今日はわたしの風が吹く
彼方みるく
〝5年、春〟
第1話
つい先日まで足を踏み入れることもなかった3階の廊下。期待と不安を1対1で持ったみんなの陰から、それらを1対3くらい抱えたわたしは、そろーっと顔をのぞかせます。
別に誰かから隠れても逃げてもないけど、ランドセルと引き出しの箱を抱えなおして、なんとなく忍び足で、目的の教室に後ろの扉から入りました。ふたり手を繋いで入ってきた女の子たちをよけながら、慎重に進みます。ひとりでそおっと。
入り口に貼られた紙で確認した自分の席へ無事にたどり着き、ほっとしてランドセルを下ろします。周りの人たちをちらちら見ながら、静かに荷物の片付けをしていました。
すると、出席番号順でわたしの前に座った女の子が、くるっと振り返りました。わたしの机にある、磁石のネームプレートを指さします。
「ねぇ、これ、なんて読むの?」
この子はわたしと同じクラスになったことがありません。びっくりして慌ててメモ帳を引っぱり出し〝なつり〟と書き見せました。
「おっけーなつりちゃんね。てか、わざわざ書かなくてもよくない? そんなに恥ずかしがんないでもさぁ」
あ、ちがう……。
やっぱり、この子は知らなかったみたいです。呆れたような半笑いのまま彼女は立ち上がり、友だちグループの中に溶けていってしまいました。
寂しくてちょっぴり悔しくて、メモもそのまましゅんとしていると、突然、明るい声が教室の向こうからとんできました。
「わあっ、
その声で、わたしは今までの学校生活でいちばんの笑顔になっていたと思います。
わたしを見つけるやいなや大声を上げて、教室の前のほうからだあっとこちらまで走って来た声の主。新しい環境にも全くたじろがず、2対0で完全勝利の期待を掲げた彼女は本当にすごいと思います。
わたしの唯一と言ってもいい友だちで、親友の
「何かの間違いじゃないよね!? まじで夏俐も3組だよねっ? え! や―――っと同クラなれたじゃん!!」
はしゃぎ回る親友に笑顔を返しながら、幸運を噛みしめるように彼女の顔を見つめました。
姫花の言うことはもっともで、本当にやっとなのです。姫花とは小学生になる前から仲良しなのに、5年生になってやーっと同じクラスになれました。
「1ミリも期待しない作戦成功なんじゃない?」
うんうんと笑顔でうなずきながら、5年間のわたしたちの作戦をなんとなく思い返しました。
ひたすら祈ったり七夕の短冊に書いたり、色々やった挙句に今年度は、『クラスが別々だったときにすごく落ちこんじゃうから、もう期待を全て捨ててしまおう! そうしたらもしかしたら……』なんていう作戦でした。絶対同じクラスにはなれない、と心の中で思いつづけたり、姫花は声に出して何度も言ったりしつづけたこの春休み。作戦成功です、多分。
ともかく、姫花と同じクラスになれたことがわかった今、わたしは心の底からほっとしています。
新しいクラスは前年度のクラスで発表されたので、4年生のとき違う組だった子で今年同じクラスの子が誰なのかは、新しい教室に入って初めて知ることができます。だからさっきまですごく怖かったけれど、姫花がいるならどんなメンバーでも大丈夫そうだと思って、わたしはきょろきょろするのをやめました。
そして、姫花を見てあることを思い出しました。気になることは、直接訊いてみるしかないです。
わたしは、ポケットからメモ帳と短いボールペンを取り出して、こう書きました。
〝れいとさんもこのクラス?〟
それを読んだ姫花は「あー」と納得して、いらついたときのように顔をしかめました。この顔は、やっぱり。
「
憤慨する姫花を見て思わず笑ってしまいました。
怜歩さんは姫花の隣の家に住んでいて、すぐ姫花にちょっかいを出す彼女の幼なじみです。
「まあ怜歩は予想通りっていうかどうでもいいんだけど、他の男子誰がいるのかわかんないしさ、黒板に名簿貼ってあるから一緒見に行こーよ」
そう彼女に促されるまま、私は黒板へと進みました。ちなみに女子のメンバーは、「もう大体わかったし話したよー、そしたら夏俐見つけてびっくりしてとび出して来た!」だそうです。さすが姫花は、わたしなんかと違って友だちも多いしすぐに人と仲良くなれる。親友でありながら、憧れの人です。
まだ名簿を見てる人が群がっていて見えないので順番待ちをしながら、そういえば学活始まるの遅いなぁと思って時計を見上げました。すると姫花が、元4の2の担任が異動してしまい、そのクラスの子たちの新学級発表が遅れているのと、わたしたちのクラスの担任になる先生が今年新しく来た先生だから、色々あってまだ教室に来られていないからだと教えてくれました。姫花は友だちが多いし情報屋さんで、人にあれこれ訊くのに手間がいるわたしのために何かと情報を教えてくれます。今みたいに、訊くつもりがないことも教えてくれたりするので、テレパシーかもしれないと本気で思ったことが何度かあります。
黒板の前が少し空いたので、混んでる中をふたりで前に進んで名簿を見ます。先生の名前は、始業式で既に告げられていたので知っていました。若い女の先生です。
『5年3組 担任:……』
先生の漢字はこういうふうに書くんだ、と思っていると、隣の姫花がしかめっ面で怜歩さんの名前を指差していました。指先でどんどん叩いてまるで呪いをかけてるみたいだとまた笑ってしまいます。
ピンとくる名前は少ないけれどひと通り名簿を眺めているわたしの隣で、怜歩さんを呪うのをやめた姫花は嬉しそうに友だちの名前を読み上げていました。その大体は、わたしと関わることなんて槍が降ってもないような派手な子たちです。
「姫花ぁ邪魔ー! わたしにも見せて!」
「あー、はいはーい」
そんな派手な子に声をかけられて姫花が作ったスペースに現れたのは、さっきわたしの名前の読み方を訊いてきた子でした。そして、誤解してしまった子。目が合って、緊張してどきっとしました。
すると、その子が無言で姫花の手を引いて黒板から少し離れます。
わたしはその様子を見ていました。
わたしについて勘違いしたままであろうその子は、姫花に何かを耳打ちしたようでした。そして姫花が笑って何かを言い返します。
わたしは知っています。姫花の笑顔は眩しいけれど、今の笑顔は違う。この笑顔は作り物の笑顔だって、知っています。
でも、急に相手の子も笑顔になって、そのあと少しだけ会話して姫花はこちらに戻ってきました。
「レナのやつ、夏俐のこと知らなかったんだね? あたしが説明しといたからもう心配すんなよー!」
やっぱり、知らなかったのか。
姫花に心の底から感謝しながら、少しだけ唇を噛みました。
『わざわざ書かなくてもよくない?』
よくないんです。だから、呆れないで。
わたしは、恥ずかしいんでも怖いんでもない。
ただ、声が出ないんです。
「あ、あと謝ってたからさ、許してやってね。勘違いしちゃったみたいだけどほんとは良い子だから!」
作り物じゃない、桜みたいな明るい満面の笑みで姫花がそう言いました。ちょっぴり寂しい気持ちになっていたわたしも、桜につられた春の風みたいにふんわり笑えました。
まだまだ不安も消えないけれど、親友のおかげでとても楽しくなりそうな新学年が、いよいよ始まります。
〝声がでないわたしは、今日、5年生になりました。〟
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