13
ホキの妹ヒリに都の貴人から婚姻したいと申し出があったのは、末の弟の誕生から
「でも、クガネが……」
贈物の山をチラチラ見ながらヒリが戸惑う。カタブはと言うと、なんとか顔を引き締めようとしているがどうしても目尻が下がってしまう。嬉しくて仕方ないのだ。それでも真面目腐った物言いで、
「あちらは
ヒリを説得する。カタブの妻が
「なんと?」
驚きを隠せずカタブを見、それから同席していたホキを見る。ホキは微笑んで妹を眺めていた。
「しかしカタブ。
妻の言葉にカタブは
「皇子と言っても第四皇子、帝の地位に就くことはないらしい。これも本人が言っていた」
気にする様子はない。
「でも……いくら皇子とは言え、あまりのなさりようでは?」
カタブの妻はホキの相手の貴人と、ヒリに申し込んできた皇子が同一人物だと考えていた。姉を召しておきながら、今度は妹を? それではホキが哀れすぎる……そう感じていてもホキの前であけすけに言えはしない。言えばホキがますます辛くなるだけだ。
そんな両親の傍らで、贈物の山に目を奪われているのはヒリだ。見たことのないような美しい布、こないだの貴人が着ていたのもこんな感じだった。きっと触ったらつるつると滑らかなんだろう。それに
ヒリを見ていたカタブが微笑んで言った。
「贈り物は気に入ったか?」
隣で妻が『物で釣ろうなんて……』と呟くが無視した。
「どれも素晴らしくって驚いています――
「それは真珠と言うものだ。なかなか手に入らないものだぞ」
「そうなのね……」
少し前、姉のホキも贈り物を貰っている。
「どうだ、ヒリ? 皇子のお心に沿うてくれるな? これほどの贈物を
カタブが娘に返答を催促する。が、イヤだと言われても押し通すつもりだ。
ヒリは迷っているようだ。それでも、
「
「実はな、もう承知してしまったのだ」
「えぇえ?」
「相手は皇子だ。『頼むぞ』『考えてくれないか』と言われたら、命じられたと同じこと。判るか?」
「そんな……」
カタブを見詰めるヒリ、カタブの妻が『そんなところではないかと思っていた』と溜息を吐く。
「でも、この屋敷に皇子が通う?」
不安げなヒリ、カタブは余裕の笑みだ。もう一押しだと思っているのだろう。
「皇子は暫くこの屋敷に通うと仰っていた。開拓の地が決まればそこに宮を建て、
「わたしが宮に住む? でも、クガネはどうなるの? カシワデの次の
「クガネには諦めて貰う。相手が皇子ではクガネとて文句は言えまい――
ヒリが溜息を吐いて、再び贈物の山を見て言った。
「
ホキとヒリが荷物を抱えて部屋を出て行くと、カタブの妻が溜息を吐いた。それを横目で見てカタブが笑う。
「なにも溜息を吐くこともなかろう。ヒリも納得した。どうしても嫌だと言って屋敷から逃げないか冷や冷やしたが、あの様子なら大丈夫だろう」
妻がまたも溜息を吐く。
「今は贈物に目が
「なぜ
楽観的なカタブを妻が
「人の心はそんなに簡単なものではありませんよ?――でもまぁ、その皇子に帝になる気がないのなら、その点は良かった」
「うん? どういう意味だ?」
「帝の座を巡って殺害された皇子がいたのをもうお忘れ? その心配はないと言ったのよ――
去る妻の後ろ姿を見送るカタブ、押さえていた笑いを顔に浮かべる。
とうとう
荷物を運ぶのを手伝ったホキ、己の部屋で贈物をじっくり見始めたヒリに付き合っていた。
「この布は何で出来ているのかしら?」
「絹と言うものだそうよ」
ヒリの疑問にホキが答える。
「よくご存知ね」
「蘇をくれた人に教えて貰ったの」
「そう言えば、あの人、蘇を持ってきて以来、来てないんじゃないの?」
これにはホキがクスッと笑う。
「誰にも内緒よ?
「そうだったの? 知らなかったわ」
「そりゃそうよ、だって誰にも言ってないもの」
クスッとホキが笑む。
そんな姉の顔を見てヒリが言った。
「
ホキが返答に困る。己の相手は好いた男だから幸せなのだと思う。妹の相手は好いた男と言うわけではない。だけど……
「こんな贈物をくださったんだもの、ヒリを大事に思っているのよ。きっと幸せになれるわ」
トヨミの弟なら、トヨミ同様優しい男だろう――ここでもホキはトヨミが
「どうしてそう言い切れるのかしら? 幸せだから?」
「そうね、
「そっか……」
ヒリが贈物に再び目を落とす。
姉の相手も貴人とは聞いているが、贈物一つをとっても随分と違う。姉は
「そうね。いやだと思っていれば幸せになれないわね」
ヒリがホキにそっと微笑んだ。
「幸せになるって決めたわ――皇子がどんな人かは判らないけれど、これほどの贈物をくれるのは
翌日、再びカタブは都に出向いた。ヒリの相手の皇子に準備が整ったと報せるためだ。ヒリの相手の皇子、クルメがカタブの屋敷を訪れたのはさらに三日後、それからクルメは二・三日おきにカタブの屋敷を訪れるようになった。
カシワデの郷に噂が流れる。カタブの娘ホキが皇子の妃になった――
タチバナ宮でトヨミがクルメに訊いた。ヒリがクルメの妃となって
「それでカシワデの娘ヒリはどうだった?」
クルメがニヤリと笑う。
「
トヨミが苦笑する。
「夫婦仲は巧く行きそうなのかを訊いた」
そこですか、とクルメも苦笑する。
「恋仲の男がいると聞いていたけれど、まだ何も知らないようでした。
そんなことを聞きたいんじゃないと思うトヨミ、それでも、
「それはよかったな。せいぜい可愛がってやれ」
と答えた。
「それで
「あぁ、
「それでこそです。これで、やっぱり気が変わったなどと言われたら
「何か苦労したのか?」
「カタブとヒリの気を引くために絹や真珠などを用意しましたからね。まぁ、苦労ってほどでもないか」
「だいたい言い出したのはクルメ、
「えぇ、
「やっぱりヒリが気に入ったか。思っていたより頻繁に通っているから、そうだろうと思っていた」
「
毎夜とはいかないが、クロコマを駆ってトヨミはホキに会いに行っている。だが、会って抱き締め合い唇を味わうだけだ。都を一晩も空けるのは気が引けた。アヤマの件を気にしてのことだ。だが、何事もなくアヤマの件は終結を迎えそうだ。ハツベもアヤマも、そしてソガシも動きを見せない。そろそろ一晩くらい、都を開けても心配なさそうだ。
トヨミがクルメに訊ねた。
「
「それはこっちも同じこと。今夜、これから行こうと思ってる」
「では
トヨミがホキの顔を思い浮かべる。別れ際の、もの言いたげに潤んだ瞳を思い出す――明日こそは、と思うトヨミだった。
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