〝5年、夏〟

第7話

 こんな毎日を、変えたい。

 そう願うわたしは、今日も音楽室でおびえています。

「ほらそこ! 話聞いてるの!?」

 先生の冷たい声に、わたしのことを言われたのかと思ってびっくりしましたが、近くの席でリコーダーで遊んでいた男子のことでした。

 先生は彼が分解していたリコーダーを取り上げて続けます。

「今言った通りですね、秋に向けて今年も合唱の練習が始まります。まずは伴奏者を決めないと、ということでね。今年は7日にオーディションをするので、楽譜が欲しい人は授業のあとに来てくださいね」

 伴奏か。

 秋。音楽発表会の合奏と合唱の練習があるせいで、わたしにとって世界一息苦しい季節です。

 もし伴奏ができるのなら、あの季節だけでも邪魔者になんてならずに済むのに。

 でも、できないんです。

 わたしは、オーディションに参加することすらも怖い。


 だって……。


 わたしの小学校では、音楽発表会ですべての学年が何かの演奏を披露します。

 低学年はCDに合わせた歌だけ。音楽室でのちゃんとした音楽の授業がある3年生から上の学年は、合唱と合奏をどっちもします。そして、3年生からは歌の伴奏はピアノで、それも児童伴奏。

 3年生のときの音楽発表会、わたしは合奏だけまともに参加して、合唱はただ突っ立っているだけでした。

 1年生でも2年生でも、そうしていたので。

 でも、3年生になったらそういうわけにはいきませんでした。初めて関わる音楽の先生。クラス担任が音楽の授業もしていた低学年の頃と違って、音楽の先生はわたしを放ってはおきませんでした。

 発表会が終わったあと。わたしは呼び出されて、こう言われます。

 ――『あのね。歌えないのは仕方ないんだから、あなたにもできることを考えなさい』

 わたしにも、できること。

 歌以外なら、当たり前ですが、もうピアノしか残された役割はありません。指揮は全学年音楽の先生がするって決まってるし、そもそもわたしに指揮なんてできないし。

 だからそのあと、わたしはお母さんに頼みこんでピアノを習い始めました。ちょうどおばあちゃんちに使わないピアノがあって、置き場に困っていたようだから、快く了解してもらえました。

 そのときは、わたしが珍しく何かをしたがっていたこと、家族も喜んでいました。そのときは。

 慣れれば日常の風景になって、雑音と思われるだけだけど。

 そして、習い始めて半年と少し、今から言うとちょうど1年前。4年生の伴奏オーディションにわたしは参加しました。

 合格できないのは初めからわかっていました。初心者のわたしに、あの曲の伴奏はあまりにも難しいので。

 でも、なんとか途中まで頑張って弾いて。

 「わたしにもできること」をできるだけ頑張ったつもりでした。

 しかし先生は、困ったように、呆れたようにくすっと笑いました。

 ――『弾けないならどうして参加したんですか?』


 どうせ今年も、参加したところで全部は弾けない。

 うちの学校の伴奏オーディションは、楽譜をもらった1週間後に行われます。

 1週間で、完璧じゃなくても曲の全部を弾きあげた人が合格というルールです。弾けた人が何人もいたときはいちばん上手い人が選ばれるらしいですが、たった1週間で全部弾ける人なんて、ふつう一学年にひとりくらいしかいません。

 例えばわたしの学年なら、夕灯さん。

 音楽の授業が無事に終わってちらっと見てみると、夕灯さんはもちろん楽譜をもらいに先生のもとへ行っていました。さすがです。

 授業中に聴いた今年の合唱曲は、みんな知っているとても有名な曲でした。去年の5年生も歌っていて、なんなら伝統的に5年生が毎年歌っている曲です。

 聴いてみて、わたしは『星空の歌』だなと思いました。

 とても綺麗な曲です。歌も、ピアノも。

 もし歌えたら、は想像できないけど、もし弾けたらきっと楽しいだろうな、とは思います。

 ずっとピアノを習っていれば、いつか弾けるようになるのかな。

 今のままじゃあ到底無理なのはわかっているけれど。

 だって夕灯さんは、小さい頃からずっと頑張っているから上手いのでしょう。3年生の終わりに始めた、それもとても熱心なわけではないわたしなんかが追いつけるわけがありません。

 それに、もう来年しかチャンスは残っていないし。

 無理、だろうな。きっと。

 早くも諦めたくなったわたしは、思わずうつむきました。

 楽譜をもらいには、行きません。

 頭の中では、さっき聴いた『星空の歌』の旋律が流れ続けています。

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