第34話 過去話2
ローザが【氷の精霊】と契約を交わしたのは、それから三日後のことだった。
ノードン村の裏手にある雑木林の中。ローザは地面に描かれた契約の円陣を眺めながら、隣り合う精霊に訊ねる。
「これで、けいやく、っていうのができたのか?」
『ええ、そのとおりでございます』
【氷の精霊】は足で円陣を消しながら、内心ほくそ笑む。
精霊契約をすれば、契約者の魔力が永続的に供給されることになる。その証拠に、あれだけあった傷がもう完治している。これで消える心配はなくなった。
あとは契約者が代償を支払うその瞬間が訪れるまで、堪え忍べばいい。
こんな子どもに精霊としての力を利用されるのは、すこし癪だけれど。
ローザもまた、契約におけるデメリットを理解した上で、【氷の精霊】の力を欲した。
村を守りたい――
その一心で、ローザは自身のすべてを投げ打ったのだった。
「これで私は、おまえの力を使えるようになったのか?」
『そのとおりです、ローザ様。人間界では精霊魔術と呼ばれています。試されますか?』
「いや、いい。なんとなく……うん、かんかくでわかった。ここでためしたら、村がいっしゅんで氷づけになる」
『ええ、そのとおりです。よくお気づきで』
「……ひとつだけ言っておく」
悪辣に笑う【氷の精霊】に、ローザは真剣な顔で詰め寄る。
「けいやくの前にも言ったが、私がこの力をほしがったのは、村のみんなをまもるためだ。村をまもれるのなら、私のいのちはどうなってもいい――でも、村のみんなをあぶない目にあわせようとするのなら、すぐにでもおまえをたべてやる」
『お好きにどうぞ?』
【氷の精霊】は挑発するように言った。
『ですが、すでに妾とローザ様は一蓮托生。精霊契約によって繋がれた共同体でございます。ローザ様が妾を食べるときは、ローザ様がその命を失くすときでございますよ? 自分で自分を食べる、そんな自死に等しいことをなさるおつもりで?』
「ハァ……だから」
ため息交じりに言った後、ローザはおもむろに両手を上げると、自分の首を力いっぱい締めはじめた。
爪が皮膚に食い込み、真っ赤な血液がポタリと流れる。
ギギギ、と幼い首の骨が軋んだ。
ローザの表情がわずかに歪む。連動して、【氷の精霊】が苦悶の表情で首をかきむしる。
精霊に呼吸器官はないが、契約で全感覚を共有しているがゆえに、ローザの窒息寸前の息苦しさがダイレクトに伝わってしまっていた。
「そういう、くだらないおどし、を、やめろ、って言ってる、んだ。やめなければ、いつでも私は、私、の、首をおる」
『ガッ、……ァ……ッ、グゥッ……、!!』
「ほんき、だぞ。私、は、うそを、つかない。『かんかく』で、わかる、だろ?」
『わ……わ、わかりま、したッ!! わかり、ましたから! 絞めるのは、もうッ!!』
【氷の精霊】の懇願を聞き、ローザは力を緩め、自身の首から手を離した。
肩で息をするローザ。首筋には両手の跡と血痕がくっきり残っている。その顔は、酸素欠乏を示す紫色に変色していた。
【氷の精霊】もまた、地に伏して息を荒げながら、本能で理解する。
ローザには、敵わない。
稀少なスキルを有しているからではない。この人間は、意志が強すぎる。普通の人間にあるはずの揺らぎがない。背筋が凍るほどに真っすぐすぎる。目的を達成するためなら、自分の命は捨ててもいいと本気で思っている。
「わかれば、いい」
息も絶え絶えといった風にローザは笑い、手を差し伸べた。
「これからよろしくな、シヴァっち」
『……よろしく、お願いします』
身体の震えを抑えながら、【氷の精霊】はおそるおそる差し伸べられた手を取る。
下等な人間と握手する。
それは、ローザへの二度目の降伏宣言に等しかった。
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