第29話 アドバイス
レインがカナリエに連れて来られた場所は、赤レンガの橋を超えた先、王都南区域の城壁門前にあるバーだった。
「内緒話するには最適なとこなの。隠れた名店ってやつね」
カナリエが濃い赤茶色の扉を開ける。
アルコールの香りとタバコの紫煙とともに、豪奢な内装の店内が目に飛び込む。
照明はほの暗く、店員と客の顔が見えづらい。各テーブルは分厚い仕切り板で囲われ、床には吸音性の高い絨毯が敷かれていた。
なるほど、たしかに内緒話には向いていそうな空間だ。
と。入店を告げるドアベルの音を聴きつけ、スーツ姿の男性がこちらに歩み寄ってきた。
「ふたり。今日はいつものとこじゃなくて、奥の部屋を使わせて」
カナリエの指示を受け、男性は恭しく頭を下げると、先導をはじめた。
通されたのは店の奥にある鍵付きの個室だった。
テーブルに向かい合うようにしてソファに座り、カナリエが呪文のような名前の酒を数種類、おつまみを二種類ほど注文する。
酒が届いたあと、男性にチップを渡すカナリエ。手慣れた様子だ。
男性が去ったあと扉を施錠すると、カナリエは不意に魔導フォンで誰かにメールを送りはじめた。
「連れ込んでおいてゴメンね。重要な用件のメールなの。すこしだけ待っててね」
「ああ、おかまいなく……」
一分ほどして魔導フォンを置くと、カナリエは「さて」と顔をあげた。
「ゆっくりしてよ。このお店、守秘義務が徹底してるお店でね。国の要人なんかが密談に使ってたりもするの。この個室も防音だから、バカ騒ぎしたって大丈夫よ」
「こんな高そうな店で騒げるかよ……」
テーブルに並ぶ高級酒を見回し、レインは言う。
「カナリエは、ここの常連なのか?」
「……まあ、それなりにね」
遠い目をしながら、カナリエは生地をたしかめるように革張りのソファをひとなでした。
「大体は、仕事で使うことがほとんどだけど」
「へえ……俺は一生慣れそうにないな」
「慣れるもんじゃないわよ、こんなところ」
唾棄するかのごとく言い捨てて、カナリエはテーブルの酒を呷ると、話題をそらした。
「それより、王都の生活はどう? もう慣れた?」
「全然。まだ三日目だからな。知らないことばっかで、ついていくのがやっとだ」
「その割には、魔導フォンも使いこなしてるみたいじゃない。もういっそのこと、王都に住んじゃう? そしたら」
区切って、カナリエは飲み干した空のグラスを、カン、とテーブルに置いた。
「空っぽのレインくんにも、なにかやりたいことが見つかるんじゃない?」
「……、ガラハさんに聞いたのか?」
「まあ、そんなところ」
騎士団は国王の庇護下にない独立団体だ。
ゆえに内部で団員を監視し、罰する自浄作用システムを構築しなければならない。それが、懲罰機関の役目を担っている暗部だ。
カナリエはその監視役たる暗部からの報告で、先日のガラハとの会話を知ったのだった。
「飲みに誘ったのは、その話をするためか?」
レインがすこしだけ煩わしげに問うと、カナリエは呆気らかんとした態度で。
「え、ちがうけど?」
と答えた。
「目標とか夢とか、そんな小難しい話を酒の肴にしたくないわよ――てか、わたしたち、それこそ会ってまだ三日目じゃない? そんな浅い関係で、いきなり深い話とかしにくいでしょ。わたしもわたしで、将来の相談に乗れるほど人生経験あるわけでもないし」
「……じゃあ、なんで俺をここに?」
「うふふ、レインくんが好きだから♪」
「帰ってもいいか?」
「ちょっと。すこしくらいは照れてよ。かわいくないわね」
わざとらしくふて腐れた後、カナリエは自身の顔を手で扇ぐと、おふざけモードを一変。ほんのり赤ら顔で「まあ、とはいえ」と空気を切り替えた。
「わたしはきみたちより二歳ばかしお姉さんですから? 人生相談には乗れないけど、ひとつだけ『アドバイス』はしておこうと思ったの……誰にも、護衛にも絶対に聴かれちゃいけない秘密のアドバイス。それを伝えたいがために、レインくんを飲みに誘ったの」
「アドバイス?」
「至ってシンプルよ――一番大切なモノはなにか、しっかり考えること。ただそれだけ」
「一番、大切なモノ?」
「そう。それがわかれば空っぽ云々の悩みは解消されるし、そのさみしさの元凶を失くすための答えもおのずと見つかるはずよ」
レインの口から思わず声がもれそうになる。
〝……悪いかよ〟
ガラハとの会話を知っているということは、そのすこし前、ローザとの会話でもらしたレインのさみしがりな恥ずかしい発言も知られているということ。
カナリエが言うところのさみしさの元凶とは、その発言に基づいたものだったのだ。
レインは顔が熱くなるのを感じて、目の前に置かれていた酒をここでようやく呷った。
呑んではじめて、レインは自分が酒に弱いことを知った。
アルコールが一気に体内を巡り、全身がフワフワと頼りなく揺れはじめる。
酩酊寸前のレインを見つめ、カナリエが楽しそうに目を細めた。
「大丈夫? これじゃあ、どっちのせいで顔が赤いかわからないわね」
「……いい性格してるよ、ほんと」
「ふふ。それ、世界で一番好きな誉め言葉」
カナリエが笑いながら、レインのグラスに容赦なく酒を足してくる。
それにしても――一番大切なモノ。
なんとはなしに考えてみて、レインの脳内に浮かんだモノは、ひとつしかなかった。
ひとりしかいなかった。
「……、――ぷはぁ!」
「おおー、いい飲みっぷり! もう今日はじゃんじゃん飲みましょ!」
カナリエの煽りをBGMに、レインは飲むスピードを上げていく。
それはまるで、気づいてしまったナニカを忘れ去ろうとしているかのようだった。
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