Life of Envy

入月純

第1話

 タカヤとのデート中に交通事故で死んでしまったことを思い出したのは今から五時間くらい前だった。


 信号待ちをしていた私達は映画を観終わって、さてこれからどうしようかと相談しながら駅の方に向かっている途中で、ここの信号長いんだよなーと思いながらふと足元を見ると靴紐が解けていて、タカヤはすぐそばにあるコンビニを外から覗いていたから今の内に結んじゃおうと私はしゃがんで、でもちょうちょ結びが苦手な私は苦戦しながら紐をクルクル弄んでいたら、「リサ!」って急に大声でタカヤに呼ばれて、私はタカヤを振り向く前に片膝を地面についた姿勢のまま真っ直ぐ顔を上げると、私めがけて車が突っ込んできたところで私の記憶は終わっていて、同時に私の人生も終わる。


 顔面から車に突っ込まれた私は多分ほぼ即死だったと思う。

 痛いという記憶がないから、それは間違いないんじゃないかな。


 そのあとは通行人が救急車を呼んでくれたらしく、私に付き添ったタカヤは私がもうとっくに死んじゃってることに気付いていたみたいだけど、でも何回も私の名前を呼び続けたらしい。


 あっけなく死亡診断書が作成されて、書類上でもこの世から消されてしまった私は、気付けば病院の外にいて、自分の身体が透明っぽい感じなのにもすぐに気付いた。


 ああ、透き通るような肌でこれはこれで綺麗かもなんて思ったのも一瞬で、勘がいいとは言えない私でもすぐに自分がもうこの世に存在してはいけない状態になっていることを察する。


 だって、鏡に映ってなかったから。


 私はその事実を受け入れることができずに少しだけ泣いてしまう。でも泣いていても仕方ないので、とりあえず死んだ自分の身体に会いに行くことにする。


 死体安置所? みたいなところに保管された私の身体は結構酷いもので、グロテスクさは半端じゃなかったけれど、でもなんか思ったよりぐちゃぐちゃではなかった。


 車が突っ込んでくるところまでの記憶はなんとなくあるから、多分そのあと私は鉄の塊にふっ飛ばされて、しかも下敷きにされたりもして、二目ふためと見れない姿になっていたんじゃないかなとか勝手に想像していたけれど、腕とかは変な方向に曲がっているものの、顔はそこまで傷ついてなかった。


 エンバーミングって言うんだっけ。位置的に、思いっきり顔から車体に当たっていたはずだから絶対顔は潰れてたのに、それでも結構綺麗に修復してくれたみたいだ。


 ありがたいなーと思いながら私は周囲の様子を窺う。


 当たり前かもだけど、しんみりした空気がそこにはあって、生者のエネルギーは全く感じられない。


 生命反応の全てを失ってしまっているであろう私の身体を見下ろしていると、また悲しみが溢れ出してしまいそうになるけれど、ここで少しだけ冷静になる。


 あれ。私、いつまでこのままなんだろう。


 今の私はいわゆる幽霊そのもので、身体が死んでしまっている以上、二度と人間には戻れないのは分かるんだけど、でもじゃあ、これからどうなるのかな。


 まさか一生浮遊霊? みたいな状態で過ごすなんてこともないだろうし……え、ないよね? うん、ないはず。


 地縛霊みたいに事故現場に縛られてるってわけでもないから自由ではあるんだけど、このままずーっとこうしてフラフラ彷徨ってるっていうのもどうなんだろう。


 あ、でもお葬式したら成仏できるのかな。


 まだ死んだばかりだから天国と地獄の振り分けに神様とか閻魔様が手間取ってるのかもしれないな。

 じゃあとりあえず待ってればいいんだよね。


 とはいえ暇だな。時間の概念みたいなのは生きてる時と変わらない感じではあるけれど、でもなんか、時間の流れが少しだけ早いような気もする。よくわかんないな。死んだの始めてだし、感覚がよくわかんない。


 そんなこんなで、浮遊霊としてデビューした私のお通夜が翌日行われる。


 両親は泣き崩れていて、妹も鼻水を垂らしながら泣いていた。


 家族とは特別仲良かったわけじゃないけれど、でも何だか実はこんなにもみんな私のことを想っててくれたんだなと思うと私も貰い泣きをしてしまう。


 田舎からおじいちゃんとおばあちゃんも来てて、やっぱり二人共泣いてくれる。十九歳で死ぬだなんて最高の親不孝を私はしてしまったんだけれど、そしておじいちゃんも「この親不孝もんが」と泣きながら言うのだけれど、私にはどうしようもなかったことだし、当然おじいちゃんもそれをわかってる。人間にはわかってても言わなきゃいけない言葉がきっとあって、おじいちゃんは誰かが言わなければならないセリフを敢えて口にしたんだと思う。


 死人に対する叱責の言葉なんて当然善とはされないし、誰だって言いたくなんてないだろうけど、おじいちゃんは汚れ役を買って出たのだ。


 そんなことも私の目頭を熱くさせるのだけれど、でも私は正直家族の心情よりも気になる人がいた。


 それはもちろん恋人であるタカヤのことで、お通夜にも来てくれていたタカヤは既知であるうちの両親に頭を下げて読経の後半でお焼香をしてくれる。


 もしかしたら私が事故にあった時にタカヤも怪我をしたんじゃないかと思い、病院で自分の遺体と対面した後タカヤの家に行っていた私は、タカヤが無事であることを知ってホッとしていた。


 そして、タカヤなら絶対お通夜に顔を出してくれるだろうということもわかっていたから、また会えるねと一方的に挨拶をしてそれから私はずっと自分の部屋にいたんだけど、お母さんは私の遺品の整理をしながら何度も涙を流していた。


 タカヤと一緒に映ってる写真がいっぱいあって、私一人の写真よりもタカヤとのツーショットばかり過ぎて、私のお葬式用の写真をどれにするかだいぶ迷ったみたいだけど、なんとか探し出した直近のそれなりに可愛い表情で笑ってる私の写真が引き伸ばされることになった。


 で、タカヤはお焼香の立ち上る煙を前に一言も発しないで、私の遺影を見ようともしないで、軽く目を閉じた後にスッと立ち上がり、そのまま出ていってしまう。


 まだお坊さんが話してるのに、という雰囲気が周囲からも何となく出てくるけど、でもまあまだ若い男の子だからそういう礼儀作法がわからないのねみたいな感じで、タカヤのその無作法っぽい行動はなかったことにされる。 


 うちの家族は誰も不快に感じてはいないみたいだし、なによりも張本人の私が嫌な気持ちになっていないのだからそもそも問題ないのだ。


 で、タカヤはそのまま家に帰ってしまう。お邪魔しますと一応言ってから私も近野こんの家に上がらせてもらうけれど、もちろん誰の耳にもその声は届かない。


 タカヤの部屋にはもう何百回も入っているから、家具の配置から漫画の冊数まで全部わかってるんだけど、でもなんか少しだけ殺風景に感じた。


 なんでだろう。


 タカヤは両親とタカヤの三人家族で、両親は今頃私の家でお通夜に参列してくれているから今この家にいるのはタカヤだけだ。あと私。


 タカヤはまっすぐに自分の部屋に行って、礼服の上着を適当に放ってからワイシャツとズボンは脱ぐことなくそのまま布団に入る。


 疲れてたのかな? 夏休みは終わってるし、大学はもう始まってるからそっちも色々と忙しいのかもしれない。

 それなのに私のために時間を割いてもらっちゃってごめんねタカヤ。


 タカヤは羽毛布団を頭から被ったまま身動ぎ一つせずにそのまま眠ってしまった。

 私はひとつだけ――些細なことかもだけど、気になったことがある。


 それはタカヤが泣いてくれなかったこと。


 私は私が死んじゃったと知った時に少しだけど泣いてしまった。とても悲しかったから。でも、タカヤは私が死んじゃったことを悲しんでくれなかったのかな。私にとって私は全てだったし、でも私にとってタカヤも同じくらい全てで、私はタカヤが死んじゃったらきっと私が死んだ時よりも泣く自信はあるけど、でもタカヤにとって私はただの恋人っていうだけの存在だったんだなと思うと少し悲しい。


 でも、タカヤの涙は見たくないというか、タカヤが悲しんでいる姿を見たくはないから、これでよかったのかもしれないとも思う。

 泣かないから悲しんでないっていうのもなんか違う気がするし、タカヤはきっと悲しんでくれてるはず。


 絶対、悲しんでくれてるはず。

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