生を壊した張本人でありながら、唯一の家族同然であった男の死。それは、ハイダルの人生に深い傷跡を残すだろう。
ハイダルは、デリーゲレの遺体を抱き起こし、静かに語りかけた。今や帝国の公敵となった男にもはや冥福の言葉をかける者はいないからだ。
「安らかに眠れ、デリーゲレ。永遠の安息の中で。」
ハイダルの身を案じ遅れて到着したナディム達は、死んだデリーゲレと、茫然自失のハイダルを発見する。
ナディムは、そっとハイダルを抱きしめた。
「大丈夫だ。もう何も恐れることはない。」
ナディムの温かい言葉にハイダルは安堵し、ようやく涙を流した。城から見える満天の星が、彼らの未来を照らしているように感じた。
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