第9話 化物屋敷

 壁にかけている古時計がぼぅうんと音を立て、午後3時を告げる。二人掛けのソファーに腰かけていた純悟は思わず視線を走らせてしまうが、すぐ隣に座る結子はまるで動じることなく、なおも対面に座る“彼”へと問いかけていく。


「つまり、あなたがお父さんから受け継いだお屋敷、そのものが“事故物件”になってしまっている――と?」


 結子の一言で、純悟も視線を戻す。小さな机を挟んで座る“彼”は、ティーカップを静かに持ち上げ、わずかに紅茶を口に含む。整った顔立ちとすらりとしたプロポーションが、彼の身に纏ったスーツと、手にした陶磁器のカップと非常にマッチし、まるで一枚の絵画のような完成した図式を成り立たせている。


 ハーブティーの香りが混じる熱い吐息と共に、二人の“依頼主”である男性・諏訪京志郎は大きくうなずいた。


「おっしゃる通りです。元々は父から授かった遺産として、母と私、使用人たちを交えて暮らしていたのです。しかし、日に日におかしなことが起こり始めましてね……とある“事件”をきっかけに、転居を決めたのです」

「へえ~。使用人だなんて、私たちの暮らしからすればなかなか想像できないですねぇ。けれど、転居を決めるほどですから、よほど大変なことが起こったんですかね?」

「ええ。使用人の一人が、大怪我を負ったのです。誰もいない廊下で、足をずたずたにされて倒れているのを発見しました」


 諏訪がさらりと言ってのけたその一言に、純悟は目を丸くして驚いてしまう。結子は口に手を当てながら「ほお」と唸る。


「そりゃあまた、穏やかじゃない。一体全体、どうしてそんなことに?」

「それが、原因が不明なんです。使用人の女性は一命はとりとめたものの、かなり精神が錯乱した状態でした。その後、傷から発症した感染症により、彼女は亡くなってしまったんです。ですので、本人の口から当時の状況を聞き出すことはできず……」

「なるほど。けれど当然、これはなにかしらの“事件”ってことですよね? 警察は、どんな対応を?」

「もちろん、連日警察の方々がやってきて、調査を続けていました。事件の発生状況からして、十中八九、犯人は屋敷の中の人間だと目星をつけていたのです。ですが奇妙なことに、彼女が襲われた当初は誰も彼もに“アリバイ”がありました。外部から侵入した人間の犯行かとも思ったのですが、屋敷のセキュリティは万全でしたし、事実、セキュリティカメラにもなにも記録は残っていなかったのです」


 聞けば聞くほどに不可解な内容で、純悟までもわずかに前のめりになってしまった。諏訪と同じようにハーブティーを口にすると、爽やかな香りが喉の奥へと浸透し、意識をクリアに研ぎ澄ましてくれる。


 あらかじめ純悟らが調べ上げていた通り、実際に顔を合わせた依頼人・諏訪京志郎は実に気品あふれる人物で、その立ち振る舞いは彼の優雅な人生を体現しているようであった。

 亡くなった父親の資産を受け継ぎ、いくつもの事業を手掛けるいわば“御曹司”で、インターネットで検索すれば、いともたやすくその功績の数々を垣間見ることができる。


 そんな大人物がわざわざこうして自ら出向き、“祓い屋”である二人に会いたいと言い出すとは、彼との依頼を仲介してくれた協力者――一同が話し合いを続ける事務所を貸してくれた、毛塚も驚いていたくらいだ。


「思えば、その事件がすべての始まりでした。それからも様々な“怪現象”が館のなかで起こり、一人、また一人と使用人が辞めていきました。ついには母までも精神を病んでしまい、今では地方の実家で療養中です」

「随分と大変だったんですね。その“怪現象”ってのは、具体的にはどんなことが?」

「物が壊れたり、巨大な“なにか”の影を見た、という声が多かったですね。ただ、私はまだ一度もそういった経験がなく、半信半疑というのが正直なところです。しかし、こうも多くの人間が被害に遭ってしまうと、さすがにあの屋敷に住み続けるわけにもいかず……」


 結子は「なるほど」と口元を押さえていたが、彼女にばかり会話を任せているのも気が引けてしまい、純悟も咄嗟に質問を投げかけた。


「えっと……他に、俺らみたいなの――“祓い屋”とかに、依頼したことはあるんですか? その屋敷の“怪現象”について」

「いいえ。転居してからは何度か、あの屋敷自体を“解体”しようと、業者の方々に相談していたんです。しかし、やはり工事に取り掛かろうとすると、彼らも似たような体験をして、業者側から手を引かれてしまいました」


 問いかけてはみたものの、想像以上の珍妙な答えが返ってきたことで純悟は目を丸くしてしまう。動揺する純悟の目の前で、諏訪は神妙な面持ちのまま深々と頭を下げた。


「お二人の実力は聞き及んでいます。どうか……どうか、お願いします。お代はきっちりとお支払いしますので、どうか私を――いえ、我々を助けてください」


 それは実に力強く、そして切実な一言であった。諏訪はしばらく頭を下げたまま、自身の膝を強く掴んで微動だにしない。

 頼み込んでくる彼の姿を、対面の純悟と結子はしばし黙したまま見つめる他なかった。諏訪が放った言葉の重みが、机一つを挟んだ二人にも痛いほどに伝わってくる。


 そんなやり取りを最後に、依頼人・諏訪は事務所を後にした。純悟たちは彼を見送った後、再びソファーに腰を落とし、改めて今回の一件について議論を交わす。

 ようやく肩の力が抜けた純悟は、ぬるくなったハーブティーで喉を潤し、本音を口にすることができた。


「なんかこう、品性の塊みたいな人だったな。あれがいわゆる、“上流階級”の人間ってやつか」

「まぁ、至る所から“金持ちオーラ”が滲み出てたねぇ。着てたスーツなんかも特注品だろうし、乗ってきた車もバリバリの高級外車。御曹司っていうのは、間違いなさそうだね」

「あんな絵にかいたような富豪、生まれて初めて出会ったよ。しかし、だとしたら随分と運が悪いよな。親から貰った大豪邸が、まさか“事故物件”になっちまうなんてさ」


 依頼人・諏訪の人となりについて談笑する純悟たちだったが、ここでようやく事務所の管理者であり、依頼人との仲介役を担ってくれている毛塚が姿を現す。彼はティーポットと、いくつかの茶菓子を持ってきて、静かに机の上に並べた。


 相変わらず顔の“傷”も相まってとても堅気の人間には見えない風貌なのだが、一方で陶磁器製のティーカップやポットは花柄をあしらった可愛らしいものばかりで、その強烈なギャップに純悟は肩の力が抜けてしまう。


 そもそも、雑居ビルの一角に居を構えたこの事務所自体が、実に小洒落た内装をしている。アンティーク物の家具によって色調も揃えられており、事務所というよりは居心地の良いカフェといった様子だ。


 だが、一方でなぜか毛塚のデスクの背後には「初志貫徹」と書かれた筆文字がでかでかと張られており、その一角だけは明らかにテイストが違う。


 純悟は心のなかで「なんでだよ」と突っ込んでしまうが、目の前の強面にそれを指摘することもできない。ぎこちない笑みを浮かべる純悟だったが、毛塚はすぐそばの椅子に腰を下ろしながら問いかけてきた。


「どうだ。お前たちから見て今回の一件、どう考える?」


 毛塚の射るような強い視線に、純悟も緩み切った帯を締め直す。彼が改めて思考を巡らせていくその隣で、結子は我先にとお茶菓子に手を伸ばし、無遠慮に封を切っていた。


「まぁ、話を聞く限りでは随分な“厄介事”だねぇ。なにせ、今回のターゲットはお金持ちの住まいだった大豪邸――そもそも、物件としての規模が桁違いだわね」

「一応、こちらでも先んじて見取り図を取り寄せてもらったんだが、いやはや、我々が使う住居なんかとは次元が違うようだ」


 言いながら、毛塚はクリアファイルにまとめた資料を純悟たちに手渡してきた。それを受け取り眺める純悟だったが、すぐにその異様さに気付き、声を上げてしまう。


「まじかよ……な、何LDKになるんだ、これ?」


 目を丸くする純悟に続き、結子も資料を覗き込む。そこに記されていた規格外の間取りに、“祓い屋”も「わぁ~お」と声を上げた。


「なるほど、こりゃあまさに異次元だ。三階建てで部屋もわんさかと用意されてらぁ」

「イベントホールだの書斎だの……どこぞのイベント会場みたいな家だな。こんなの、家族で住んでても持て余しそうだぜ」


 諏訪邸の間取りに面食らってしまう二人だったが、毛塚は自身のハーブティーを口にしつつ、冷静に続けた。


「俺の方で色々と裏付けも取ってみたが、諏訪の話している内容に齟齬はなさそうだ。警察もこの一件には長らく介入していたようだが、“怪奇現象”が相手となればお手上げだったのだろう。この屋敷はもう長らく、誰も立ち入らない廃墟同然の扱いとなっているようだ」

「ほぉ~ん。それじゃああのセレブさん、今はこの屋敷を捨てて一人暮らしってところか。まぁ、金はあるもんなぁ」


 結子はクッキーをぼりぼりと頬張りながら、あっけらかんと言ってのける。純悟は視線を隣の結子に移し、真剣なまなざしで問いかけた。


「やっぱりこの屋敷で起きたことも、“穢れ”が関係しているのかな?」

「まぁ、十中八九そうだろうねぇ。世の中、そう偶然ってのは何度も起こるもんじゃあないんだ。ここまで大勢の人間が被害を被ってるとなりゃあ、相当やばいのがこの屋敷に住みついちゃってるんだろうね」

「だよなぁ……けれど、どうしてまたこの屋敷に、そんな“穢れ”が出るようになっちゃったんだろうか? この前の件――あのアパートの場合、部屋で自殺した子の霊が居座っていたわけだろう? 今回も、誰かがこの屋敷で自殺したりしたんだろうか」


 純悟のこの疑問には、毛塚が代わりに応えてくれる。


「いや、それはなさそうだ。過去にこの屋敷で、そういった類の事件が起こったという記録はない」

「なら、一体どうして……それこそ、どこかから“穢れ”ってのが入り込んで、悪さをしているってことなのかな?」


 残念ながら、こういった“人ならざる者”に関するノウハウは、純悟や毛塚のような一般人には分が悪い。二人は示し合わせたかのように、茶菓子をぼりぼりと咀嚼する真っ赤な女性を見つめてしまう。


 二人の視線に気づいたのか、結子は口いっぱいに詰め込んでいたクッキーを、ハーブティーで一気に流し込んだ。「ぷはぁ」と声を上げるその姿は、相変わらず酒かなにかをあおっているようにしか見えない。


「ここから先は、実際に行ってみないと分かんないよねぇ。ただ、話を聞く限りじゃあ、結構凶暴なやつがこの屋敷にいるっぽいからね。今回はいつも以上に、万全の準備をしていかないとだなぁ」


 あっけらかんと言ってのける結子だったが、一方で純悟は彼女の言葉に思わず生唾を飲み込んでしまう。彼はやはり手元の間取り図を見つめ、どこか黙したまま戦慄してしていた。


 かつての一件――アパートで対峙した悪霊・折笠梢もそうだったが、これから挑もうとするこの広い屋敷のなかには、やはり人を脅かす“なにか”がいるのだ。

 人間を襲い、明らかな敵意を持った“なにか”は、今もなお誰も居なくなった広い屋敷を彷徨い続けているのかもしれない。


 そう考えただけで、どこか背筋に薄ら寒いものが伝う。純悟はハーブティーの暖かさを頼りに、気を引き締め直した。


「これは前以上に、大掛かりなことになりそうだな。それこそ、入念に準備しておかないと――」


 言いながら自然と隣を見た純悟だったが、そこにいた結子の横顔に思わず言い澱んでしまう。なぜか結子は視線を手元の図面ではなく、前――どこか遠くへと向け、黙したままなにかを思い詰めているようだった。


 予想外の気迫にたじろいでしまう純悟だったが、恐る恐るその横顔に問いかける。


「なあ、どうしたんだよ? なにか、気になることでも?」

「ああ、いや。さっきの諏訪って人、やっぱりお金持ちだからかな。随分とこう、独特の“オーラ”だったなぁ、って」


 返ってきた内容に純悟はどこか肩透かしを食ってしまう。思わず結子同様に、先程まで事務所で対話をしていた依頼人・諏訪京志郎のことを思い出してしまった。


「まぁ、そうだなぁ。なにせ、生まれた時から筋金入りの金持ちなわけだろう? 俺らとは生きてきた世界が違いすぎるのかもなぁ」


 何気ないトーンで返した純悟だったが、やはり結子は笑み一つ浮かべることはない。彼女のその頑なな態度に、純悟のみならず毛塚もどこか違和感を抱く。


 不穏な空気が流れるなか、結子は「ふぅ」とため息をつき、上体を起こした。彼女はソファーにもたれかかり、なおもどこか神妙な面持ちで告げる。


「ちょっと今回は、いつも以上に慎重にいきたいところだね。毛塚ちゃん、色々と用意してもらいたいんだけど、大丈夫かい?」


 結子の問いかけに、毛塚は「構わんさ」と返す。作戦会議が着実に進むなか、それでも純悟は結子のどこか意味深な言い回しが気になってしまった。


 純悟とて、結子の“祓い屋”としての高い実力は理解している。だが一方で、まだまだ純悟にとって、この世界の裏側に知らない“なにか”が潜んでいるということは事実なのだ。


 今度は一体、何が待っているというのか――純悟は改めて、手元の間取り図を眺め、その途方もない広さにため息をついてしまう。


 誰もがうらやむであろう大豪邸のその奥にいる“なにか”を思うだけで、資料に記された間取り図がただただ不気味に見え、思わず身震いしてしまった。

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