僕と彼女の逃走。
これからどうするか。
眞弓の吸血衝動は、ひとまず収まったようではある。だが、実の両親の血さえ吸い尽くす程の吸血衝動だ。これを今まで通りの生活を続けて、抑え込むことは可能なのか? 眞弓の人格は切り替わったまま戻らない。今後もそうとは言い切れない。眞弓をどこかに隠して、僕が彼女の吸血衝動があればいつでも駆け付けられるようにすべきか。けれど、今回だって駆け付けられなかったその短い間に眞弓は両親の血を吸ってしまった。
考えれば考える程、今まで通りではいられない現実の質感が、心の中で大きくなる。僕は眞弓を見る。今は落ち着いて、無言で地面にへたり込んでいる。
「眞弓」
「なんだ」
僕の呼びかけに、直ぐに返事をした彼女の手を僕は取る。
「眞弓の家に行く」
眞弓はギョッとした顔で僕を見る。
「何故だ」
「これ以上、眞弓に僕以外の血を吸わせない」
眞弓に僕以外の誰かの血を吸わせない。それはあの人とも約束したことだ。けれどその約束は反故になった。だからと言って、もう誰の血を吸っても良いも良いわけじゃない。
──それは僕が許さない。
僕は眞弓と一緒に、彼女の家に向かった。初夏も過ぎ、ぬるく湿った夜風の心地悪さを普段以上に感じた。
「俺は入れない」
眞弓の家の玄関を開けようとしたところで、彼女は歩みを止めた。
「……わかった。待ってて」
僕はそれだけ言うと、玄関の戸を開けた。眞弓の家のことだから、眞弓が着いてきてくれれば心強かったが、彼女の気持ちも察するに余りある。そもそも、今の眞弓の人格がどれくらい家の中のことを把握しているのかも定かじゃないから、着いてきてもらってもあまり意味はなかったかもしれない。
家の中は、電気が消えて真っ暗だった。僕はスマホのライトを頼りにゆっくりと歩く。眞弓の家には何度か来たことはあるから、部屋の構造自体は何となくわかっている。僕はリビングに向かい、目当てのものを探した。
「……ッ!」
目の前に現れたものを見て、僕は思わず声を上げそうになり、口を塞いだ。血の気が引いて、肌が真っ白になった男が、リビングの床に倒れている。
眞弓の父親だ。
母親も同じように、ソファの上で倒れていた。おそらく、母親の血の方から吸ったのだろう。父親の周りには割れたコップや倒れた椅子など、争った跡がある。眞弓に血を吸われ、生気を失っていく様子を父親が目撃し、そのまま眞弓と取っ組み合い、そのまま彼も同じように血を吸われたのだと思う。
倒れた椅子の近くに、スーツが落ちていた。僕はそのスーツを拾い上げる。服の重さだけではない重みを感じ、僕はポケットの中を弄る。
思った通り、財布が入っていた。僕は財布の中身を確認する。一万円札が五枚、五千円札が一枚、数枚の千円札。それにキャッシュカードにクレジットカードまである。
それを見て、心臓の鼓動が高まった。手に汗をかいているせいで、握った財布が湿る。僕はその財布を自分のポケットの中に入れる。眞弓の部屋にも向かい、クローゼットにあった眞弓の鞄を手に取り、上着にシャツに下着まで、服を何着か詰め込む。その間も、耳にはうるさい程に自分自身の心臓の鼓動の音が届いているような気がした。息も荒くなる。けれど、何故だか思考は反対にいつも以上にクリアに感じていて、次に何をした方が良いか考える余裕もあった。
他の部屋の箪笥や収納も漁り、母親の方の財布も見つけた。こちらにも父親のと同じくらいの金が入っている。僕はその財布を父親の財布と一緒に、鞄に移す。あまり荷物を重くしても面倒だ。このくらいで良い。少し悩んで、眞弓の父親のスーツを掴んで着た。僕には少しだけ小さいかったが、ブカブカなのよりはマシだ。
僕はその服装のまま玄関から外に出る。外では眞弓が座って待っていた。
「ごめん。待たせた」
「良いのか」
「大丈夫。行くよ」
僕は眞弓の手を握ろうとして、手が汗でベタベタになっていることを思い出し、急いで自分の服で汗を拭う。そして彼女の服装を確認した。今まで気にしていなかったが、深夜帯という時間。眞弓も、本来なら人格を切り替えることなく眠りにつく筈だったのだろうから当たり前だが、上下共に寝巻きを着ている。
「服持ってきたから、先に着替えよう」
僕はさっき持ってきた服の中から、適当に上下の服を選んで眞弓に渡す。眞弓は何も言うことなく僕の言うことに素直に従い、その場で服を脱ぎ、下着姿になった。僕は慌てて眞弓から目を逸らす。
「ぼ、僕は見張ってるから早く着て」
僕は眞弓に背を向けて、辺りを見回す。深夜の住宅街。今の所、人の気配はない。
「できたぞ」
僕の後ろから、眞弓の声がした。僕はその声に応じて振り返る。問題なく寝巻きから普段着に着替えを済ませていた眞弓を見て、僕はホッとした。
それから僕は眞弓の腕を掴んで歩き出した。
二人で一番近くのコンビニに向かう。眞弓は外に残したまま、さっき拝借した財布の中にあった金を使い、マスクと帽子、それに二人分の夜食を買う。
すぐにコンビニから出て眞弓と合流し、また歩いて別のコンビニに向かった。僕は財布の中からキャッシュカードを取り出す。また心臓が昂る。僕は首を横に何度も振り、深呼吸をしてからコンビニのATMに眞弓の母親のキャッシュカードを入れた。ダメ元で、暗証番号に眞弓の誕生日を打ち込む。
「……やった」
僕は思わずそう小さく口にした。コンビニATMの限度額いっぱい、20万円を引き出せた。父親の方のキャッシュカード暗証番号は、残念ながら正しく入力することができずに使えなかったが、母親の預金残高だけでも300万円あることを確認することができた。
そのコンビニを後にして、また別のコンビニに向かうことを繰り返した。僕はその時知らなかったが、その日の引き出し限度額があるらしく、合計100万円以上の引き出しをしようとしたところで、取引不可のメッセージが表示されてしまい、舌打ちをした。
「駅に行く」
僕は外で待っていた眞弓にそう言うと、また腕を掴んで歩き出す。眞弓の方は、コンビニからコンビニまで歩く途中、もう何も口に出すことをしなくなっていたが、その時には口を開けた。
「こんな時間では駅に行っても意味はなかろう」
「タクシーはあるかもしれないだろ」
僕の読み通り、駅には一台のタクシーが止まっていた。たまたま他の乗客をおろしたところだったようだ。僕はスマホを開き、ペンダントを手に持った。
僕にこのペンダントをくれたあの人に伝えられた連絡先を、スマホのメモにも残してある。
彼のくれた連絡先には宮城県仙台市小仙台とある。僕達の住んでいる千葉からは車で8時間。
「……遠過ぎるか」
直接、メモの場所まで向かえるならそれがベストだが、タクシーに乗っている間に間違いなく眞弓を吸血衝動が襲うだろう。僕は仕方なく、ここから一時間ほど走った場所にあるホテルを調べてタクシーの運転手に伝えた。乗ってからしばらくは警戒していた眞弓だが、流石に疲れが出たのだろう。気付けば吐息を立てて眠りはじめていた。
対する僕は、というと寝るどころか心臓の昂りは止まず、興奮の為に寝るどころではなかった。頭の中がクリアなのは確かだが、衝動に突き動かされてとんでもないことをしているという事実もまた、僕の精神を蝕む。タクシーの運転手が何か話しかけてきたが、なんと言っているのか言葉として耳に入って来ない。これ以上話しかけられるのが嫌で、僕は眞弓の隣で目を閉じて、ただただ目的地に着くのを待った。
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