扉の中の聖女

@6624masa

第1話

 村の家から少し歩いた場所にある丘には色とりどりの花が咲いていた。アリスが色々な場所から少しずつ植えた。黄色い花びらに赤いオシベのブルダナス。太陽に向けて白から赤へグラデーションの花びらが特徴的なサマナ。その中でも青い小さな花が沢山集まって咲くアリカヤがアリスの1番のお気に入りだ。丘から下を見渡すと、近くを流れる小川、畑を耕したり家畜を放牧させる大人たちの姿が小さく見える。まさに平和そのもの。アリスの愛する景色がそこに広がっていた。

「ねぇ帰ろうよー。疲れた足痛いお腹減った」

 リナがアリスの袖を引っ張った。

「もうちょっとだけ。あと少ししたら、ロンおじさんが鷹を飛ばすのを見れるよ」

「本当!?ラディ坊元気になったの?」

「うん。今日から午前の畑仕事が終わったら少しずつ訓練してくって言ってた」

 アリスはエプロンのポケットから小さい巾着を出して中身を一つリナに渡した。ヤギの乳を煮詰めて乾燥させたものだ。口の中で少しずつ溶かすとほんのり甘くて美味しい。リナは嬉しそうに頬張ると、近くの石に座って鼻歌を歌い始めた。

 アリスの村は通称丘の村と呼ばれている。今立っている丘が名前の由来だ。人口150人程度の小さな村だが、肥えた土と村の横を流れる澄んだ小川が十分な作物を与えてくれる。

 リナはアリスの3つ歳下の8歳。家が隣同士だから姉妹の様な関係だ。寝る時もリナはアリスの家に来て一緒に寝る事が多い。リナのお母さんは4年前流行病で亡くなってしまい、口数は少ないが真面目で優しいハルトおじさんが1人で育てている。アリスも一人っ子だからリナが甘えてくるのは妹みたいで可愛いかった。

「アリスみたいなフワフワの髪の毛だったら良かったなー」

 モゴモゴ口を動かしながらリナが言った。

「色はそっくりなのに、アリスだけフワフワしてて綺麗でズルい」

「私はリナの真っ直ぐサラサラした髪の毛羨ましいけどな。櫛でとかす時だって引っかからないし朝だって私みたいに爆発してないじゃない」

 爆発って、とリナがケラケラ笑った。

 リナとアリスは2人とも金色の髪をしている。リナは腰くらいまで伸ばし、アリスは肩の少し上で切り揃えている。村には金色の髪が1番多いし特別な事だとは思わなかったけれど、村にたまにくる行商人にはよく驚かれる。「こんな見事な金髪、首都でもなかなか見ないよ。しかしまぁ、別嬪さんが多い事だ。この村のご先祖には聖女様と近い血が流れていたのかねえ」と。すると決まって84歳のブリアナ婆が、「実は私が聖女様なんだよ!」と冗談を言って周りを笑わせた。

「あ!見て!アリスあそこ!」

 リナが嬉しそうに指差した。

 遠くに、ロンおじさんが腕に鷹のラディ坊を乗せて歩いている。

「ラディ坊、本当に元気になったんだ」

「リナはずっと心配していたもんね」

「だって、あんなに血が出てたから死んじゃうと思ったんだもん」

 ラディ坊は1ヶ月前、訓練中に他の鷹と喧嘩になって怪我を負ってしまった。ロンおじさんが血を流すラディ坊を抱えて村に戻ってきた時、1番最初にその姿を見たのがリナとアリスだった。ロンおじさんの服はラディ坊の血で濡れていて、ぐったりとおじさんの腕の中で動かない姿はアリスも死んでしまったのかと思った。リナはアリスにしがみついてラディ坊ラディ坊と泣き続けた。

 ロンおじさんが勢いよく腕を振り上げてラディ坊が空に舞い上がった。あっという間に高く上がって、円を描くように大きく何度も回る。

「ラディ坊ー!!」

 リナが口に両手を添えて叫んだ。

 ロンおじさんが気づいて手を振ってくれたので、リナとアリスも大きく手を振った。

 青空を悠々と飛ぶラディ坊は物凄く格好良かった。

 

「ただいま!」

 家に帰ると母さんがお昼ご飯のスープを作っていた。

 アリスは持っていた籠をテーブルの上に置いた。

「マールの実とキノコが取れたよ」

「あら凄い。夜ご飯はバター炒めにしましょうか」

「やった!お肉も入れる?」

「そうね、父さんが昨日森でウサギを捕まえてきてくれたからそれを使うわね。アリスもお手伝いしてくれる?」

「もちろん!リナのお家にも持って行く?」

「そうしましょ。あとでハルトさんに伝えてらっしゃい」

「はーい」

 母さんが木のお椀にスープを注ぐ。アリスは小走りで玄関のドアを開けると「父さんご飯だよ!」と大きな声で呼んだ。

 家の前の畑で土を耕していた父さんが片手をあげて応えた。

「日々の糧を恵んで下さる天に座す神と、我らの声を神に伝えて下さる聖女様に感謝致します」

 頭を俯けて父さんの挨拶を聞く。

「いただきます!」

 アリスは早々にスプーンを持ってスープを口に運んだ。畑で採れた野菜がふんだんに入ったミルクのスープは、空腹のお腹に優しく染み込んでいく。母さんとアリスで数日前に焼いたパンは、少し硬くなっていたがそれがまた口の中のスープと合った。

「アリスは本当に美味しそうに食べるな」

 父さんが笑いながらアリスを見て言った。

「賜りの儀式まであと4日だなんて信じられないわ」

「そうだなあ。早いもんだ。ついこの前リナちゃんくらいの背丈だった気がするぞ」

「もう来年くらいには私抜かされちゃうわ」

 リナは同年代の子と比べても背が高い。今はギリギリ母さんより少し低いぐらいだ。母さんのような膨よかなバストにはまだ程遠いが。

「アリス、ワンピースがだいぶ仕上がってきたの。後で一度着てみてくれない?」

「本当!?嬉しい!花の刺繍も入れてくれたんでしょ?」

「もちろんよ。襟元と袖にあなたの好きなアリカヤの花を沢山刺繍したわ」

「ありがとう!」

「賜りの儀式で着るワンピースはいつか結婚式でも手直しして着るの。だから儀式で走ったり転んだりして破らないようにね」

 母さんの言葉に父さんが「アリスならやりかねないな」と笑った。

 賜りの儀式。この国に産まれた女の子は、12歳の誕生日に神殿で神様の像に祈りを捧げる。儀式の間は常に1人で、誰かが付き添う事は禁止されている。伝説ではその儀式で神様から聖女に選ばれると色々な力を賜り、国を守り繁栄させると言われている。だがもう400年以上聖女は選ばれていない。アリスにとってはそんなに長く居なくても国は続いているんだから、聖女様なんていなくていいのではないかと思ったりもする。でも儀式の日は村から1番近くにある大きな街に行けるし、母さんが作ってくれた真っ白いワンピースを着るのも楽しみだ。

「ねえ、街でリナに何かお土産買っていい?新しい櫛がほしいって前言ってたの」

「あらいいじゃない。アリスもお揃いで買っていいわよ。それから約束していた本もね。お誕生日だもの」

「やった!」

 ご飯を食べ終わると父さんは畑に戻って行った。母さんが洗った食器をアリスが布で拭く。最近はこういう時間に儀式で使う祈りの言葉を練習する。

「今日この日聖女のお力を賜りたくやってきました。天に座す神に仕え、弱き命を守る力をこの身にお与え下さい。聖女の印をこの、この、えーと」

「この身に刻み、命ある限り神と民の繋がりを保つ者として尽くすことを誓います」

 アリスがつまずいたその先を母さんがスラスラと答えた。

「あーっ。昨日の夜は全部言えたのになあ」

「まだ4日あるもの」

「なんか緊張して本番全部忘れたらどうしよう」

 母さんはクスクス笑って「儀式の様子は誰にも見られてないんだから慌てずにゆっくりやれば大丈夫よ」と言った。

「ねぇ、なんで儀式って1人でやるの?12歳の誕生日の子を一斉に集めてやっちゃえば早いのに」

「なんでかしらねぇ。沢山いたら、神様も大変なんじゃない?1人ずつじっくり見て聖女様を決めたいのかしらね」

「でももうずーっと選ばれてないんでしょ?前にいた女神様ってどんな人だったのかな」

「そうねぇ。母さんが子供の頃旅芸人の歌を聞いた事があるわ。それは美しい方だったそうよ。金髪で金の瞳をしていて、そのお力で国に平和をもたらされたっていう内容だった」

「私の瞳は茶色だから、聖女様と違うね」

「髪とか瞳の色で女神様が選ばれるとは思わないけどねえ」

 でも母さんはね、と手を止めてアリスを見た。

「万が一でもアリスが聖女様になんて選ばれてほしくないわ」

「なんで?名誉なことなんでしょう?」

「ええ。とても名誉な事だと思うわ。でも、きっと選ばれたら家族と一緒にはいれないと思うの。神様と民に尽くさなきゃいけないんだもの。きっと国の大きな神殿で暮らすんじゃないかしら。母さんはね、アリスがいつか好きな人と幸せな家庭を築いて、赤ちゃんを産んで、たまにこの家にも遊びに来てくれる。そんな未来がいいなって思うわ」

「私も皆んなから離れるのは嫌だな。この村も大好き。大丈夫、私が聖女様だなんて事あるはずないもの。いつか父さんみたいな人と結婚して、この村で暮らすの」

「あらあら、じゃあこの村に好きな子でもいるの?あ、わかった。レイモンドさん家のファミル君でしょ」

「えーっないないないないない。それは絶対ない。知ってる?ファミルって歳上だからっていっつも偉そうなの!っていうかこの村の男子は皆んなあり得ないよ!私いつか街で働いて父さんみたい人をみつけてこの村に帰ってきて暮らす!」

 母さんは「頑張んなさい」と笑った。


 賜りの儀式の日の朝リナが家にやってきた。

「うわぁ、アリスすっごくキレイ!」

 母さんが作ってくれた真っ白いワンピースと、髪には真珠の髪飾りを付けた。父さんがこの日のために村に来た行商人から買ってくれた髪飾りだ。

「きっと街に行ってもアリスよりキレイな子いないと思う!本当に素敵」

 リナが手放しで褒めてくるので、アリスは少し気恥ずかしい。

「お土産買ってくるから、楽しみにしててね」

「ありがとう!街の話しも沢山聞かせてね」

 アリスもリナもまだ街には行った事がない。大人達は村の作物を売りに行ったりするが、道中たまに危険な野獣が出る事もあるので子供はついて行かない。

 家の外からブルルっという馬の音が聞こえた。父さんが村長の家から村で1番立派な馬車を借りてきてくれたのだ。

「じゃあ、行ってくるね」

「気をつけてね」

 アリスはワンピースを踏まない様に気をつけながら馬車に乗り込んだ。母さんが隣に座る。馬車が動き出すと窓からリナに手を振った。リナもずっと振っている。村の外に出てしばらく走るとアリスは窓から離れた。ガタゴトと動く馬車はどんどんアリスのまだ知らない場所へと走っている。

「今日儀式を受ける子が街に何人いるかわからないけれど、少し待つ事になると思うわ。着くまで寝ていてもいいからね」母さんはそう言って自分の膝をポンポンと叩いた。朝早くから準備をしたから正直すこし眠い。アリスはお言葉に甘えて母さんの膝に頭をのっけた。

「街、楽しみだな」

「今日行くところは国の中ではそんなに大きい街ではないけれど、それでも充分アリスはびっくりすると思うわ」

「リナに可愛い櫛買ってきてあげなきゃ」そう言って目を瞑っているうちに気づけば夢の中に入っていた。


 村を出てから4時間ちょっとで街に着いた。ガムルーの街。ガムルーの光沢のある黒い毛皮を使った絨毯や衣類が特産品で、街の名前もそこから付いたらしい。ガムルーはとても獰猛な野獣で人を襲う事もある。すばしっこいので捕まえるにも技術が必要で高値で取引される。アリスの村の近くにも数年に一度くらい出るが、そんな時はこの街からハンターに来てもらう。一度だけ仕留められたガムルーをアリスは見たが、真っ黒な毛並みに真っ赤な目と口から覗く鋭くて長い牙がとても恐ろしかった。

「うわあ」

 アリスは馬車から街の様子を見て歓声を上げた。

 広い道の両端には沢山の店が並び、色とりどりの果物や野菜が並べられている。モクモクと煙をあげて棒に付いた肉を焼く店もあった。村に二階建ての家は村長の家一軒しかなかったが、その3倍くらい高そうな建物が沢山ある。

「ねぇ見て!本屋さんだ!」

 アリスは本を読む事が好きだが、たまに村に来る行商人が5冊くらい持ってくる中から読めそうな物をおねだりして買ってもらうしかない。毎回商品に本が混じっているわけもなく、何ヶ月も同じ本を読み返したりしていた。今通り過ぎた店の前には、見た事もないほどの数の本が並べられていた。

「あの店行きたい!ねぇ、儀式が終わったら1番にあの店行っていい?」

「いいわよ」

 アリスの様子にクスクスしながら母さんは答えた。

 しばらく街の中を進むと広い広場のような場所で父さんは馬車を止めた。アリスと同じような白いワンピース姿の女の子がチラホラ見える。きっとここが賜りの儀式をやる場所なのだろう。

 アリスは馬車から降りると目の前の建物を見てまた歓声を上げた。

「ここがこの街の神殿だよ」

 いつの間にか横に来ていた父さんが教えてくれた。

「大きい……」

 白を基調とした建物は屋根の部分が青く塗られところどころに金色の飾りが付いている。階段を登った先に入り口があり、建物の両端に噴水もあった。

「父さんは受付をしてくるよ」

 広場の一角にテーブルが置かれ、青い衣装を着た初老の男性か紙にペンで何かを書いていた。その前に大人が数人並んでいる。

 戻ってきた父さんは「7番目になった」と言った。

「これから鐘の音が鳴ると儀式を受ける子供は神殿の階段の下に並ぶ。1人ずつ順番に階段を登って神殿入ってお祈りを捧げて、また入ってきた入り口から外に出るんだ。前の子が出てきてから入るんだぞ」

「こんなに大きい建物だもの。中で迷わない?」

「大丈夫よ、ちゃんと真っ直ぐ祈りの部屋に行けるようにされているの。母さんの時は白いロープで他の場所には行けないようになっていたわ」

「お祈りの言葉でてこなかったらどうしよう」

 街の姿に興奮していたアリスも神殿を見ると急に緊張してきた。

「じゃあ今のうちにもう一度練習しておきなさい」

 父さんがアリスの頭をポンポンと叩いて言った。


 アリスが繰り返し祈りの言葉を呟いていると、大きな鐘の音が鳴り響いた。思わずビクンとなる。

 父さんと母さんをみると2人とも笑顔で頷いた。大人達の間からチラホラと白いワンピースを着た女の子達が階段の方へ歩いてゆく。アリスも慌てて続いた。

 お互いチラチラと顔を見ながら番号順に並んでいく。アリスの前には見事な赤毛の女の子が立っていた。

 先程受付をしていた男性が子供達の前に立って並んでいる子の人数を数えていた。アリスが後ろを見ると5人くらい並んでいる。この子達、皆んな私と同じ日に産まれたんだと思うと不思議な気持ちになった。

「ねぇねぇ」

 声がしたので前を向くと、前にならんでいる赤毛の子がアリスを見ていた。人懐っこそうな笑顔をしている。

「あなたどこから来たの?凄く綺麗な金髪!それに顔もお人形さんみたいに小さいのね。鐘が鳴る前からこっそりあなたを見てたの」

「あ、ありがとう。私は丘の村から来たの。ここから馬車で4時間くらいよ」

「ふーん。きっと私の村とは遠いわね。聞いた事ないもの。私はね、タバサ。木彫りの村から来たの。あなたみたいな綺麗な金髪、うちの村にはいないからビックリしちゃった」

「私はアリス。タバサみたいな綺麗な赤毛の子も初めて見たよ」

 こんなのよくいる髪よーとタバサはケラケラ笑った。

「静かに。これから賜りの儀式を行います」

 慌ててタバサは前を向いた。タバサのお陰でアリスは緊張がだいぶ解れた。ゆっくり深呼吸をする。大丈夫。きっとすぐ終わってさっき見た本屋さんに行くんだ。1番前にいた子が男性に促されて階段を上がって行った。

 ついにタバサが神殿から出てきて、アリスの横を通り過ぎる時こっそり手を振ってくれた。

「次、行きなさい」

 アリスはゆっくり階段を登り始めた。神殿と同じ白い階段が光を反射して少し眩しい。神殿の中に入ると、逆に薄暗さに慣れるまで目がチカチカした。

 母さんが言っていたように中の通路にロープが張られている。これを辿ればいいのだろう。

 中は外観より豪華で、壁には絵が飾られたりところどころに花瓶に花が飾られていた。

 ロープに沿って角を一つ曲がると目の前には扉が開いた部屋があった。中に入ると蝋燭の匂いがする。床には青い円形の絨毯がひかれ、両端の壁にはステンドグラスの窓があった。正面には豪華な台があり、その上に神様の像が飾られている。像の周りには沢山の蝋燭が光を放っていた。

「ここね」

 アリスは像の台の前で母さんに教えられた通り片膝をついて頭を垂れた。

 酷く静かな部屋の中アリスは祈りの言葉を唱え始めた。

 「今日この日聖女のお力を賜りたくやってきました。天に座す神に仕え、弱き命を守る力をこの身にお与え下さい。聖女の印をこの身に刻み、命ある限り神と民の繋がりを保つ者として尽くすことを誓います」

 言えた!噛む事もなくスムーズに一気に言えた!よし、後は父さんと母さんの元に戻ってあの本屋さんに行くんだ。可愛い櫛も探さなきゃ。

 アリスが頭をあげて立ちあがろうとした時だった。強い目眩の様な感覚に襲われて、アリスは咄嗟に両手を床につけた。

「な、なに?なにこれ!」

 グルグルとアリスの周りが回っているように見える。視界の中にチカチカと光が跳ねている。光は何個もあって、大きくなってたり小さくなったりして動いている。そのうち、その光が一つに集まりだした。アリスは頑張って顔を上に上げた。するとその光も上に上がり、アリスの顔の前で輝き続ける。だんだんとグルグルと回っていた視界は収まりつつあるのに、光だけは無くならない。

「これ、なんなの」

 アリスは震える手を目の前の光の方に差し出した。指先が光に触れる。すると光は部屋全体を覆い尽くすように一気に大きくなり、やがてフッと消えた。

 目の前に広がる静まり返った部屋は先程と変わらない。アリスは自分の心臓がバクバクと鳴って、思わず右手で胸の辺りを触った。その時違和感に気づいた。触れている場所が熱を発している。咄嗟に下を向くと、ワンピースの胸元辺りがぼんやりと光っていた。

「やだっ!なんで?どうなってるのこれ」

 慌てて前のボタンを数個外す。手が震えて時間がかかった。ワンピースの前を開けるとアリスは小さく悲鳴をあげた。ちょうど二つの小さな膨らみの間、そこに模様のようなものが刻まれてほんのりと光を放っている。アリスはそこを撫でたり叩いたりしたが、模様と光は消えて無くならない。

「どうしよう……なんなの」

 その時だった。頭の中に声か聞こえてきた。


 聖女を継ぐ者よ。その身に刻まれた印に恥じぬ様、神に祈り民を救いなさい。今この時から運命は動き出した。そなたに聖女の力を与える。悪きしものを退け、私の子供である民の希望と力になりなさい。


 声はそこで消えた。

 アリスはワンピースの前をはだけさせたまま呆然として動けなかった。

 どういうこと?聖女?運命?力?一体何が起こったの?

 床にペタリと座り込むと、目の前の神様の像をみた。顔がない、長いローブを纏った長髪の像。昔、村の結婚式で神様の像を初めて見たときアリスは母さんに聞いた。「なんで神様の像って顔がないの?」

 すると母さんは「神様はね、男性か女性かもわからないし、人間が勝手に想像で顔を描く事は恐れ多いから禁止されてるのよ」と言った。

 確かに、頭の中に響いた声は男性か女性かよくわかならい声だった。

「私、神様の声聞いちゃったの?」

 アリスは自分の胸元をみた。いつの間にか光が消えている。模様だけが周りの肌より幾分白い線で残っていた。遠めからみると模様もわからないだろう。

 アリスはノロノロとボタンを留め直した。

 とりあえず、神殿を出よう。というか、この事を誰かに話さなきゃいけないの?私、聖女に選ばれたって事?

 母さんの言葉が頭に蘇る。

 きっと選ばれたら家族と一緒にはいれないと思うの

「私、家族と離れるの?リナとも?そんなの嫌だよ」

 アリスはじっと両手を見た。

 聖女の力ってなんだろう。別に何も感じない。特別な事ができる気もしない。胸に変な模様が付いた以外、今朝村を出てきた自分の体と何も変わったように思えない。

「早くここから出なきゃ」

 アリスは立ち上がって部屋を出た。できるだけ急いで出口に向かう。長く時間がかかって、中で何かが起こったと思われてはいけないと思った。

 外に出ると陽の光で眩しかった。気をつけて階段を降りる。まだ儀式の順番を待って並んでる子達の横を通りすぎとした時呼び止められた。振り返ると受付をしていたあの男性だ。

「時間がかかりましたね。何かありましたか?」

 アリスは声が震えないように気をつけて「途中体調が悪くなってしまって少し休んでしまいました」と答えた。

 男性はしばらくアリスの顔を見たあと「確かに顔色が悪い。ゆっくり休みなさい」と言って子供達の列の前に戻って行った。

 父さんと母さんが手を振っている。アリスはなんとか2人の待つ馬車まで歩いた。


 本を選んでお土産の櫛も買った。アリスが元気がないのは緊張して疲れたせいだろうと、お店で冷たいフルーツジュースと甘いお団子も買ってくれた。心配かけないようできるだけ普段通りにしているつもりだったが、頭の中は神殿で起こった出来事でいっぱいだった。私が聖女に選ばれたって言ったら父さんと母さんはどういう反応するだろう。責任感の強い父さんは、神殿に戻ってその事を正直に言おうとするかもしれない。母さんは聖女様になんて選ばれてほしくないって言っていたから悲しむかな。私もあの村を去って違う場所で暮らさなくてはいけなくなるのかな。

「アリス。大丈夫かい?疲れたろう。そろそろ馬車に戻って村に向かおう」

「うん。なんだか凄く疲れちゃって。早く家のベッドで横になりたい気分」

「こんなに沢山人がいるところに初めてきたんだ。それだけで疲れるよ。父さんなんてな、昔じいちゃんと初めて大きな街に行った日の夜熱を出したぞ」

 どれ、と言い父さんはアリスを抱っこした。

「やめてよ恥ずかしいよ」

 アリスが笑いながら身を捩らせると「こんなにおっきくなったんだなぁ。アリスが産まれた時は余裕で片手で抱っこできたのに」と父さんは少し寂しそうな顔でアリスの頭を撫でた。

 帰りの馬車ではまた母さんの膝枕で目を閉じた。でも眠気は全く訪れる事はなく、神様の言葉や自分の胸に刻まれた模様の事をずっと考えた。

 これからどうなるんだろう。私はどうすればいいんだろう。

 考えても考えても良い答えは浮かばなかった。

 

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