第2話 日常と神社の謎
「おうアイビキ! 日誌、教卓に置きっぱだったぜ!」
高校に入学してから二度目の春を迎えて早二週間ほど経った昼休憩。
友人たちと三人で机を合体させて購買で買ってきた昼食を貪っていると、クラスメイトにそう声を掛けられた。
「ん、ありがとう。あと僕の名前、
「お、そっか! 悪い悪い!」
日誌を受け取りながら訂正して、手を振り合う。すぐに謝ってくれたあたり、悪い人じゃなさそうだ。
『
簡単な字面だが、なんか間違って呼ばれやすい。厄介なものだ。
今名前を間違えた彼とは同じクラスになって日が浅いのもあるけど、少し珍しい名前のせいかこういったことは僕にとって日常茶飯事だ。
とはいえ、毎度訂正するのは面倒だな、とため息を吐いたところで周りの友人たちは口々にそれを話題にしていった。
「うーん、そんなに否定するようなアレか?」
「だよね。『逢引』って映画とかドラマで使われてるし、結構ロマンチックだと思うけど」
正面に座る二人……ソフトモヒカンでガタイの良い男子、
二人とも中学から仲の良い同級生の友人で、僕はそれぞれフキとイザという愛称で呼んでいる。
そんな友人二人の言うことは分かるのだが……。
「いや、我ながら過剰反応とは思うんだけどさ。爺さん婆さんがあんまり良い顔しなくて。その影響が大きいかも」
「あー、なんか悪いイメージだったりしたんだっけ? 不倫を連想させるとか」
イザの言う通り、僕は古い考え方の祖父母からそういった意味であると言われてきたせいか、そういうイメージが拭えない部分があるのだ。
気にするほどでもないというのも分かってはいるんだけど……なんだかなぁ。
なかなか変えられない自分の曲がった常識に腕を組んで唸っていると、
「え、そう? いいと思うますケド。アイビキ肉みたいで」
突然頭の上から話に割り込まれ、上を見ると長い赤毛が目に入った。この声と髪の主はおそらく、
感覚的に今、背もたれにでも手をかけて僕の頭に顎を乗せているのだろう。
彼女はアメリカ人と日本人のサラブレッド美少女で、先日もお世話になったアザミさんの孫でもある。特徴的な話し方は一年前まで向こうに住んでいた故のものだ。
「誰の家庭がミンチ肉だコラ。一家まとめて牛と豚じゃないぞうちは」
「何ィ? 挽き肉舐めんナヨ。Hambur ……ハンバーグ作れるんだからナ」
「誰も肉のことは舐めてねえよ。ハンバーグ美味しいよね」
「好きな調理ホーは?」
「煮込みかな」
「分かってンねえ、セッチャン」
僕とサラはうぇーい、とハイタッチをした。隣ではフキが「漫才かよ」とあきれているが気にしない。
……なんの話してたっけ? まあいいや。
「で、サラ。僕に何か用事かな」
「あ、エト……。オチチ……先生? がセッチャン呼んでたヨ!」
「んふっ、ゲホッゲホッ」
サラの言葉にイザが咳き込んだ。
おそらくサラが言いたかったのは
日本史の授業を担当している初老の男性で、別に豊満な胸部をお持ちのお乳先生などでは決してない。
そして咳き込んでいるイザはそんな先生の姿を想像したのだろう。笑いをこらえようとして
イザの様子に疑問符を浮かべているあたり、サラに悪気はないとは思うけど、だいぶよろしくない間違いだな。流石に訂正しておこう。
「うん、オチ先生ね」
「えーっと、オチンチン先生?」
「わざとやってない?」
うーむ間違いが致命的になってしまった。これは落先生の授業でサラが当てられるのが俄然楽しみになってきたな。
僕らのやりとりを見たイザは息も絶え絶えに机に突っ伏した。コイツはもうダメかもしれない。
「名指しで呼ばれるって何かやったのお前?」
「いや、何もしてないと思うけど……」
フキの疑問はもっともだが、僕にも心当たりはない。
落先生が担当している日本史については成績が悪いわけでもないし、授業も真面目な態度で受けてるはずだ。これといって問題のある行動はしていないはずなんだけど。
……ま、考えていても仕方ないか。
優しい先生だし自分もやましいことはないので大した用でもないだろう、と軽く考えながら机の上を片付けて、席を立った。
「サラ、先生どこにいるって言ってた?」
「オチン先生なら図書のGymにいるってヨ」
「図書事務室か、分かった」
「よく分かんなぁお前……」
フキが感心するように声を漏らしているのを見て、何故かサラがドヤ顔を見せつけていた。なんで?
とにかく、そんなやり取りの後、二人に見送られつつ僕は教室を後にした。
最後までイザは机に突っ伏して震えたままだったけど、まぁ二人がなんとかしてくれるだろう。
○○〇
昼休みの図書室は誰もおらず、静かで冷ややかな空気を纏っている。そんな中でこじんまりとした事務室の扉の前に立つと、なんだかやましいことをしたわけでもないのに『名指しで呼び出された』という事実を妙に意識してしまって、なんだか緊張してきた。
ふう、と一呼吸置き、意を決して数回のノックの後、「失礼します」と断りを入れて扉を開いた。
「おっと、来ましたね。まあ座ってください」
中に入ると、コーヒーを片手に座っている初老の男性……落先生が微笑んで出迎えてくれた。
先生に促されるまま、隣の事務イスに座る。
「……」
「……」
緊張しながら座っている僕をよそに、のんびりとコーヒーを啜りながらノートパソコンのキーボードを無言で打つ先生を見ていて、だんだんと心臓が高鳴ってきた。
……呼び出されて無言の空気が流れるとなんか怖いんですけど。
え、僕マジでなんかした? 自信なくなってきたんだけど。
キーボードの音とコーヒーの香りだけが支配する静かな空間に耐えられず、恐る恐る口を開いた。
「えーっと……、すいません。僕、なんかしましたかね……?」
「ああ、かしこまらなくていいですよ。別に叱ったりとかそういうのではないので。あ、コーヒー飲みますか?」
「ありがとうございます」
どうやらお叱りを受けるわけではないらしい。
安心して脱力しながらコーヒーを受け取り啜っていると、先生は先程まで弄っていたノートパソコンの画面をこちらへ向けて置いた。
「実は個人的にお聞きしたいことがありまして。相引くんがこちらの建造物をご存じと聞いたんですが……」
そう言われて画面を見ると、毎週掃除をしているあの社の写真が映し出されていた。
隠すことでもないので、よく掃除に言っていることを伝えると先生は感心したように続けて訊ねてきた。
「よく掃除に、というのはどの程度の頻度で?」
「あ、はい。週に一回くらい行ってます」
「それはそれは。信心深いのかな」
「や、単純にルーティーンとして取り入れてる感じというか……。なんかマズいですかね?」
「いえいえ、珍しくはありますが悪くはないと思いますよ。むしろ良いことです」
……えっと、これ何の面談?
なんだか普通に褒められて気恥ずかしくなってきたのでチビチビとコーヒーに口を付けていると、落先生は「おっと、脱線しました」と言ってマウスをカチカチと鳴らして写真の一部をズームアップした。どうやらここからが本題らしい。
「写真のこの辺り……鳥居の端なんですが、何か彫ってあるように見えてですね。おそらくは奉納した人の名前だと思うんですが、調べた画像はどれも解像度が低くて読めませんでして。実際に見ているキミなら分かると思うんですが、どうでしょう?」
「えーっと……ああ、この部分ですか。すみません、僕が知っている限りだとこの部分ってほとんど掠れて読めなくなってるんですよね」
先生の指した写真の箇所……実物の石造りの鳥居にはたしかに文字が彫られているのを確認したことがある。しかし、その文字は大部分が掠れて読めず、かろうじて読めたのは『奉』という字だけだったのを覚えている。
アザミさんに訊いてみたこともあったけど、何と彫ってあるのかは分からなかった。
「そうですか……。実は知り合いの学生が神道に関する研究をしておりましてね。私も助力しようと思ってこの辺りの神社なんかを調べているんですよ」
「なるほど。そういうことならサラ……榎園さんに聞いた方が早いんじゃないですか?」
日本人とはかけ離れたビジュアルであっても、彼女はあの社を管理しているアザミさんの孫である。
関わりの深い家系の人間がいるのだから、そちらに当たったほうがいいと思うんだけど……。
「相引くんが来る前に榎園くんにもお訊ねしたんですが、彼女はあまり詳しくないようでしてね。そこでキミを紹介されたんですよ」
「あー……」
たしかにサラは一年前までアメリカにいたわけで、日本でのアレソレにはあまり馴染みがないだろう。血筋として関係は深くても知っているとは限らないか。
そういえばここに僕を呼んだのはサラだったし、彼女は僕があの神社によく行ってることを知っている。僕が抜擢されるのもまあ当然と言えば当然か。
「相引くんはこの社に祀られている神様はご存じですか?」
「ざっくりとですけど、この辺りの土地神様とだけ」
「ええ、概ねその解釈で構いません。ただ、この社で祀っている神様について少し気になることがありましてね」
「気になること、ですか」
僕が訊き返すと落先生は立ち上がり、ホワイトボードを引き寄せて『善』『悪』と書き込んで説明を始めた。
「日本で祀られている神様というのは、基本的に善悪の区別がありません。いえ、厳密には善悪はありますが、何かを成すべく他よりも優れていたりしたものが神として崇められていることが多いんです。……とにかく、祀られている神様によっては悪行も成していることがあります」
「……ここの土地神様がそういうタイプだ、と?」
「その可能性がないわけではありませんが、土地を守ってくださっている神様ですのでその線は薄いかもしれませんね」
僕の質問はサラリと否定され、善悪の文字は大きなバツ印で上書きされた。
じゃあどうしてそんな話を……と訝しく目線を送っていると、先生はそれを意に介していない様子で続けた。
「簡単に言えば、この社で祀られている神様の詳細が分からないんです。調べていても詳細が分からないこと、榎園さんにお聞きしても『家族もよく分かっていない』と言われたこと……。あまりにも不明瞭です」
「えっと……それがなんでしょう?」
「地域によっては『参拝をしすぎると神様に魅入られる』と云われる場所があるように、所謂神隠しに遭うかもしれない、ということです」
なるほど。なかなかにオカルトチックな話だ。
簡単にまとめると、よく分からん神様に参拝しすぎると連れていかれるかもね、ってことだろう。なんかこう……不審者の誘拐手口みたいだな。
えーっと、つまり……?
「先生は、僕のことを心配してるってことですか?」
「ええ、その通りです」
「最初っからそう言ってください」
なんで説明がちょっと遠回しなんですか。
先生が善悪云々について話してる時ちょっと緊張してたんですよこっちは。
「いやー、脅かすような真似をしてすみません。既に何年も通っているキミなら大丈夫とは思いますが、一応伝えておこうと思いまして。別に止めるつもりもありませんから安心してください。ただ、古い場所ですし山の方なので事故などの意味でも気を付けてくださいね?」
「分かりました」
キーンコーン……。
「「あっ」」
僕が頷くと同時に予鈴が鳴った。
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