魔の呼び声①

 そんなわけがない、と僕は首を振る。眞弓は僕を守るように手を広げて僕と男の間で、いつでも男に飛びかかれる体勢を崩さない。


冬夜とうやだ」


 そんな眞弓の様子を気にすることもなく、男は自身の胸に手を当てて言った。


「は?」


 男の放った言葉を聞いて、眞弓が首を傾げる。


「ムーズという店にキャストとして在籍している。君達の家から歩いて十分程度のところにある。今度来てみると良い」


 冬夜を名乗った男は、僕らの前に何かを投げた。投げた物が床を滑り、僕にも見える位置で止まる。名刺だった。名刺は黒を基調とした煌びやかな物で、洒落た文字で「Musa 魅神 冬夜」と書かれている。下の方には住所が書かれており、確かにそれは僕らがこの数ヶ月暮らしたあの家のすぐ近くであることもわかった。


「ホストクラブ?」

「そうだ」


 ボソリと呟いた僕に、冬夜は満足そうに頷いた。


「あー、君は──」

「俺の餌だ。それ以上でも、それ以下でもない」


 冬夜の言葉を遮るようにして、眞弓が棘のある口調で言った。


「なるほど」


 冬夜は納得したように頷いた。


「餌の確保は大事だ。オレも客の中から気に入った女の血を貰っている。何、オレを好いてくれる女には死にたがりも多くてな」


 さっきからこいつは何を言っている? 冬夜の思惑が分からない。だが今の発言からも、こいつが吸血鬼であることは間違いない。


「椋島は、あんたの仲間だったんだろ」

「む?」


 僕の問いかけに、冬夜は意外そうな顔をして、それからニッコリと笑った。


「ふむ。椋島は俺の眷属だった。優秀な女衒ぜげんでな。客の女ばかり喰らうわけにもいかんが、奴のお陰で毎日美味な血を喰らうことができた。それを──」


 ──ゾクリ、とした。冬夜は、直前まで浮かべていた薄っぺらな笑顔を剥がして、冷たい眼差しを僕らに向ける。


「殺したのは同胞、お前か?」

「はッ! そうだ」


 対して眞弓は腰に手を当てて鼻で笑った。椋島を実際手に掛けたのは僕だが、眞弓とリコがいなければ、奴にトドメを刺せたかどうか怪しいものだ。そういう意味では、眞弓が殺したとも言える。僕は特に眞弓の言葉を訂正せず、冬夜の顔を見た。やはり、この男の言葉の意味を掴みかねる。思い返してみると、同胞という言葉は椋島も使っていた。自分と同じ吸血鬼のことだろうけど、冬夜が言っているのは、それだけのことではないような気もする。


「隙がないな」


 眞弓が冬夜の方を見たまま、ボソリと呟いた。冬夜を前にして、眞弓の顔が少しだけ引き攣っている。それは僕にも分かった。楽しそうに言葉を紡いではいるが、それを止められるようなことがあれば、すぐにでも暴力を行使する、そんな空気を奴はずっと纏っている。


「名を聞こう」


 冬夜が眞弓を指差す。急な要求に眞弓は目を丸くして、それから舌打ちをした。


「俺は──俺に名はない」


 眞弓は苛ついたように、自分の髪をくしゃりと掴んだ。


「俺はただの、魔だ」


 そんなことはない、と叫びたかった。彼女が元の眞弓とは別人格だとしても、今の彼女が純粋な吸血鬼なのだとしても、それでも彼女は僕にとって眞弓の一部だ。彼女がどう考えているのだとしても──。何度もそう、話さなかったか。

 けれど、やはり彼女にとっては、違うのか。

 眞弓の答えに、冬夜が楽しそうに笑った。


「良い。良いね、君。やはりオレと同じだ。我が同胞。オレと血を分けし者」

「さっき得意げに名乗っていただろう」

「オレの名も、個人を識別する記号に過ぎない」

「話にならんな」


 冬夜は、ふぅと溜息をつく。


「オレも同じ血を分けた同胞に、浮つき過ぎたかもしれんな」

「貴様の言っていることは、さっきから分からん」

「それは──おっと」


 冬夜の服の中で、何かが震える音がした。冬夜はスーツの内側に手を入れる。中から取り出したのは、スマホだった。冬夜はスマホをタップする。


「遅かったな。首尾はどうだ」

『ボス、抜かりなく』


 スマホはスピーカーになっていた。冬夜はニヤニヤと顔を歪めて、尚も楽しげだ。


「君はオレのところに来れた。それだけの運と実力がある」


 冬夜は歩を進めて、眞弓に近付く。僕も眞弓も、改めて警戒態勢を保った。冬夜の手には、スマホが床に水平になるように握られている。僕はゆっくりと、床に落ちたスタンガンを拾った。


「だが、椋島を殺した。そのケジメはつけてほしい、というのが正直なところだ。だから警告をした」

「あんた何言ってる?」


 僕は我慢しきれずに尋ねた。だが、冬夜は僕には目もくれない。手を伸ばせば眞弓に届くくらいまで近付いて、冬夜はスマホの画面を眞弓に向けた。僕も眞弓の後ろから、その画面を観る。

 画面には火が映っていた。何かが燃えている映像が映し出されているが、暗くてよく分からない。ただ、何か見覚えがあるような気がして、僕は目を凝らす。


「あ──」


 火が強まる。炎が包むそれが何か、それで分かった。


「僕らの家……」


 正確にはあの人のだけれど、僕たちがここ数ヶ月過ごしたあの家だ。それが、屋根から庭まで燃えている。灰色の煙と何かを弾く火花が空に昇っていく様子が、画面に収まる程度の距離で映し出されている。


「え」


 僕は口元に手を当てる。待て。あそこには今、リコがいる筈だ。リコはどうした? ヒメちゃんは? もしも僕らが帰ってこなかったら──リコにはヒメちゃんを連れて逃げるように言った。けど、こんなことは想定していない。


「君も含めて、住んでたのは四人だと聞いている」


 混乱する僕のことなどお構いなく、冬夜は好きな映画の話でもするように、声を弾ませる。


「留守番していたのは、どちらも君の眷属か? いや、それにしては臭いが薄かったな。はは、あの様子では共に燃え尽きたか──」


 ──冬夜が言い終えるより先に、眞弓が動く。眞弓は手を手刀の形にして、突き刺すようにして冬夜に振りかぶる。僕もそれに続き、手に持っていたスタンガンをすぐにでも冬夜に向けられるように──。


「あれ──」


 手を伸ばした先にあるはずのスタンガンがなかった。僕が伸ばした腕の先が、虚空を切る。

 ──違う。


「──ッ!?」


 何か声を発しようとしたが、口を開けても声にならない声が、喉を掠れるようにして吐き出されただけだった。


「愚かな」


 冬夜が舌打ちをする音が聞こえた。冬夜に眞弓の振り下ろした手刀を避けて、その手に何かを握っている。人の手首だ。冬夜が持つその手にはスタンガンが握られている。


「──あ、あ、ああああああ!!?」


 その光景の意味を理解するより先に、痺れるような痛みが、電流の如く身体中を駆け抜ける。眞弓に吸血される時やリコに催眠をかけられる時と似ているようで、根本から違う感覚に、僕は身体を震わせた。

 ──僕の左手の、手首から先がない。僕の身体の一部だったそれは、冬夜の手に握られている。ポタポタと、血が垂れる。僕の腕の先から。冬夜の持つ、僕の手首から。冬夜は僕の手首を掲げて、口を大きく開けた。千切れた手首から滴る血を口で受け止めて、ゴクリと呑み込む。僕は咄嗟に腕を掴もうとするが、右手は空を掴んだ。見ると、左肘の関節から下辺りから、骨と肉が露出していた。


「ふむ、悪くない」


 冬夜は、僕の手首を持ったまま。傲岸不遜な吸血鬼らしく。ぬらぬらと光る僕の血で口元を濡らしながら、不敵に笑った。

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