僕と彼女の選択②

「で、その子どーするの?」


 リコが楽しそうに僕の腕にしがみついている少女の顔を覗き込む。少女は一瞬ピクリと体を震わせたが、すぐにリコを見つめ返し、小さく頭を下げた。


「えっと、君、家帰れる?」


 僕は少女に尋ねると、少女はふるふると首を横に振った。


「家はない。いつもホテルか、誰かの家に泊めてもらう」


 ──そんな気はしていた。僕たちにホテルの場所を教えてくれたということは、そういう情報に通じているということだし、それは自分も僕らと同じように、ホテル泊を繰り返しているからじゃないかと、そこまでは想像していた。


「僕は叶斗」


 僕は少女に、名前を告げた。


「それから、こっちが眞弓とリコ」


 僕はそれぞれ、二人を指し示す。リコの方は少女に手を振って挨拶したが、眞弓は機嫌悪そうに鼻を鳴らすだけだった。


「この間はありがとう。泊まるところ探してて、助かったよ」

「いえ、こちらこそ。……私は、ヒメです。サクラギヒメ」


 僕の自己紹介に合わせてか、少女もボソリとヒメ、と名乗ってくれた。


「お兄さんたちも、家出ですか」


 少女は僕を見上げて尋ねる。僕はリコと目を合わせた。リコは自分の顎を動かして、少女との対話を続けるように動かした。当たり前だけれど、この先どう会話をするのか、決めるのは僕だ。僕はふう、と一息ついた後、目の前の少女を見つめ直した。


「そんなところ。だったんだけど、今は知り合いの家を使わせてもらってる」


 無断で、だけど。実際、嘘はついていない。


「恩人の家で、その人の家を探してたんだけどようやく見つけてさ。今は家主が留守で三人」

「はあ」


 つらつらと言葉を重ねる僕に、不審そうな表情で少女は首を傾げる。まずい。嘘はついていないと言っても、色々と隠し事がある中で言葉を連ねたものだから、変に饒舌になってしまった。僕は一度口を閉じた。そして改めて、目の前にいる少女の顔を見た。


 ──お兄さんたちも、家出ですか。


 先程の少女の言葉を、頭の中で反芻した。つまり、少なくともこのサクラギヒメという少女は家出をしている、ということだ。僕と眞弓も、広い意味でいえば家出みたいなものだが、僕らにはずっと、眞弓の両親の口座からくすねた資金も寝床もあった。

 翻ってこの子はどうだろう。いつも、ホテルか誰かの家に泊めてもらっている、と言っていたっけ。もしかして、さっきの男たちのところにも宿泊していて、それで何か揉めたか何かなのかもしれない。……詮索はよそう。リコの言う通り、こんなのを気にしていてもキリがないのかもしれない。けれど、どうしてもこの少女の瞳を見ていると、かつて吸血鬼の魔の手から助けられなかった時の眞弓の顔が頭に浮かぶ。


「ヒメちゃん、だっけ」

「はい」

「行くとこないなら、ウチに来ない?」


 僕はそう口にする。考えてそう言ったのか、それとも思わず口をついて出た言葉なのか、自分でも判別がつかないな、と思った。


「別に他があるならそれで良いんだ。けど、行くところがないなら」

「良いんですか?」


 少女──ヒメちゃんの問いに、僕はコクリコクリと頷いた。


「行くとこが決まるまでの間とかでも良いし、ただ場所を借りるだけでも良いよ」

「それじゃあ……」


 ヒメちゃんも、僕らの顔をそれぞれ見て、小さく首肯した。


「とりあえず飯だ」


 その様子を見て、これまで黙っていた眞弓が声を出した。


「そもそもがその為に外に足を運んだのであろうが。何か食うものを調達せねば」

「三人とも何食べるつもりだったんですか?」


 眞弓の言葉に対して、ヒメちゃんが尋ねた。眞弓はまた黙りこくる。僕は思わず失笑して、代わりに答えた。


「コンビニで適当におにぎりでも食べようかなあ、と」

「……家に食材か何かあります?」

「いや、ないなあ」


 恥ずかしながら、僕も眞弓も、そしておそらくリコも料理の心得はない。カップ麺にお湯を注ぐくらいが関の山だ。


「それなら、お世話になるんだし、私つくります」

「ホント?」


 ヒメちゃんの申し出は、正直助かる。眞弓のこともあり、人の多いところでの食事は避けていたから、ここ最近はコンビニ飯かカップ麺くらいしか食べていなかった。


「じゃあ、頼んだ」

「はい。私も簡単なものしか作れませんが」



🍴


 ヒメちゃんが食事を作ってくれるということで、まずはスーパーに材料を買いに行った。簡単にカレーを作る、と言うので鶏肉と野菜、カレー粉など、カレーを作るのに必要なものは全て買った。米もあるかわからなかったのでそれもだ。

 すっかり眞弓の不規則な吸血衝動は治ってきており、以前のように一日三食、僕が血を与える限り、他の人間を襲うようなことはなくなった。だが、油断は禁物だ。僕は改めて、眞弓の吸血衝動を教えてくれるペンダントを取り出した。今は沈黙しているが、僕と眞弓が離れた時に限って、急な吸血衝動に眞弓が襲われる可能性を捨てきれない。眞弓の様子が以前のように安定してきたというなら、元いた僕と眞弓の家に戻っても良いんじゃないか──なんて、一瞬だけそんなことを考えたけれど、すぐにそんな甘い考えは捨て去った。眞弓の両親を殺したのは誰だ? 僕も窃盗に不法侵入と、罪を重ねている。もしかして、今日で誘拐も含まれるだろうか。


「じゃあ、キッチンお借りしますね」


 買い物を済ませて、ヒメちゃん含めた四人であの人の家に帰った。ヒメちゃんは特に躊躇うことなく僕らと一緒に玄関を潜ると、すぐにそう言った。やはり、他人の家にあがるのには慣れているのだろう。買った食材は僕が持っていたので、案内がてらヒメちゃんとキッチンに向かった。


「好きに使って良いから、何かあったら呼んで。後、何か必要なことあったら言って」


 僕はヒメちゃんにそう言って、一旦眞弓とリコと一緒にリビングでヒメちゃんの料理が出来上がるのを待った。時折、食器の場所を聞かれて「僕もどこかわかんないや」なんて言って探したり、ヒメちゃんが切った野菜をフライパンに移すなど簡単な手伝いをしたりして、ヒメちゃんを見守る。


「どうぞ」


 ヒメちゃんがテキパキと手を動かしているのを見ているうちに、カレーは完成した。


「いただきます」

「いただきます」


 僕の言葉を続けて、声こそ揃いもしなかったが、三人がそれぞれ食事に手を合わせる。


「美味しい」


 久々に食べた手料理は、胸の奥があったまる思いがした。


「美味だ。良い仕事をするな。感謝する」


 眞弓もそれは同じようで、ヒメちゃんの顔を真っ直ぐ見てそう言った。ヒメちゃんはペコリと頭を下げる。


「おいしー! 君の精にも負けてないね」


 リコがそんな危ういことを口にしたのに一瞬ハラハラしたが、カレーを美味しく食べているのは本当のようで、手を休ませることなく食事を進めた。


「ごちそうさま」

「ごちそうさまー! 美味しかった!」

「ふむ、悪くない」


 ヒメちゃんのカレーを四人ともすっかり完食した。


「ありがとう」


 僕は食べ終えた食事だけでなく、改めてヒメちゃんにも手を合わせた。ヒメちゃんは少し恥ずかしげに頭を下げ、その時初めて嬉しそうに笑った表情を見せた。

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