013号室 避難?
ホブゴブリン討伐の翌日。昼下がりのころに紅介は目を覚ました。
天井を掴みに行くように腕を伸ばすと、包帯が巻かれているのが目に入る。だが、痛みはそれほど感じない。
試しに体を起こしてみても、少しズキッとする程度だ。
「おはよう、ベニくん」
紅介が自身の体の調子を確かめていると、隣から声をかけられた。
ベッドの横に目を向けると、むくれた顔の小桃が椅子に座っていた。
「おはよう……って、なんでここにいるんだ?」
「心配して来たに決まってるでしょ! 毎度毎度大怪我で帰ってきて……心配するこっちの身にもなってみなさい!」
「わ、悪かったよ。でもほら、大した怪我じゃ
ない」
むむむ……と眉間に皺を寄せて怒る小桃に謝りつつ、紅介は両腕で力こぶを作る。
すると小桃は小さなため息を吐いた。
「怪我の大小の問題じゃないんだよ。怪我をすることをしてることが問題なの。まあ、今回はマンションの皆のためにした結果なんだろうけど……それでもベニくんは自分自身をもっと大事にするべきだよ」
「あぁ、分かった。心配してくれてありがとな」
紅介が感謝を述べつつ小桃の頭に手を載せると、彼女は小さく頷いた。
小桃の説教が終わると、紅介はベッドから起き上がった。
その際に少しよろけたが、小桃が支えてくれる。
そのまま紅介が部屋を出て、リビングへ向かうと、既に目を覚ましていた白郎がぐったりとした状態でソファに腰をかけていた。
「親父? どうかしたのか?」
「おう、コウ。起きたのか。……いやなに、ちょっとな。人付き合いの大変さに打ちのめされてな」
「?」
白郎の言葉に首を傾げる紅介。
すると、白郎が経緯を説明してくれた。
「今朝方集会室で会議をしてな、そこで例のカウントダウンの件について話したんだ」
白郎の話を聞いて紅介も思い出す。
本日、ついに七階のカウントが【1】になった。カウントダウンは毎日日付が変わるタイミングで変化することが分かっている。
つまり、カウントが【0】になるまであと二十四時間を切ったということだ。
カウントが【0】になったときになにかが起こると決まったわけではない。しかし、紅介たちはなにかが起こるだろうと半ば確信し、事前に行動を進めていた。
例えば地下モンスターの排除だったり、魔道具の収集だったり。中でも彼らがより力を注いで取り組んでいたのが住人への避難の呼び掛けだった。
「今回俺たちが地下最奥のモンスターを倒したおかげか、あるいはそのせいなのか──とにかく大体の住人は避難に従ってくれた。もうほとんどこのマンションには人はいない」
「モンスターを倒したせいってのは?」
「それは後で説明する」
白郎の説明で気になったところについて尋ねると、白郎は罰の悪そうな顔をして、それについての説明を後回しにした。
白郎が説明を続ける。
「大体の住人の避難は済んだ。が、頑なに避難を拒む住人がまだ残ってる。七階の連中はみんな何か起こるかもってんで早々に避難したが、六階から四階の連中はほとんどが避難に反対してやがる」
「ちょっと待てよ親父。七階の連中はみんな避難した? ここに小桃がいるじゃねーか」
紅介が小桃を指さして言う。
すると、小桃が理由を説明した。
「私も避難しようと思ったんだけど、行く宛てがなくて……」
「だから、とりあえず安全が確認されるまで小桃ちゃんをウチに泊めることにした」
「はあ!?」
あっけらかんとして言う白郎の言葉に紅介が大声を上げて驚く。
丸い目で小桃のほうを見ると、確かに足元にキャリーケースが置いてあった。
どうやら小桃が紅介の家に泊まるというのは事実のようだ。
「いやいや、待ってくれ! 俺たちもう高校生だぜ? 年頃の女子を同年代の男子がいる家に泊めるってのはどうかと思うぞ! 万が一おかしなことになったら──!」
「万が一にでもおかしなことになる可能性があると……?」
「ぐっ……」
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた白郎が紅介の揚げ足を取る。
小桃のほうをチラリと一瞥すると、こちらも顔を真っ赤にしてソワソワと落ち着かない様子だ。
気まずい沈黙に耐えられなくなった紅介が叫ぶ。
「だァ──くそ! 俺たちは親友だ! おかしなことなんて無限大が一にも有り得ねぇ! な?」
「──へ? あ、ああ! ウン、ソウダネ……」
「…………」
顔は赤いまま、視線は逸らしたまま、さらにカタコトになって頷く小桃。
紅介がじとりとした目で彼女を見つめた。
再び気まずい沈黙が場に流れる。
「──白郎さん。準備出来ましたんで、そろそろ出発します」
と、そのとき玄関の扉がノックされ、東堂が顔を出した。
彼は紅介に気がつくと、安堵の息を吐いた。
「良かった。紅介くんも目覚めたようだね」
「はい、ご心配おかけしました。ところで準備ってのは?」
紅介が尋ねると、東堂はどこか申し訳なさそうに視線を逸らした。
「俺も調査隊の一員だ。だから、本来ならばここに残って異変に備えるべきなんだけど……」
「東堂くんは、俺が避難するように命令したんだ」
東堂の言葉を白郎が引き継ぐ。
彼は紅介と小桃のほうを見て、説明を続けた。
「小桃ちゃんは知ってると思うが、東堂くんには同棲中の彼女がいる。彼女を避難させたとして、現場に東堂くんが残っていたら彼女に心配をかけてしまうだろ」
「そういうわけで俺は避難することになったんだ」
東堂が再び申し訳なさげに眉を顰める。
彼は紅介の近くに歩み寄ると、少年の胸に拳を当てた。
「紅介くん。後を頼む」
「うす。東堂さんの家は俺が必ず守ってみせます!」
紅介が力強い目で返すと、東堂は嬉しそうに微笑んだ。
東堂はその後白郎と軽く話をすると部屋の外へ出ていった。
東堂のスポーツカーの低いエンジン音が遠くのほうへ溶けていく。
「さてと、それじゃあコウ。行くぞ。ついて来い」
スポーツカーのエンジン音が完全に聞こえなくなると、白郎がそう言って玄関の扉を開けた。
紅介が首を傾げる。
「行くってどこへ?」
「さっき言ったろ。モンスターを倒したせいで住人が避難に協力的になったって。その原因を実際に見せてやる」
「分かった」
先程の説明で紅介が疑問に思ったが白郎に説明を保留にされた話である。
白郎の緊張を帯びた言葉に、紅介も只事では無いことを察知した。
唾を飲んで、白郎の後について行った。
▼
白郎が向かったのは地下だった。
地下にいたモンスターは紅介ら調査隊で掃討したため、今は日当たりの悪い部屋が七つあるだけの場所のはずだが──。
「心しろよ」
「は?」
階段の踊り場に立ち、折り返して降り始めたところで白郎がボソリと呟いた。
その言葉を訝しみつつ、階段を降りた紅介は視界に飛び込んできた光景を前に声をあげられないほど驚いた。
「なんだ、これ……」
紅介の視界に映るのは手すりを超えた先にある広い庭だ。
だが、この庭は前から存在しており今さら驚くものでは無い。
問題は、その庭に数え切れないほど大量のゴブリンが蠢いていることだった。
「──ッ!」
手すりに近いところを歩いていたゴブリンが突然紅介のほうを向いた。
紅介は反射的に後ずさり、腰に差した短剣を抜剣──しようとして装備していないことを思い出す。
紅介が慌ててゴブリンを視線を戻すと、ヤツは既に紅介から視線を切っており、庭を彷徨い始めた。
「……あれ?」
「まぁ、そりゃあそういう反応になるよな」
「親父……なにか知ってるのか?」
襲いかかってこないゴブリンを前にキョトンとした顔をする紅介。
そんな彼の隣で白郎が悪戯っぽく笑った。
紅介がじとりと睨んで尋ねる。
「あのゴブリンどもは俺たちがホブゴブリンを倒した後突然現れたらしい。俺は気を失ってたんでその現場は見てねーが、起きて萩倉たちに連れてこられてびっくりしたぜ」
「萩倉さんたちは俺たちを背負ってよくこれだけのゴブリンから逃げられたな……」
「それが、どうやらコイツらは俺たちを認識していないらしい」
「どういうことだ?」
「まぁ、百聞は一見にしかずだ」
白郎の言葉に紅介が頭に疑問符を浮かべる。
すると、白郎はニヤリと笑って簡単に手すりを乗り越えた。
白郎が堂々と庭に降り立つ。
すると──
「ギギィ!」
白郎の一番近くにいたゴブリンが白郎の存在に今気づいたかのような反応をし、棍棒を振り回しながら白郎に突進してくる。
白郎はそれを見ると、背を翻して手すりの内側に逃げ帰った。
そのまま紅介を盾にするかのように小さな背中の後ろに回り込む。
「何してんだ、親父!? 人を囮にするんじゃねぇ!」
「落ち着けよ、コウ。あのゴブリンはもう俺を見失ってる」
「は?」
白郎に宥められ、前を見る紅介。
すると先程血眼になって白郎を追いかけていたゴブリンは、手すりの手前で足を止め、まるで何事も無かったように庭を彷徨い始めた。
「どうなってんだ?」
「どうやらあのゴブリンたちは手すりを越えて庭に侵入したものにのみ襲いかかるらしい。そして、手すりからこっち側は認識すら出来ていないようだ」
「つまり、危険は無いってことなのか?」
「さぁ、それが分からねぇんだ」
白郎が苦虫を噛み潰したような顔をする。
「実は今朝、お前が目覚める前に萩倉と東堂くんと一緒にこのゴブリンどもに挑んでみた。時間をかけて五体ほど倒してみたんだが……どうやら殺したそばから新たなゴブリンが湧いてくるみたいなんだ」
「それじゃあ、ここのモンスターは掃討することが出来ないってことか?」
「あぁ、多分な。……で、そのことを萩倉が住人の前で零しちまってな……」
「なるほど。それで皆避難する気になったってわけか……」
確かに皮肉な話だ。
白郎としてはこのことは調査隊の中でのみ留めておこうと考えていたはずだ。外に漏れれば余計な心配を産むことになる。
だが、そのおかげで住人が避難に協力的になったのであれば結果オーライか。若干モンスターどものマッチポンプな気もしないでもない。
「しかし、都合のいいシステムだな。雑魚モンスターが大量にいて、襲いかかってくるのは一体のみ。倒してもすぐに新しいモンスターが湧いてくる。これじゃあまるで──レベリング用の狩場だな」
紅介は地下で調査を進める度に薄々「まるでゲームのようだ」と感じていた。
各部屋に一体だけ現れるモンスター。最後の部屋にいるボス級のモンスター。部屋の中から必ずひとつ見つかる魔道具。モンスターを倒すと強くなる仕組み。そして、全てのモンスターを狩り尽くすと現れた大量の狩りやすいモンスター。
ここまで条件が揃えば、もはや疑う余地はなかった。
地下空間は──ダンジョン化している。
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