特性と個性とコンビニ

@6624masa

第1話 公園での出会い


「おじさん、無職なの?」

 顔を覆っていた腕をどけると、子供のシルエットがぼんやり見えた。眩しくて表情は見えない。

「ねぇ、無職だからこんなとこで毎日寝てんの?おじさん家ないの?家族いないの?」

 なおもしつこく聞いてくる。しかも声がデカい。起き上がるのが面倒で答える事もなくぼんやりと見つめていたら、「言葉わかんないの?どこの国から来たの?ふほうにゅうこくしゃ?」質問が追加された。

 ウトウトしてんだよ。

 眠たいんだよ。

 公園の草の匂いと、遠くから聞こえる小さな子供の笑い声。布団を叩く音。車が走る音。全てが穏やかな眠気を誘ってくる。

「お風呂に入ってないの?イホウヤクブツとかやってるの?」

 イラッとした気持ちと共にため息が出た。

 なんなんだこいつは。眠いんだよ。寝かせてくれよ。もう少しで夢の世界に行けそうだったんだ。だいたいさっきから、俺は何者にされてんだよ。そんなに酷い見た目してねーぞ。おじさんおじさんって、俺はまだ26だ。

 ため息とともに、仰向けに寝そべっていたベンチから起き上がった。さっさと追い返して、早くまた寝たい。

「…なんか用?」

 座り直したベンチの前には右手にコンビニの袋を持った少年が立っていた。某アニメの電気を放つキャラクターが白いTシャツにプリントされている。

 もう一度ため息をついて、手で顔を擦ってから少年をしっかりみた。小学校高学年くらいだろうか。少し小太りで、ヤンチャそうな顔立ちをしている。一昔前なら、虫取り網持って走り回ってそうなイメージだ。

「だからさ、何でこんなとこで寝てんのって」少年は眉を寄せていた。こっちも多分眉が寄っている。

「おじさん、怪しい者じゃないよ。眠たいから横なってただけ。日本人だし、変なクスリもやってないよ。健全なおじさんだよ。仕事もしているよ」じゃ、と言ってまた横になろうとすると、「仕事してる訳ないじゃん。今まだ朝の10時すぎだよ?バレバレなんだけど」とちょっと腹を立てた様な声が降ってきた。

 バレバレってなんだよ。めんどくせーなコイツ。

「いや、それを言うなら君は学校どうしたの」

 今日は水曜日。祝日でもなければ、他に小学生くらいの子もいる気配はしない。

 周りを見渡しながらそう聞くと、間髪入れずに「は?」と返ってきた。

「だからさ」「今はおじさんの事聞いてるんですー」腰に両手をつけて仁王立ちポーズ。コンビニの袋の中に炭酸飲料のペットボトルが透けて見える。勘弁してくれ。なんでこんなガキにイチャモンつけられてるんだ。

「だからね、俺は怪しい人じゃなくて、ただここで休んでるの。さっきまで働いてたの。もういい?つかれてるから。寝たいから」

 本当に疲れた顔をしていると思う。

 少年は少し黙って「ふーん」と言ったあと、あろう事か俺の隣によいしょっと腰かけた。なんでだよ。どうしてそうなる。

 コンビニの袋から炭酸飲料を出してプシュっと回してから、「あ」と気づいたかのように袋の中をゴソゴソしだした。他にも色々入ってるみたいだ。

「これあげる」少年が取り出したのは、筒状のサクサクした某有名駄菓子だった。

 あげるといわれて差し出されても、どうすれと言うのか。

「あれ、嫌い?明太味。本当は違う味欲しかったのに、ろくなの無かったからこれにしたんだ。おじさんにあげるよ」

 お互いその駄菓子をみながら数秒の沈黙。

 俺はしょうがなく「おう」と言って受け取った。

 少年はベンチに腰掛けて、炭酸飲料を半分くらい一気に流し込んだ。

「くわぁー!効きますなぁ!たまんねぇ!」と首を捻って呟いた。中年オヤジの乾杯の一杯かよ。お前の方がよっぽどおじさんだわ。

 俺は貰った駄菓子の袋をなんとなく指でこすりながら少年の顔を横から見た。思ったより日焼けはしていない。鼻の頭と右頬にホクロが二つあった。

 少年は炭酸飲料のキャップを閉めると、黙って前を向いて、脚を大きくブラブラさせている。

 変わった子だな、とも思ったが、まぁいっか。という気持ちにもなってきた。たまにはこういうのも新鮮かもしれない。毎日の様に来るこの場所も、他人と会話することなんぞ無い。いつも一人で来て一人で帰っていく。たまにはいいか。なんとなく俺も隣でボーっと前を見つめた。

 草笛公園。住宅地に囲まれた場所にあり、そこそこ大きい。真ん中を斜めに横断する、人口の小さな川があり、最後は2メートル程の滝になっている。夏場はそこで子供達が水遊びをしていて、キャッキャキャッキャと笑い声が聴こえる。公園全体が小高い丘のような作りになっており、今座っているベンチからは公園全体の半分くらいが見渡せる。

 ベビーカーを押して芝生の上を散歩する人。幼稚園の遠足らしき集団もいた。

「うわ!あの人タバコ吸ってる!超迷惑!」

「指をさすな指を。あとお前声でかい」

 少年がいきなり立ち上がって叫び出したから、膝の上に置いてあったコンビニの袋が地面に落ちた。数種類の駄菓子が地面に散らばる。

「公園でタバコ吸ったらダメなんだよ。知らないの?」

「人に指差してデカい声出すのもどうかと思うぞ。とりあえず拾えや」そう言ってる間に俺が拾う羽目になった。

「お前本当今日学校どうしたんだよ。サボり?」

 隣にまた腰を下ろして、少年は質問を無視してまた炭酸飲料をゴクゴク飲んだ。

「はーん、わかった。不登校ってやつだろ」

「ちげーし」素早い返事が返ってきた。

「じゃあなんだよ」

「なんでもいいじゃん。ってかお前とか呼ぶのやめてくんない?失礼だよ?」文句言うにもいちいち声がデカい。

「じゃあ、おじさん呼びもやめてくんない?俺まだ20代のオニイサンですから」

「マジかよ。老け顔かよ」

 よっぽど失礼なガキだな。

「ゆいと。AB型。10歳。小学生。あ、4年。好きなもの危険生物」

 いきなり身体をこっちに向けて真面目な顔で言うもんだから笑ってしまう。

「なるほどな。俺はハルマ。晴れるに馬で晴馬。そこのさ、クリーニング屋曲がって真っ直ぐ行ったとこにコンビニあるだろ。そこで働いてる。今は仕事終わってここに寝にきたところで、危険生物好きの小学生に睡眠を妨害されてる」

「マジかよ」本当に働いてたんだ、と何故か驚いている。

「おじ……晴馬さん?さ、毎日このベンチで昼過ぎまで寝てねぇ?だから絶対無職だと思ってた」

「毎日じゃねーよ。シフト入ってる日だけな。まあ、週5、6くらいだな。ほぼ毎日ちゃあ毎日か。でもここ来んのは天気いい日限定だぞ」

「へぇー。朝仕事終わるんだ。そこのコンビニってさぁ、有名なとこでしょ?この前テレビでみた!」

「まあな。夜から朝まで働いてる。脚パンパン」片脚を少し持ち上げてふくらはぎを叩いて、「けっこうキツイぞ」と言ってやる。

「何で家帰んないの?やっぱ家ないの?」

小さな四角いチョコの包み紙をペリペリ剥がしつつ聞いてくる。なんとなく俺も貰った駄菓子の袋を破って、筒状の中身を口に入れた。旨い。何年ぶりに食べたな。いや、10年以上ぶりかもしれない。

「やっぱってなんだよ。俺はちゃんと働いて、近くでアパート借りてるよ。おま……ゆいとは、あそこの、ほら、あー、そうだ、桜小か?」

「西桜小ね。そうだよ」

「じゃあそこのすぐ近くだわ。俺住んでんの。公文の教室とかある付近」

「マジで!オレの友達そこの公文通ってる!」急に興奮した様子で「へー!あそこら辺ね」とか呟いている。

 駄菓子のせいで口の中がパサパサになってしまった。「ちょっと水飲んでくる」と断って、水飲み場に向かった。歩きながら、それにしてもこの歳になって小学生とこんなに話すのなんて初めてだな、と思う。小学生どころか、バイトで深夜シフト入れてる大学生くらいのヤツくらいしか碌に歳下と話す機会はない。

 水飲み場に行くと、砂遊びをしているヨチヨチ歩きの子と母親がいた。水道から赤い小さなバケツに水を垂らして、中に入っている砂を子供が一生懸命にかき混ぜている。

「ちょっとごめんね」と言って、水道とは別に上に付いている噴き出るタイプの詮をひねる。チョロチョロと出てきたところを口に含んだ。

 飲みながらも、視界にはさっきまでいた母親が子供の手を引っ張って離れて行くのが見えた。子供はまだ水道で遊びたいらしく、こっちを見てなんか言っている。

 水を飲み終えて顔をあげると、ついに泣き出した子供を母親が抱っこして川の方に歩いていた。

 怪しい者じゃないよ、と心の中で呟いてみる。

 確かに、ゆいとの言う通りかも知れないな。昼間から公園に私服姿の若い男が1人でいたら不審に思うか。

 この草笛公園は広さもあり、ベンチの数も多い。平日の昼間でも、川か遊具がある辺り以外は殆どのベンチが空いている。公園の高まった中心には沢山木が植えられており、ベンチで寝っ転がっていようが余り目立たない。だからお気に入りだったのだが。危険生物好きの小学生にしっかり目撃されていたらしい。

『毎日このベンチで昼過ぎまで寝てねぇ?』

 不登校じゃないって言ってたわりに、毎日見てんじゃねえか。

 口の周りを腕で拭きながら元いたベンチに歩いて行くと、ゆいとが身体を前後にゆらしながら座っているのが見えた。歌でも歌ってんのかよ。

 近づくと、ゆうとは歌ではなく駄菓子を食べながらベンチで揺れていた。

 ギターを持ったヤンキーの絵がついてる、ちょっとピリ辛なやつ。あ、これ俺もよく遠足持って行ったなあと懐かしくなる。

「晴馬さんって運動オンチ?」

 隣に腰を下ろすといきなり聞いてきた。

「あのな、運動得意?だろーがよ。聞くならさ。なんでオンチ前提なんだよ」

 確かに!とゆいとは笑った。

「跳び箱とかマラソンとかさ、そんなの」

「うーん、中学までは得意な方だったぞ。わりかしスポーツは何でもそこそこできたな。でも今はもうダメだろうなぁ。体力ないわ。ってかもうずっと運動なんてしてないからわからん」

 ゆいとは「ふーん」と言って、手に持っていた炭酸飲料のペットボトルを両手で上下に振りはじめた。残り2センチくらいになったジュースが中で飛び跳ねる。シャカシャカシャカシャカ。ああそういや修学旅行で手作りバター体験したなあと思い出す。

「オレ全然ダメダメ。跳び箱跳べないもん。逆上がりとかあれってできるの天才じゃね?重量に反してるじゃん」

「ゆいとくんって運動オンチ?」わざとさっきのセリフを言い返す。

「違うって。できるのが異常なの。人間の動きじゃないってあんなの。なんでできんのかマジ謎」

「俺は炭酸飲料いきなり振り始める小学生の方が謎」

確かに!とまたケタケタ笑う。

 振っていた炭酸飲料のキャップを開けると、控えめなプシュッと音がした。

 ゆいとはそれを一気に飲んだ。

「いや、飲むんかい」というツッコミを頭の中だけでする。

「オレ本当ダメ。なんもできない。確かに危険生物とかは詳しいよ?それは勝負できるよ?でもさ、体育めっちゃできないし、国語とか算数もできないし。あ、理科と社会も」

「だから学校休んでんの?」

「違う」怒ったような返事。

「別に学校休んでる……けど、ほんとそれは最近だし。好きで休んでる訳じゃない」

「休みたくないけど、学校行こうと思うと身体の調子が悪くなるとか?」雑誌だったか、テレビだったかで、そういうのを観た事がある。学校に行こうと思うのに、本当に朝になると身体に不調が起こるというやつ。腹痛だったり吐き気だったり、症状は様々だが、一日中は続かない。数時間経つとケロリと治る。そしてまた朝がくると調子が悪くなる。周りの大人からしてみれば、まるで仮病にしか見えなくて本人を責めてしまう事もある。

 実は晴馬も一時期似たような経験をした。それは学校そのものではなく、ある教科限定だったが。

 ゆいとはこれも「そんなんじゃない」と強く否定した。

「違くて。」

 少し黙ったあと、ゆいとは立ち上がってベンチの前に落ちていた小石を拾った。何をするのかと見ていると、30センチくらい先の土をその小石で掘り始めた。

「学校行く行かないとか、そういうのじゃなくてさ、なんていうか、オレ本当バカなの。うん。やっぱ運動オンチだし、バカ。ウンチでバカ。バカでかいウンチ」

「どうした急に」

 目線は土を掘る手元に固定したまま、ゆいとは呟くように続けた。

「いや別にたいした事じゃないんだけどさ。皆んななんであんな意味不明な事できんのかなって」

「跳び箱とか鉄棒?」

「いや全部。全部。運動も勉強も給食も遊びも寝るのも歩くのも喋るのも」

「なんだそれ。お前ちゃんと今喋って歩いてんだろ。菓子もバクバク食ってるし、寝れねーの?」なんならわざわざここに来て寝れてないの俺だけど、とちょっと思う。

「そういうんじゃないんだよ。あとお前って失礼」

 ゆいとは土を掘る小石に強さと速さを足した。ガリガリガリガリとひたすら掘る。途中土の中の埋まっている小石も指を使ってほじくり出す。

「なんていうかさ、周りのクラスの子とかが地球にいるのに、オレだけスッゲー揺れるしうるさいし色々邪魔してくるモンスターいるさ、ひっでー環境の星にいる感じ。言葉も、地球のやつらにうまく伝わらなくてさ。地球語喋ってるはずなのに。オレだけ住んでる星違うみたいな」

 削っているうちに使ってた小石が割れたのか、ゆいとはそれを放り投げた。周りを見渡して、ちょうどベンチの俺の座っている下辺りに何かあったらしい。しゃがんだまま手をのばす。俺は両足を上げてゆいとが何か取るのを待った。バイト疲れが残った太ももかプルプルする。

 起き上がったゆうとの手には、最初の小石より一回り大きい石があった。

 またさっきの場所に戻って掘り始める。

「だからさ、何が言いたいかって言うとさ。うーん。不公平?オレだけ、なんか、皆んなと違う世界にいるみたいな。でもそれって、悪い事で、ダメな事で、ビョーキ?ショウガイ?でさ、周りに迷惑かけるんだ」

「……病気や障害は悪い事でもダメな事でもないだろ」

 そう言うと、ゆいとはガバッと顔を上げて俺を見た。

「でたでた。コセイとかトクセイとかってやつでしょ。皆んな違って皆んないいって。逢坂先生もよく言うんだよね。ゆいと君はゆいと君にしかない良いところがあるから、今のままのゆいと君もとっても素敵だよ。まずはありのままの自分を好きになろうって」

「担任か?」

「逢坂先生?ううん。スクールカウンセラーの先生」

「いい事言うな。美人か?」

 ゆいとはケラケラ笑いながら、「めっちゃ美人!なんならそこら辺のアイドルより可愛い!」と親指を立ててみせた。美人で可愛いのか。そうか。

「でもさぁ」顔をこちらに向けたまま、ゆいとは空に視線を上げた。遠くからヘリコプターのような音がする。立ち上がって今度は360°空を見渡す。

「でもさぁ、じゃあなんでオレは病院から貰った薬を毎日飲んで、それでも毎日めっちゃ叱られて、クラスでもバカにされて、キモがられて、父さんと母さんはオレの事で喧嘩すんだろう」

 バラバラバラバラと、音はするのになかなか姿を現さない。

「母さん、働いてないからいつも家にいるんだけどさ、俺がいるとイライラすんだって。今月の始めくらいにさ、担任と大喧嘩して、あんな学校行くなって言ったの母さんなのに。一日中お前といるのは辛いって。仕事辞めたのもオレのせいって言ってた」

 ヘリコプターはちょうど太陽の方向からやってきた。

 ゆいとはベンチに転がっていた空のペットボトルを目に当てて、ヘリコプターの方角を覗きこんだ。

「それ、見えなくないか?あと、目に悪いと思うぞ」

「うーん」

 もうかなり近くを飛んでいる。

「虫眼鏡みたくデッカく見えるかなって」笑いながらペットボトルを下げて、肉眼でヘリコプターを追った。

「乗りてーー!!未確認生物見てえー!!」ゆいとが思いっきり叫ぶと、少し離れたところにいた犬を散歩中のおばさんがギョッとした風に振り返った。

 ふむ。と思った俺は、「オニイサンは逢坂先生に会いてー!」便乗して叫んでみた。散歩中のおばさんは犬を引っ張るように離れて行った。やっぱり、平日昼間から私服で公園にいる若い男は怪しいヤツかもしれない。

「あのな」ヘリコプターが小さくなってから、話しかけた。自分の隣を軽く叩くと、ゆいとはストンと座った。手についた土を上着やズボンで擦っている。

「おま……ゆいとの状況はよくわかんないんだけど、ちょっと自分と似てるのかなって思う部分もあって。話してみていいか?」

 うん、小さな頭が頷いた。

「ゆいとはさ、ゲームする?」

「ゲーム?Switchとかの?」

「そう。アクションとかRPGとかアドベンチャーとかさ、色々あるだろ」

「RPGめちゃくちゃ好き!誕生日は絶対新しいのダウンロードしてもらう!」

 そうか。今の小学生はプレゼントもダウンロードか。

「なら丁度いいや。俺はさ、人生なんて例えばRPGみたいもんだと思うわけ。まぁこれ、お世話になってる人からの受け売りなんだけどさ」

「ドラゴンストーリーとかミルポの冒険みたいな?」

「そー。あんなやつ。しんどい時に考えんの。辛い事が無くて、どの敵にも最初から最後まで無双して終わる主人公っているか?いないよな」

「なんか子供騙しな事言って励まそうとしてる?別にそうゆうの期待した訳じゃないから」このガキ生意気にも苦笑いをしている。

 俺は空の細長い駄菓子の袋をゆいとの頭に軽く当てて続けた。

「我の話しをしかと聞くのじゃ。よいな」

 ゆいとは笑いながら「かしこまりまくりました!」と親指を立ててみせた。不遜なヤツめ。

 俺は駄菓子の袋を下ろして、なんとなく端から折り始めた。

「俺もな、他人ができるのに自分は出来ない事いっぱいあってだな。仲良い友達でも、悪気がない一言に傷ついたりさ。学生時代ね。でもそういうのは別にいいんだよな。きっとお互い様よ。完璧な人間なんていないもんな。たださ、世の中には……世の中には、明確に悪意を持って、バカにしたり陰湿な事言ってくるヤツっているのよな。どうやったら相手が1番傷つくか考えてさ」

 小さく端から三角に折り続けると、5回で長方形の袋は小さな三角形になった。また広げて皺をのばす。

「あれはさ、RPGで言う、敵、モンスターなのよ。例えばさ、俺の今日のシフトは朝8時半に終わりだったんだけど、水曜は7時にゴブリンBBA1が午前のパートに来るわけ」

「BBA1?」

「ババア1ってこと」

 ゆいとは腹を抱えて笑った。

「でな?そのゴブリンBBA1は、俺がどうしても出来ない業務を知っていて、それを俺があがるまでの時間、隙を見つけてはネチネチ攻撃してくるんだな。毎週だぜ?よく飽きないよな。あれはゴブリンの唾液毒粘着攻撃だと思ってる」

「ギャーーー!」とゆいとが叫ぶ。

「ババアゴブリンのネチョネチョ攻撃!けっこうダメージくる?」

 俺は鼻を鳴らした。

「全く効かないね。だって相手はザコキャラだぜ?ザコ相手にしても無駄よ。俺はもうレベルけっこう高いからね、大事なHPはボスキャラにとっておくからね。あー、今週もゴブリンBBA1元気だなーって思うくらい」

「BBA1って事は他にもいるの?」

「ゴブリンBBAはあのコンビニに少なくとも3体いる」

 「ひぇー!暗黒コンビニじゃんか!」とゆいとは両手を頬に当てた。ちなみにゴブリンBBA1とゴブリンBBA3はめちゃくちゃ仲が悪くて、決して同じシフトに入らないらしい。という多分俺の人生の中でトップレベルにどうでもいい情報を、先日ゴブリンBBA2から聞いた。

「うん。だかな、ゴブリン使いの店長はな、多分ジョブが賢者とかでさ、めちゃくちゃいい人なんだ。一緒に働く若い子達も、皆んないい子だぞ。だから俺はあの魔界でも頑張れる」

 実際店長は色白で白髪の混じった髪を肩ぐらいまで伸ばし、それがまた似合っている独特な雰囲気の人だ。話し方も時々呪文を唱えている様にも聞こえる。結婚指輪の他にも大きめの指輪をつけていて、それまた様になっている。パーティーを組んで店長をどれかのジョブにするとしたら、絶対賢者が似合う。

 ゆいとから賢者ってゴブリン使いなの!?と真っ当な質問がくるが無視をする。

「ゲームの冒険ってさ、だいたい主人公はちょうどゆいとくらいの年頃から15歳くらいで旅に出る事多くないか?リアル人生世界もさ、俺はそうなんじゃないかなって思ってる」

「それまで、子供なりに辛い事や悲しい事やもちろん嬉しい事もいっぱいあってさ。でも自分の力じゃ抜け出せない事ばかりだろ?でもやっと、自分が自分の人生の主人公になって、自分の意志で自分の未来を見つめて旅に出ていくのが、そのくらいの年齢なのかなって」

 ゆいとが「でもさでもさ!」と口を挟んだ。

「ゲームの世界はそうかもしんないけど、現実なんてオレはただの小4だよ?旅になんて出れないし、お金だってないし、小4なのに学校の準備すらちゃんとできなくてさ、忘れ物ばっかして、授業中もデカい声出しちゃうし、わかってるんだけど、自分でもどうにかしてるって思うんだけど」

 だんだん声が尻すぼみになってゆく。ベンチからのびた脚が、まるで見えない何かを蹴るようにブンブン揺れている。

 俺は演技っぽさ最大にして、フハハハハと低い声で笑った。

「旅はな、気付いた時にはもう始まっているんだよ。ゆいと。君はもう毎日冒険してるんだよ」

「……え、なにそのクサイセリフ。これってもしや噂のチューニビョーってやつ?」

 俺は迷わず見えない短剣で隣の旅人を刺した。旅人の服についている電気を放つモンスターの顔めがけて。

 ぎゃー!オレ刺されたー!と旅人は嬉しそうだ。

「まぁ聞けよ。この世界にはな、色んなモンスターがいる。あと、回復ポイントも魔法も呪いだってある。もしかしたら、ゆいとの身近な人も、たまに呪われているのかもしれない」

「身近な人?」

「さっき言ってたろ。クラスの友達とか、父さん母さんとか。ゆいとがキツく感じる時は、もしかしたら相手が呪われてるのかもしれない。呪われて、自分の事でいっぱいいっぱいで、ゆいとの気持ちを考えれなくなっている事もあるのかもしれない」

 ゲームだったら、呪いが解けない時どうする?と俺はゆいとに聞いた。

 少し考えて、「解ける方法を探す?アイテムとか?」

「もっと具体的にはどうする?これからどうしていいかわかんないって時」

「ググる?」

 サクッとでてきたゆいとのその答えに、俺は20MPくらい削られた。

「うん。まぁ、あのな、それもいいかもしれない。でもな、ググれる事と、ググったってわかんない事だってあるだろ?」

 例えば?と今時の旅人は心底不思議そうに聞いてくる。

「知らねーよ!後でググっとけ」と言いたくなるところをグッと抑えて、「いずれわかる」と威厳を感じさせる口調を心がけて答えた。

「ゲームだとさ、情報はどういうとこからどうやって知る?例えば、初めて行った村とかさ」

「うーん。あ!村人!人と話す!」

「正解。周りの村人にどんどん話しかけるだろ?もう、片っ端から。自分の周りにいるのは親切な村人だと思って、相手が飯食ってようが、畑耕してようが、娘がドラゴンに攫われて落ち込む親だろうが、関係ないだろ。ゆいとが辛くて、どうしていいかわかんなくなったら、まずは周りに話しかけるんだよ。どうしたらいいと思う?って片っ端から聞いてみろ。学校の先生でも、信用できる友達の親御さんでもいい」

「でも、迷惑がられたら?クラスメイトは、オレが話しかけると無視したり嫌な顔する子もいるよ」

「お前さ、ゲームの中の村人に話しかけて、「うるさいんじゃ!今忙しいんじゃ!」って言われたら凹むか?返答が「……」だったら凹むか?」

「うーん、凹まないね。大事な情報は持ってないキャラだから、次にいく」

「だろ?そんなヤツら全部どうでもいいザコよ。自分にとって大事な情報を持ってたり、力になってくれるキャラは絶対どっかにいるから。今だって、ゆいとは俺に話しかけてくれたろ?だから、こうして話して、なんも知らなかった人同士が、熱く語り合ってんじゃねーか。意地悪な態度とってくるザコキャラなんて、こっちから無視だ無視」

 ゆいとは空のペットボトルを自分の太ももにペチペチ当てながら、「うん。ベンチで寝てた無職っぽいおじさんが、こんなに熱い人だとは思わなかったよ」と笑った。

 俺もなんで初対面の小学生に偉そうな事ツラツラ言ってるんだ。ほんと。

「晴馬さんはさ、なんで仕事終わった後ここ来るの?」

 自分の太ももに当てていたペットボトルを、今度はベンチの端に当てて、小太鼓みたいにバウンドさせて音を出した。

 そうだなぁ、と少し考える。

「1番はさ、バイトと家の往復だけだと、なんか息詰まりそうになるんだよね」

 バイトしてる間はいい。終わって、静まり返った狭いワンルームに帰る。シャワーを浴びてスマホでネットニュース観ながらカップ麺を食べる。明るい日差しをカーテンでシャットアウトして、布団に潜り込んで、また夜のシフトが始まる時間に合わせて起きる。

 その繰り返しは、知らぬ間に心の中をカビさせていった。最初の一年が経って、このままじゃ自分が中から壊れるなと思った。

「でも金もないしさ、試しにバイト帰り昼間の公園寄ってこのベンチで昼寝してみたのよ。そしたらまぁ、なんつーか」

「なんつーか?」

「太陽の光。鳥の囀り。川のせせらぎ。子供達の無垢な笑い声。俺のハートが、元の美しい姿に戻ってく感じがしたんだな」

 俺はキリリとした笑顔をゆいとに向けた。

「……なんか子供達の無垢なって部分が、1番危ないっぽい人に聞こえる」

 失礼なヤツ。

「でも休みの日は、自分で飯作ったり、ゲームしたり、洗濯したり、色々やってるぞ」

「とりあえずいつも1人なんだね」

 ゆいと、それが「悪気の無い一言」ってやつだ。


 公園の入り口から、さっき水飲み場にいた親子が出ていくのが見えた。ベビーカーの横で、赤い小さなバケツが揺れている。

 腕時計を見ると正午を過ぎていた。これから帰っても、シャワーに飯に、5時間寝れるかどうか。

「やべ。俺もう帰るな」

「今夜もバイト?」

「ああ。先週から他のバイトに体調不良がでて、今夜で6連勤」

 金を稼ぐって辛いんだぜ〜。じゃあまたな!そう言って入り口に向かおうとした時、ゆいとに呼び止められた。

「あのさ、せっかくだしLINEとか交換しない?スマホくらい持ってんでしょ?オレ、家に忘れてきててさ。晴馬さんのある?」

 あー。といいつつ、ズボンのポケットからスマホを取り出す。

 やっぱり。

「ごめん、俺のスマホバッテリーやばくてさ。バイト行く前にフル充電しても、大抵この時間には死んでんの」

 ゆいとに黒い画面を見せた。

「マジかよー。あ、じゃあさ、レシートの裏とかでいいからさ、晴馬さんの連絡先書いてよ。オレ、書くやつもあるよ」そう言ってゆいとは買い物袋から財布を取り出した。レシートと出てきた小さな鉛筆。よく競馬場の馬券コーナーとかにある、プラスチックの持ち手に鉛筆の芯がくっついた代物だ。そんなもんなんで財布に入ってんだよ。

「あ、えーと、ゆいとごめん!」渡される寸前に俺は後ずさっていた。

「晴れた日はさ、多分またここで寝てるから!声かけて!」またな!とゆいとに背を向けて走り出した。

 ゆいとが何が言った気がする。でも挙動不審すぎる自分が気まずくて、公園を出るまで振り返らなかった。道路に出て振り返ると、丘の上にゆいとの姿はもう無かった。

 

「何やってんだ俺」


 アパートに向かって歩きながら、深いため息と共に呟いた。

 

 

 

 

 

 


 

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