長い夜

一閃

第1話僕と君の「おやすみ」まで

 君との約束の時間はとっくに過ぎてしまってる。仕事もたてこんでいたし、電車も遅延してた。時間に間に合わないと連絡は入れたが…ホームから階段をかけ降りて急いで改札をぬけた。息をきらして「ごめん」と謝る僕に

「もう、気にしないでいいよ」

 サラサラと雨が降る夜、君は傘をクルクルと傘を回しながら言った。

「わかっているよ」

「何を?」

「最近忙しくしてたからさ」

「だから?」

『気にしないでは気にしてってことだろう?』

「なあに?その含み笑いは」

「明日は晴れるかなって思ってさ」

「答えになってないよ」

「とりあえず、今夜は呑みに行くか」

「だから、答えになってません!」

「そして、帰り道は手をつないで帰ろうか」

「それから?」

 君は小さく笑った。

「そうだなぁ、手をつないだまま寝るか!」

「なにぃ、それ、変なのぉ」

 語尾をのばすのはご機嫌な証拠。仕事終わりの駅前の雑踏の中、僕は君が出した試験問題を解いている。

「今夜は君が眠るまで、僕は眠らないよ」

「どうして?」

「君の寝顔が見たいから」

「私がなかなか眠らなかったら?」

「子守唄でも唄おうかな」

「唄えるの?」

「ブラームスとシューベルト、どっちがいい?」

 君がクスクスと笑った。

「約束ね!」

「ん?」

「私が眠るまで眠らないでね」

「了解」

 君は自分の傘を閉じて僕の傘に入って来た。どうやら合格点はとれたようだ。

「明日、晴れるかなぁ?」

「晴れたらどうする?」

「ん~、明日決めよう!二日酔いにならないようにね」

「二日酔いより寝不足が心配だよ」

「意地悪だなぁ」


 雑踏の中のありふれたふたりだけど、物語を紡ぐのに『特別』なことは要らない。いや…君とこうして並んで歩くことが特別な『奇跡』なのかも…なんてな(笑)


 この街には老舗と言われるJAZZバーがある。歴代のマスターが、歴史をつないでいる。今のマスターはサウスポーでセミプロのピアノマンだ。常連と言えど、口数少なく接客をする。音が主役の店だ。今夜はやわらかなピアノのが流れている。

「なんとなく淋しいピアノね」

「たしか…rainy…」

「rainy nightですよ」

 マスターが助け船を出してくれた。

「こんな夜は雨を感じてみてほしくて」

「感じる?」

 君は興味しんしんだ。

「雨にはいくつもの音があって、季節や時間で香りも違う。それに、人によって体感も違う」

「深い…」

 思わず僕は吹き出しそうになった。「深い」は君が感銘を受けたり、感動した時に使う言葉。

「わかるのか?」

「失礼ね、わかりますよ」

「どう、わかっているの?」

「雨の匂いって言葉もあるし、花の季節の雨とか真夏の夕立とか…違うかなぁって」

「おぉ~」

「音だって降る雨によって違う…オノマトペ…」

「オノマトペ?」

「そう、ザアザアとかシトシトとか」

「なるほど」

「ちゃかしているでしょ」

「いやいや、意外な一面を見た気がした」

「優しい雨もあるし、遣らずの雨なんてのもありますね」とマスターが続けた。僕が

「雨降って地固ま」と言い終わらないうちに

「なんか違うぅ」と君に言われてしまった。

「俳句の季語には色々な雨があるんですよ」

 と、マスターが言うと

「四季があるって、なんか素敵」

 と、君が続けた。

「今夜はなんか違いますね」

「はい、こんな一面もあるんです」

「花が咲いて…雨の時期になって…太陽が主役になって、木枯しが吹いて…雪が降る…」

「すごくない?」

「何が?」

「その花や雨や太陽や雪の季節全部をあなたと過ごしてるって、すごくない?」

 多分、僕の背後のカウターのマスターが笑いをこらえてるのが想像できる。四季がとかオノマトペとか言ってたのに、恋ばな?だけど、今夜は気にしてはいけない。さっき合格点をもらったばかりだ、落第するわけにはいかない。

「そうか、そうだね!」

 少しおおげさに応えてみた。

「そっかぁ、一年って長いような 短いような…」

 何が「そっかぁ」なんだ?もう、マスターが吹き出さないよう祈るばかりだ。

「な、なんか、雨のせいかな…客が僕たちだけって珍しくないですか?」

 話題を変えてみた。

「そうですね。みなさん、こんな雨の夜をどう過ごしているんでしょうかね」

「雨は悲しみにも心の傷みたいなものにも寄り添い、癒し、思い出にしてくれる…不思議ですね」

 マスターはレコードを選びながらつぶやいた。きっと、マスターにも雨にまつわる思い出があるのだろう。聞いてみたいが、上手くはぐらかすのだろうな。

「マスターと話をしするのも久しぶりですね」

「喋りすぎましたかね」

「僕は楽しいですけど」

「雨ねせいにしておきますか」

「雨は人を変えますかね」

 君は、お酒のせいか少し眠たそうにも 見えた。寝不足にならずに済むかな…と思いつつグラスを追加すると

「二日酔いはだめですよ」

 と、君に言われてしまった。

「はいはい、わかっております」

 明日の朝は潔くおきようと心に誓って店を出た。

 

店を出ると雨はやんでいた。「あっ、雨やんでるね。でも、まだ星は見えないや」

 夜空を見上げて君が言った。

「星は見えなくても…あるんだよね」

「そうだよ。あるんだよ、見えないだけで」

「心は?」

「ん?」

「なんか、見えないものが多すぎ」

「例えば?」

「心でしょ…愛とか優しさ?あとは…」

「確かに…。でも伝わるだろ?」

 君の掌を包んだ。

「そっかぁ…伝わるか…詩人ですな」

「マスターだったらそう言うかなって」

「あなたは?」

「ん?」

「伝わってますか?」

「何が?」

「ん~全部」

「全部?」

「私の心とか…」

「心か…」

「あなたの好きなとことか嫌いなとこ…」

「えっ、そういうこと?」

「何が悲しくて、何が嬉しくて…伝わってますか?」

「どうだろ?」

「どうだろって?」

「僕の思いこみだけだったりして」

「思いこみ?」

「僕はわかっているつもりでも、実は見当違いだったりして」

「酔った勢いで答え合わせしてみる?」

「じゃあ、私が一番好きだなあと思ってるところはどこでしょう」

「ん~好きなところかあ、自分では言いにくいよ」

「答え合わせにならないじゃない。さて、どこでしょう」

「ありきたりなところで、優しいところかな」

「惜しい!」

「正解は?」

「誰に接するにも壁がないところ」

「壁?」

「そう。相手が赤ちゃんでもお年寄りでも男でも女でも散歩中の犬でも」

「それって、褒められているのかな」

「好きな人でも苦手な人でも、あなたはストレートにあなたらしくいられる」

「君は違うの?」

「苦手だな…と思うと避けちゃう時もあるかな」

「そっかあ」

「では、あなたになおしてほしいな思ってところはどこでしょう」

「答え合わせしようなんて言わなきゃ良かったよ」

「さあ、どこでしょう」

「ん~せっかく会っているのに、ついつい深酒をして酔ってしまう…かな?」

「わかっているじゃん…それもあるけど…」

「違うの?」

「食べ物の好き嫌いが多いところです」

「スーパー行っても迷っちゃうし、外食する時も店を選ぶのに大変なんだから」

「そっかあ、ひとり暮らしが長いとなかなかね」

「いい歳なんだから言い訳しない!ちゃんと食べて呑んでください。休肝日も作るべし」

「そうだね、気をつけるよ」

「今度は僕の番だ」

「僕が一番好きだなあと思っているところは?」

「ん~意外と料理が上手なところかな」

「はずれ」

「え~頑張っているんだけどな…一番好きなところ…」

「嘘が下手なところ」

「ホントに?」

「気がついていないでしょ?嘘をつく時にでる癖」

「どんな癖?」

「教えないよ、僕の不利になる」

「眉?眉が動くとか?」

「おしえない」

「鼻?…なんか悔しい」

「君になおしてほしいなと思っているところは?」

「色々お願いしちゃうところ?ワガママかな?」

「はずれ」

「えーっ自分のことって難しいね」

「もっと僕を信用して甘えてください」

「甘えてるなって自覚あるよ」

「PC固まった~とか、ゴキが出た~とか?」

「それは仕方ないじゃない。両方苦手なんだもん」

「寝心地の良い場所を探している犬?いや猫かな」

「私が?」

「犬はクルクル動くしな」

「猫?私、ツンデレじゃないと思うけど」

「この辺までなら来ていいよ…今日はここまで来てあげたけど撫でちゃダメよ的な?」

「なにそれぇ、なんか可愛げがないみたい」

「たまには撫でて~ここも撫でて~ってスリスリしてよ」

「ん~しっくりこないです」

「たまにですよ。毎日は嫌だけどね」

「男なんて単純な生き物なんですよ。こうやって手をつなぐのだって実は嬉しかったりして」

「ホントにぃ?なんか今日は良い人になりすぎてませんか?」

「優しい雨のせいですかね」

「雨はやんでますけど」

「じゃあ、酒か!久しぶりにゆっくり呑んだからな」

「お酒ですか…じゃあ、明日には忘れてますね」

「いやいや、忘れませんよ。見えなくても伝わるんだから」

「でも、言葉にしなきゃダメな時もあるか」

「ホントに、ホントにどうしたの?」

「なにが?」

「健康診断で何か引っかかった?告知されたとか?」

「それで、待ち合わせに遅刻したの?」

 僕は思わず吹き出した。

「なんで、そこ行くかな」

「もう!」

 君は歩みをとめた。

「どうした?」

「もしかして…泣いてる?」

「もしかしてじゃない!」

「最近忙しそうだったし、やっと時間がゆっくりとれて…なのに、変なことばかり言って…」

「…ごめん…変なことばかりだったかな?」

「変だよ!見えないものの答え合わせとか、伝わるとか言葉にしなきゃとか、なんか…遠くへ行ってしまう人の思い出作りみたいに…」

「ごめん…ごめんよ」

 僕は君を抱きしめるしかできなかった。でも、言い出したのは君だよ。『見えなくてもあるんだよね』って。言えないけどね。

「お願い」

「ん?」

「お願いだから…どこにも行かないでね」

「うん」

「見えなくても伝わるなんていわないでね」

「うん、約束するよ」

「顔が見たいときも、声を聞きたいときも、触れたいときもあるんだから」

「そうだね、僕もだ」

「おじいちゃんとおばあちゃんになっても手をつなぎたいんだから」

「なんか…古いCMみたいだ」

「古くても、安っぽくてもそれがいいの!」

「わかった…CMみたいにナイスミドルになれるように頑張るよ」

「その、すぐちゃかす癖もなおしてください」

「はい、頑張ります…帰ろうか?」

「うん、明日はきっと晴れるよね」

「晴れたら公園で昼ビールもいいなあ」

「明日は休肝日です」

「はい」

 ふたりで笑った。


 ふたりとも幸せを感じたり、不安を感じたりしているんだ。少しずつでいいから分けあえたらいいね。だから大切なことは時々は言葉にするよ。照れくさくて上手く言えないかもだけど、約束するよ。


 小さな部屋だけど、僕の好きな絵があって、君の好きな椅子があって…ふたりで選んだ物が少しずつ増えているね。君はパジャマを白にするかブルー系にするか迷って、僕は何時間もかけてラグを選んだ。今となってはお気に入りになった白いパジャマを着た君は僕の横でインタビュアーになっている。

「ブラームスは唄わなくていいから話してがしたいな」

「どんな話し?」

「子どもの頃、どんな男の子だった?」

「毎日サッカーしてたかな」

「モテた?」

「ぜんぜん。母親にバレンタインは気をつかうって言われる位モテなかった」

「チョコもらったことないの?」

「今で言う友チョコはもらったよ」

「義理じゃなくて?」

「義理よりワンランクは上でしょう」

「え~そうかなあ」

「バレンタインよりホワイトデーのお返しに気を使いたいわって母親が言ってたなあ」

「君は?チョコ渡したの?」

「買ったり作ったりはしたけど」

「けど?」

「本人には渡せなかった。名前も描かないで机に入れたり」

「朝、机の中に無記名のチョコ…怖いかも」

「そっかあ、やっぱりそうだよね。でも、1個でももらえたら嬉しくない?」

「内心嬉しいかも。友チョコと言われても実は僕のこと…ってドキドキしてたかも」

「そうでしょう!」


 君はシャワーを浴びたせいか、さっきより元気になっている。反対に僕は睡魔に襲われている。『お願いだ…早く寝てください』と思いながらインタビューに答えている。


 ごめん…朝、潔く起きると誓ったけど…僕が先に眠ったことを潔く叱られるにチェンジするよ。

「おやすみなさい」

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