第8話 もう遅い!
(なぜアーサーさまがココに?)
ボニータは戸惑いながら窓の外を見ていた。
十年前は可愛らしいイメージの方が強かった王子さまは、成長してハンサムな金髪碧眼細マッチョになっている。
キリリと凛々しい表情を浮かべた姿は、賢そうで、頼れそうで、神々しい。
(クラウスさまとは大違いね)
自分を貶めることに夢中だった元婚約者と、目の前の王子さまを比べたら、アーサーの圧勝であることはボニータにもわかっていた。
とても会いたかった人が、いま目の前にいる。
だが。
ボニータの心は冷えた。
(なぜ今になって? 会いたくてたまらなかった時には、来てくれなかったのに……なぜ会いにきたの?)
その理由に思い当たった時、彼女の心は氷点下に冷えたのだ。
王宮で暮らしている時には現れなかったのに、魔法契約が解けた今は向こうから会いに来た。
答えは簡単。
(また私を、都合よく使う気ね)
優秀で素晴らしい美貌の王子さまは現れ時を知っていて、王国の危機に立ち上がったのだろう。
アーサーは22歳。自分の意思で動ける年齢になっている。
正妃の息子である第一王子は、次の国王となるべき王太子だ。
金髪に縁どられた整った顔と澄んだ青い瞳に騙されてはいけない。
彼がどんなに美形でも、王国のために動く人間であることには変わりないのだ。
そしてボニータは気付いた時には叫んでいた。
「帰ってちょうだい王子さまっ!」
「ボニータ⁈」
驚いているようなアーサーの声に、ボニータはイラッとした。
歓迎されると思って来たのだろうか。
そう思っていたのなら、理由はどんなものだろう。
金髪碧眼のハンサムマッチョ王子だから?
次期国王だから?
幼いころにボニータがスキスキ光線だしていたから?
十年も放置したというのに歓迎されると思ってたのかお前、と突っ込みたいボニータだったが、大人なので端的に用件だけを叫んでみた。
「私はアナタとなんて話したくないっ!」
「ボニータ⁈」
美形が驚愕の表情を浮かべてコチラを凝視している。
その姿さえ、ボニータにとって腹立たしい。
大きく目を見開き、口をポカンとあけて動きを止めているアーサーは、そんな間抜けな姿さえも美しく魅力的だ。
その事実が、ボニータの神経を逆なでした。
「帰って!」
ボニータの怒気を含んだ叫びと共に、屋敷の周囲に張り巡らせていた防犯システムが起動した。
ブォーンブォーンという謎の音と共にモクモクと湧き上がる雲。
青にピンク、黄色に赤とカラフルに湧き上がる雲は、わたあめのようにアーサーの視界を遮っていく。
耳元で鳴るようなブォーンブォーンという音のせいで、アーサーは怒鳴っているように声を張り上げた。
「ちょっ、ちょっと待ってっ! クラウスが酷いことをしたのは分かってるっ! だからっ……」
「だからなんだっていうの、アーサー⁈」
怒気を含んだボニータの声に合わせたように、湧き上がった雲はモクモクと湧き上がりながら混ざり合い、やがてバスケットボールサイズの球体になっていった。
「ボニータ⁈」
球体は驚いて立ちすくむアーサーの回りを取り囲む。
内側では煙がクツクツと泡立ちながら紫色になっていく。
その上、さらに稲妻を走らせている球体もあれば、炎がチロチロと燃えている球体もある。
明らかにヤバい感じの変化が起きている球体に囲まれて、アーサーは冷や汗を流した。
ボニータが追い打ちをかけるように叫ぶ。
「また私を魔法契約で縛って、都合の良いように使うつもりでしょ⁈」
「違うよ、ボニータ!」
アーサーは即座に否定した。
側に控える兵士たちは、王太子の回りに怪しい球体が集まってくることに騒めきながら剣を構える。
それをアーサーは手で制しながら、ボニータに向かって再び叫んだ。
「違うんだ、ボニータっ! 話を聞いてくれっ!」
「帰って!」
ボニータの叫びと共に紫の球体がアーサーに襲い掛かる。
「帰ってよ!」
アーサーに当たってバシンと割れた球体から紫色の液体が飛び散り、彼の体を汚した。
同時に息が苦しくなるような甘い香りに辺りは包まれた。
アーサーは胸が苦しくなるような思いになりながら、必死に叫んだ。
「話を聞いてよ、ボニータ!」
「嫌よっ!」
ボニータの拒否感を表すように、紫色の球体は次から次へとアーサーにぶつかっていった。
金色の美しい髪も、端正に整った顔も、上質な衣装に包まれた逞しい体も、紫色に濡れた。
ブォーンブォーンという音が森に鳴り響き、もぁ~んとした甘い香りが立ち込める中、チロチロと炎が中で燃えている球体がアーサーの方に近付いてくる。
後から到着した宮廷魔法士が、慌ててアーサーの体を魔法で保護した。
(私の言葉はもう、ボニータには届かないのか)
アーサーの心に諦めと苛立ちが同時に湧きあがり、彼は思わず叫んだ。
「ああっ、もうっ! ボニータのわからずや!」
「うるさいっ! アーサーのアンポンタン!」
ボニータの叫びと共に球体がはじけて炎が空高く燃え上がる。
それはほんの一瞬で、宮廷魔法士が即座に魔法を使って消火した。
ジュッと音を立てて消える炎を見ながら、アーサーは唇を噛んだ。
(ボニータはここまで王家を……私を嫌っている、のか?)
だからといって、アーサーにボニータを諦めるという選択肢はない。
(幼かったが、二人の間にあった絆は本物だった、と思う)
もし仮に。
本物でなかったとしても、それがなんだというのだ。
せっかくチャンスが再び巡ってきたのだ。
今度こそ、がっちり掴んでやる。
(彼女を……ボニータを私の妻にするっ)
あの紫色のふわふわした髪とキラキラした瞳を持っている、細くて小さくて笑顔の可愛い女の子を、私は手に入れる。
そして、愛するのだ。
溺れるくらいに甘い愛で包んで、悪戯っ子のように笑う彼女のソバカスが浮いた鼻先にキスしてやるのだ。
二人で幸せになるのだ。おとぎ話のように。
アーサーは心に誓った。
「今日の所は帰るけど……また来る!」
アーサーは叫ぶと、供の者たちを引き連れて転移魔法陣を使って消えた。
彼らの気配が消えるのと同時にブォーンブォーンという音は消え、森は静寂に包まれた。
「もう……なんなのよ……」
つぶやいた途端、ボニータの緊張は一気に解かれた。
そして彼女は糸の切れた操り人形のようにズルズルと床へと崩れるようにして座り込んだ。
体の力が抜けていくのと同時に、怒りのパワーも心の中から抜けていく。
(なんだかとっても空っぽだ)
そう感じた途端、ボニータは何故だかとても悲しくなって。
木の床にペシャンと座ったまま少しだけ泣いた。
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