従順なる僕は文の上をなぞるばかり

大神律

領域展開:物語の種類と作り方の思案。

 起承転結を議論する。四つの象徴的な場面を取り出したとき、その一番が基本設定の把握を含む、その最後が主人公の最終的な状態。これはどの起承転結でも揺るがないところだろうか。

 物語において最も重要なのは目的であり、大きな目的と小さな目的、また秘めたる目的もあるだろう。シンプルならば大きな目的一つ。長編ならば大きな目的と小さな目的は必ず含む。例えば竜王を倒す、そのためにロトの剣を手に入れるなど。前者が大きく、後者が小さいである。秘めたる目的とはドラえもん形式や映画もの、すなわち一応として大きな目的があるが、その過程で別の目的を見つけていくタイプだ。信条的なものや大きな目的を否定するものもあるだろうか。これら目的のうち、大きな目的と小さな目的は必ず一番か二番で出てくるだろう。というか出さねばならないのだろう。秘めたるとは二部構成の後半の転の部分で現れやすそうだ。

 つまり物語の構造は決定されている。ゆえにそこに拘るのはナンセンスなのだろう。むしろ拘ることで変に難しくなる。シンプルで無くなり読みにくくなる。特に承と転を楽しみ過ぎると垂れていく。私がそうなのだ、おそらく。ゆえにこそシンプルを考え直しているのだが。

 

 さてでは具体的に起承転結にはどんなものがあるのか。個人的に分類してみた。三種類だ。一番多いのはアンパンマン、次にシャーロックホームズ?、最後は桃太郎や浦島太郎。いづれも転の種類で変わる。アンパンマンの場合、転とはピンチである。シャーロックホームズの場合、転とは衝撃の事実である。これによって目的が変わる。桃太郎などの場合、転とは平坦、あるいは結への前置きである。これは大きく物語が動くわけではない。


 次はどう書くかを考えるとしよう。一話の構成である。短編なのか長編なのかでやや異なるが、ここでは一つの目的が達成される。すなわち起承転結があることを一話とみなす。ここにあるのも三種類だろうか。シンプルに起承転結が一つ。次に二部構成や複数構成。ドラえもんはそうだろう。のび太が道具を貰って一度願いが叶っている。最後に転が多すぎる構成だ。起承転結ではなく、起承転転転転転……結。どんでん返しのどんでん返し。一番最後は恐らくあまりよろしくないと思われる。単純に難しい。

 私がこの部分で感銘を受けたのはやはりドラえもんの構成である。二部構成を一話でやるのはなかなかに斬新だ。加えてそこには秘めたる目的がある。これを一部の最初で仄めかせば確かに面白い。


 物語を書く上で分かりやすさを求めるのならば先に起か結を決め、その次に承転の数を決めるべきだと思う。二部構成か、一部構成かは起と結の時点で決めるべきだろう。転を増やすほどに複雑となる。しかしシンプル過ぎても骨のない。あらかた転は二度がベストというところだろう。


 思うがままに書くのであればこのような幾何的かつ作為的なものはむしろ情緒を損ねやすいだろう。ゆえにこそ恐ろしいが、といっても計算無きに進めれば混濁とするのも必然だ。私はその部類だ。なので少しばかりこの構造を、この持論を用いてみることにしようとも思う。少なくとも結をあらかじめ決め、転を二度ほどにするという制約は守ることにする。軽い制約の方が自由に表現しやすいのだ。

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