そのころ、箱に吸い込まれたアルバートはどうしていただろうか。


 彼は、真っ暗な闇の中をひたすらに流されていた。


 最初、それは激しい流れのように感じたが、段々と穏やかになり、いつのまにか

自分が地に倒れ伏していることに気付いた。


 接地面がごりごりと痛む。

 明かりが無いので目で確かめることはできないが、どうやら下は石畳のようだ。


(いてて……ひどい目にあった……)


 彼は、そっと身を起こそうとして気が付いた。

 どこで落としたものか、足から御自慢の靴が失われている。


(何と、セルジャダンカンの一点物だったんじゃぞあれは!?

 ああ、あの時あんな箱さえ見つけなければ、こんな惨めな気持ちになることも

無かったのに……)


 そこで、アルバートは正気に戻った。


(――いや、靴どころではない!かなりの危機的状況だぞ!?)


 とっさに周りの気配を窺う。

 耳や鼻からは、特にめぼしい情報を得ることはできなかった。


(【灯火】の魔道を使うか?いやまて、どんな罠があるか分からぬ。

 これは、大人しく助けを待った方がよいかな。

 ……ナツメとユースケは、少なくとも儂を見捨てるような奴らではないからな)

 

 アルバートがそう判断したあたりで、彼の視界が急に開けた。

 灯りがついたのだ。


 アルバートは、自分がおよそ立方体の空間の片隅に位置していることを把握した。

 その他、まず目に入ってきたのは、石壁、石畳、そして部屋の中央に設置された

意味ありげな石柱だった。


 石柱はちょうど人の背丈ほどの高さがあり、良く磨かれた黒御影石のような素材で作られている。その表面には魔道文字が細かく刻まれているが、遠くて内容までは

読み取ることができない。


(……触れて操作するタイプの魔道具に違いない)

 アルバートは、自らの経験からそう当たりをつけた。


 アルバートがそうやって部屋を観察していると、彼の対面、つまりは石柱を挟んで向こう側の壁の一部が横にスライドし、その向こうから、禿頭の老人が姿を現した。

 道衣を身に着けていることから、彼もまた魔道士であることが見て取れる。


 老人は、胡散臭そうにアルバートを眺めると、こう言うのであった。

「ここから入って来たということは、おぬしがドライアン殿か。なるほどなるほど、

話には聞いておったが、想像以上にかぶいた装いよのぉ」


「いや、儂は……」


 アルバートの反論を待たずに、老人は言葉を続ける。

「まあよい、宝を求めて来たのであろう。

 そのためには、『本鍵の試練』を受けていただく必要がある。

 それが、この箱に課せられた使命ゆえ――」


「御老体、御老体、ちょっと待ってくださらんか」

「なんじゃ。怖気づいたか」

「いえ、そうではなく、儂は、あなたの言うドライアンという者ではないのです」


 老人は眉根に深い皺をよせた。

「おかしなことを言う。この箱は、アタラヌ家のドライアン殿以外には

【鍵に至る手順】が分からぬようになっておるのだ。

 ……まさか、ドライアン殿は宝の所有権を放棄されたのか!?」

 

老人の剣幕に気圧されながらも、アルバートはなんとか口を開く。

「いえ、そもそも、ドライアンという名前を今初めて耳にしたのですが――」

「では、どうやって【鍵に至る手順】を知った?」

「その手順とは、箱に刻印されたアタラヌ家の紋章の下に書いてあった言葉、

『我を開きし者に、尽くることなき富を授けん。追求者よ、二の指を鍵とし、富貴公の名を三度唱ふべし』――これで間違いないでしょうか」

「……そのとおりだ、文言も一致しておる」

 老人は、何やらブツブツとつぶやきながら石柱に触れた。

 何らかの魔道を行使しているようで、石柱が低い振動音を上げる。


 しばらくして、老人は頭を振りながらアルバートの元にやってきた。

「わからぬ。機能は正常に作動しておるし、展開した術式が損なわれた形跡も無い。おぬし、一体何者だ?どうやって箱の仕掛を見破った?」

 老人が、猛禽類を彷彿とさせる鋭い視線をアルバートに送る。

 その迫力は、歴戦のアルバートですらものだった。

「あ、いや、実は、それを発見したのは儂ではないのです」

「では、誰だ」

 老人が一歩前に踏み出す。

 それ応じてアルバートが無意識に一歩下がったその時、彼のすぐそばで声がした。


「お取込み中済まないが、少し失礼する」


 反射的に声の出所に目をやると、そこには一人の少年が立っていた。

 アルバートは、とある奇縁によって、彼のことを見知っている。

「な、アガク大師!?どうしてかようなところに!?」

「ユースケとナツメに頼まれたのだ。アルバートよ、最近は苦労続きだな」

「まこと……己の非力を恥じるばかり……」

 老人は、新たな闖入者ちんにゅうしゃを訝しげに見ていたが、すぐに何かに気付いたように目を見開いた。

「これはこれはアガク大師、いれものが変わっておったので気付くのが遅れましたぞ」

「久しいな、キタブ=アッカ。おおよそ200年ぶりになるか」

 アルバートはそこで気が付いた。

(この老人がキタブ=アッカじゃと!?まさか存命であったのか……)


 老人――キタブ=アッカはアガクに尋ねる。

「おや、外界ではもうそんなに時が流れましたか。その200年の間で、何か面白い

ことはございましたかな」

「天秤の番人が代替わりをしたことくらいだ」

「なんとまあ……それは前代未聞のこと、人類の半分程度は死に絶えましたか」

「そうなってもおかしくはなかったが、どうにか穏やかに決着した」

「それはまことに重畳……おっと、折角の再会を立ち話で済ますのはもったいない。どうぞこちらへ――」




 アガクとアルバートは、キタブ=アッカに導かれるまま、奥の間へと進んだ。

 そこはやはり立方体の殺風景な部屋であったが、石柱のあった最初の部屋と

比べれば、いくらか生活感が感じられる場所であった。


 三人が腰を下ろすと、それぞれの目の前には箱が置かれていた。


 その箱からは、カチカチカチカチと歯車がかみ合うような音がしていたが、やがて静かになり、自動的に蓋が開く。

 中には、淹れ立てと思われる紅茶と、湯気を立てている蒸し菓子が入っていた。

 アルバートは、それを恐る恐る手に取り、覚悟を決めて口に入れる。


(旨い……)


 そのしっかりとした甘味は、緊張の続いたアルバートの心に染みわたった。


「お気に召されたようで何より」

 キタブ=アッカが穏やかに語りかける。

 アルバートは、その言葉に礼を述べると、どうしたものかとアガクに視線を送る。

 アガクはそれに気付き、

「キタブ=アッカよ。こちらはアルバート、私の友人だ。

 なかなか面白い男なので、今後ともよろしく頼む。

 アルバートよ、キタブ=アッカのことは知っているな。

 噂に勝る箱狂いだが、真に優秀な魔道士だ」


(儂がアガク大師の『友人』とは……いやはやなんとも……)


 アルバートは「はあ、よろしくお願いします」と答えることしかできなかった。

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